戦の果て 武蔵坊弁慶
本当に義経は、悲しそうな顔をする。
励ましの言葉を掛ける事さえ躊躇う程に、彼は悲しそうな顔をする。
実際、彼に打ち負かされて居るのだから、彼の強さは知っている。だが、彼は細く健気で弱そうで、簡単に壊れてしまいそうで。
守りたい。守らなければいけない。そう思わせた。
「べんけー、おれのことはいいよ。兄さまのこと、守ってあげて。兄さまなら大丈夫だと思うけど、万が一ってこともあるからね」
義経の背後を守って居ると、義経の方からそう言われる。
兄、頼朝様の事か。
確かに此の場合では、義経よりも頼朝様を守るべきなのだろう。其れに、義経は自らを自らで守れるだけ、力を持っている。
然し、某が仕えるのは義経だ。頼朝様に仕えている訳では無い。
「もう、べんけー? 兄さまは、怪我もしちゃいけないお体なの! 行ってあげて」
迷う某に、義経はもう一度言った。
義経からの命令と取れば、従わない訳にはいくまい。
「私のことを守ってくれるの? ありがとう。敗戦となってしまったけれど、弁慶が私のために戦ってくれるのなら、ちょっと嬉しくも思えてしまうよ」
やはり兄弟らしい。
某が助けに行くと頼朝様は、義経の其れとも重なる悲しそうな顔をした。ただ此の方が義経と違うのは、微笑んでいるという点だろう。
何時も、微笑み続けていた。
より悲しげで儚げな、弱々しい微笑みを浮かべ続けている。
苦しそうな表情も浮かべてはいるのだが、今もそう、顔に張り付いて居る様に微笑みを絶やさないのだ。
「礼等要りませぬ。義経の元へ」
「えっ、はい。……弁慶もちゃんと生きて私のところにきてくれないと、嫌だからね」
そう言い残すと、頼朝様は走り去る。見え無くなったのは、足が速いのか何処かに隠れたのか。
何しても、生きて貰えれば良いのだ。
頼朝様に死なれては、きっと義経は悲しむだろう。ならば、其れだけは避けなければならぬ。其れだけ、は。
正直、某は義経に悲しんで欲しくないだけ。
一生を義経の為に捧げると決めた。義経を悲しませる物は、何であっても排除する。
「こんのぉっ!」
敵兵の頭を両手に掴み、力一杯に振り回した。
逃げる時間を作れれば良い。義経が逃げる時間を、頼朝様が逃げる時間を。
義経が殺しを望まないのなら、某も無理に人を殺しはしまい。
「べんけー、追わなくていいよ。ほら、もうおいで」
夢中で戦う某の耳に、義経の美声が届いた。
逃げ始めた敵を追う必要は無い。頼朝様が逃げられたのを確認し、義経が某を呼びに来てくれたらしい。
「おうちが用意してあるみたい。雨もひどいから、ずっと外にいたら風邪ひいちゃうもんね」
某が傍へ行くと、義経は某の手を握り、走り出した。
案内された家は、全く目立つ事も無いであろう、普通の家であった。怪しまれる事も無い程に普通であるから、暫くは此処で敵の攻撃を避けられるのでは無かろうか。
室内も外観通りの普通さで、こんな所で良いのかと思う程だ。
「でもやっぱり、なんかこわいね。もっかい、ぎゅってしてもらってもいい?」
子犬の様に体を揺すって水を飛ばすと、義経は某の胸元に飛び込んで来た。
其の小さい頭を撫でて、小さい体を抱き締めた。腕の中で気持ち良さそうに漏らす声は、聴いて居るだけで幸せになる。
周りの視線が気にならない訳では無いが、義経を抱いて居られるならば、其の様な事は如何だって良かった。
「もう、仲間を失うことはできないよね。これからこんなことがないように、私、努力しようと思う。だからっ、助けて……」
義経を離してからも、二人で話をしていると、頼朝様がそう仰られた。
彼の消え入りそうな程に弱々しい声は、騒がしくなりつつあった部屋を自然と沈黙に戻し、部屋中に響いた。
今にも泣き出しそうな表情。
少女の様な愛らしく美しい顔を、そう歪められると此方が悪い気になる。
儚い微笑みを、如何すれば良いのだろう。
義経の細さにも心配になる物だが、頼朝様は其れと違う。彼は、上品で繊細という印象を受ける。
力しか無い某では、きっと守る事等出来ない。そう思う。
こんな美しい人、某では触れる事も出来まい。共に歩き某が永遠に忠誠を誓うのは、やはり義経一人なのだろう。
高嶺の花、とでも言うのだろうか。
某が求めているのは、美しくも強かである、野の花だ。
改めて思うのも恥ずかしいが、某は義経の事が好きなのであろうな。
「欲張りと呼ばれてもいいから、私は仲間を、全てを守りたい。だからっ、私に力を貸してね。私を、助けてね……」
不安に怯える瞳で、頼朝様は何度も訴え掛ける。
余程、恐ろしかったのだろう。
頼朝様は子供では無いし、無論女でも無い。外見からは想像出来ぬが、三十を超えた立派な男である。
戦だって初めてでは無い様だが、敗戦の恐怖は凄まじい物だろう。
良く言えば慎重である頼朝様だが、彼の性格は臆病と言わざるを得ない程の、臆病者だ。失礼は承知しているが、彼の怯え様は本当に酷い。
兄弟だと言うのに、此の点は義経と随分違うな。




