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エピローグ

あの日、僕は一人の女性に出会った。


五年後の未来からやってきたと名乗る、不思議な女性だった。


彼女は、僕が忘れようとしていた過去と向き合うきっかけをくれた。僕が自分自身を責め続ける日々から抜け出せるように、何度も手を差し伸べてくれた。


そして、別れ際に交わした約束。


五年後、もう一度会おう。


そのときに、君の気持ちを聞かせてほしい。


あの約束がなければ、僕たちの未来は今とは違っていたのかもしれない。


けれど、今の僕にはわかる。


どんな不思議な出来事があったとしても、最後に僕たちを結びつけたのは、きっとお互いを想う気持ちだったのだ。


そして、あれからさらに数年が経った。

後日章:それからの日々


「颯太くん、ネクタイ曲がってるよ」


朝の洗面所で、優華が僕の胸元に手を伸ばした。


「え、そう?」


「そうだよ。もう、結婚して何年も経つのに、こういうところは変わらないね」


「毎朝ちゃんと自分で結んでるんだけどな」


「結んでることと、きれいに結べてることは別です」


優華は少し得意げに笑いながら、僕のネクタイを直してくれた。


近くで見る彼女の顔には、あの日、公園で再会したときと同じ笑顔がある。


もちろん、年月とともに少しずつ変わった部分もある。髪型も、服装も、以前とは違う。僕たちの生活だって、学生だった頃とは大きく変わった。


それでも、優華の笑い方や、何かを話すときに少し首を傾ける癖は変わらない。


僕が悩んでいると、すぐに気づいてくれるところも。


そして、僕のちょっとした失敗を見つけると、嬉しそうにからかってくるところも。


「はい、できた」


優華が一歩下がり、僕のネクタイを確認した。


「ありがとう」


「どういたしまして。じゃあ、今日も頑張ってね」


「優華もね」


そう言って、僕たちは玄関へ向かった。


仕事へ出かける前、優華が僕の手を握る。


「颯太くん」


「ん?」


「今日、早く帰れそう?」


「たぶん。何かあるの?」


「帰りに買い物してきてほしいものがあるんだ」


「なるほど。そういうことね」


「それもあるけど……今日は、家族三人でゆっくりしたいなって」


その言葉を聞いて、僕は自然と笑顔になった。


「わかった。できるだけ早く帰るよ」


「約束だよ?」


「はいはい。約束します」


優華は満足そうに頷いた。


僕たちは玄関で靴を履き、最後にもう一度顔を見合わせた。


「いってきます」


「いってらっしゃい」


ありふれた朝のやり取り。


けれど、僕にとっては何よりも大切な時間だった。


かつての僕は、こんな未来が自分に訪れるなんて想像もできなかった。


誰かを好きになり、その人と同じ家に帰り、明日の予定を話し合い、何気ないことで笑い合う。


そんな日々を、僕はずっと遠いものだと思っていた。


でも今、僕はその未来の中にいる。


優華と一緒に。


そして、僕たちにはもう一人、大切な家族がいる。


「パパー!」


仕事を終えて帰宅すると、玄関の向こうから小さな足音が聞こえてきた。


次の瞬間、僕の足元に飛び込んできたのは、まだ幼い娘だった。


「おかえりなさい!」


「ただいま!」


僕は鞄を置き、娘を抱き上げた。


娘は嬉しそうに笑いながら、僕の首に小さな腕を回す。


「パパ、きょうね、ママとおえかきしたの!」


「おっ、何を描いたの?」


「パパと、ママと、わたし!」


そう言って、娘は居間のテーブルを指差した。


そこには、クレヨンで描かれた三人の人間の絵が置かれていた。


少し大きな人が二人。その真ん中に、小さな人が一人。


頭の上には、色とりどりの花のようなものが描かれている。


「これはすごいな。ちゃんと三人いるね」


「うん! みんなでおててつないでるの!」


「本当だ」


僕はその絵を見つめた。


不格好な線も、はみ出した色も、少し歪んだ輪郭も。


その全部が愛おしかった。


「パパ、うれしい?」


「うん。すっごく嬉しいよ」


「えへへ!」


娘は僕の頬に小さな手を添えた。


その様子を、キッチンから優華が笑顔で見ていた。


「おかえり、颯太くん」


「ただいま。今日は何を作ってるの?」


「颯太くんの好きなもの。娘ちゃんも手伝ってくれたんだよ」


「そうなのか?」


「うん! おやさい、まぜまぜした!」


「そっか。じゃあ、今日のご飯はいつもよりおいしくなりそうだな」


娘は誇らしげに胸を張った。


優華が笑いながら、僕のそばにやってくる。


「ねえ、颯太くん」


「ん?」


「こういう日が来るなんて、昔は想像できなかったね」


僕は、優華の顔を見た。


その目には、懐かしさと、穏やかな幸福が浮かんでいた。


「そうだね」


「私、あの頃はずっと後悔してた。颯太くんに声をかけられなかったこと。何もできなかったこと。自分のせいで、颯太くんが苦しんでいたんじゃないかって」


優華は一度、言葉を切った。


「でも、今は思うんだ。あのときの後悔があったからこそ、私は颯太くんと向き合おうと思えたんだって」


僕は優華の手を取った。


「僕も、優華に出会って変わったよ」


「本当に?」


「うん。だけど、今はもう、優華に助けてもらうだけじゃない。僕も優華を支えたいし、一緒に悩んで、一緒に答えを見つけていきたい」


優華は静かに頷いた。


「うん。これからも、そうしようね」


「もちろん」


そのとき、僕たちの間に娘が割り込んできた。


「ねえねえ、パパとママ、なにおはなししてるの?」


「大事なお話だよ」


優華が答えると、娘は不思議そうに首を傾げた。


「わたしも、いっしょ?」


「もちろん。一番大事な家族の話だよ」


僕がそう言うと、娘は満面の笑みを浮かべた。


「じゃあ、みんなでぎゅーする!」


そう言って、娘は僕と優華の手を引っ張った。


僕たちは笑いながら、三人で抱き合った。


小さな手が、僕と優華をつないでいる。


その光景を見ていると、胸の奥がじんわりと温かくなった。


過去には戻れない。


失った時間を、なかったことにもできない。


けれど、過去があったからこそ、今の僕たちがいる。


そして、今の僕たちがいるからこそ、これからの未来を選んでいける。


僕は、そう信じていた。

----------------------------------------------------------------------------------------------

休日の昼下がり。


僕たちは、久しぶりに健、祥太郎、奏介、そして真紀と会うことになっていた。


待ち合わせ場所は、駅前にある昔からのカフェ。


学生時代には何度も集まった場所だ。


「おーい、颯太! こっちだ!」


店に入ると、健が大きく手を振っていた。


その隣には祥太郎と奏介。二人とも、昔と変わらない顔で笑っている。


「お待たせ」


「おう! ……って、優華さんも娘ちゃんも一緒か!」


健が嬉しそうに身を乗り出した。


「こんにちは!」


優華が挨拶すると、祥太郎も奏介も笑顔で応えた。


「久しぶり、優華さん。娘ちゃんも大きくなったなあ」


「本当だよな。前に会ったときより、ずっとおしゃべりになってる」


「みんな、こんにちは!」


娘は少し照れながらも、元気よく頭を下げた。


「おっ、しっかり挨拶できるじゃないか!」


健が感心したように言う。


「健、子ども相手に張り合うなよ」


「張り合ってねえよ!」


「いや、今のは張り合ってただろ」


僕が突っ込むと、祥太郎と奏介が声を上げて笑った。


その笑い声を聞いて、僕は懐かしい気持ちになった。


学生だった頃、僕は自分のことで精いっぱいだった。


過去に傷ついたことを思い出しては立ち止まり、前に進むことを怖がっていた。


そんな僕を支えてくれたのが、こいつらだった。


僕が話せるようになるまで待ってくれた。


僕が失敗しても、必要以上に責めなかった。


そして、僕が自分の足で歩き出したときには、誰よりも喜んでくれた。


あの頃の僕にとって、友達という存在は、想像していた以上に大きなものだった。


「ところで颯太」


健が、にやりと笑いながら僕の肩を叩いた。


「お前、昔は女子とまともに話すのも緊張してたくせに、今じゃ結婚して子どもまでいるんだもんな」


「おい、余計なことを言うな」


「いや、だってさ! あの頃のお前に教えてやりたいよ。未来では優華さんと結婚して、かわいい娘までいるぞって!」


「本人の前で言うなって!」


優華は口元を押さえ、くすくす笑っていた。


「私は聞いてみたいけどな。颯太くん、昔はそんなに緊張してたの?」


「……まあ、否定はしない」


「ふふっ。かわいいね」


「今それを言う?」


「うん。言う」


優華は楽しそうだった。


僕は小さくため息をついたが、口元が緩むのを止められなかった。


しばらくして、カフェの入口から聞き慣れた声がした。


「ごめんね、少し遅れちゃった!」


真紀だった。


彼女は僕たちを見つけると、いつもの明るい笑顔で手を振った。


「真紀!」


優華が立ち上がり、彼女のもとへ駆け寄る。


「優華、久しぶり!」


二人は自然に手を取り合い、笑顔を交わした。


真紀と優華は、今でも定期的に会っている。


僕たちが付き合い始めた頃から、優華は真紀と親しくなった。真紀もまた、優華のことを大切な友達として受け入れてくれた。


最初に二人を引き合わせてくれたのも真紀だった。


あの日、彼女がいなければ、僕は優華と再会できなかったかもしれない。


だからこそ、僕は今でも真紀に感謝している。


「娘ちゃんも久しぶり! また大きくなったね!」


「まきちゃん!」


娘は真紀の顔を見るなり、嬉しそうに駆け寄った。


「わあ、覚えててくれたんだ!」


「うん!」


真紀は娘を優しく抱き上げた。


その姿を見て、僕は自然と笑顔になった。


かつて、真紀は僕に想いを伝えてくれた。


僕はその気持ちに応えられなかったけれど、彼女は僕の選択を尊重し、最後まで友達でいてくれた。


もちろん、あのとき彼女を傷つけてしまったことを、なかったことにはできない。


それでも今、こうして笑い合えることが、僕には嬉しかった。


「ねえ、颯太」


真紀が娘を抱いたまま、僕に声をかける。


「何?」


「ちゃんと幸せにしてる?」


「……何だよ、いきなり」


「だって、私が紹介したんだから。責任重大でしょ?」


優華が隣から笑顔で口を挟む。


「大丈夫だよ、真紀。颯太くん、毎日頑張ってくれてるから」


「へえ。じゃあ、優華も幸せ?」


「うん!」


優華は迷うことなく答えた。


「すごく幸せだよ」


その言葉に、真紀は一瞬だけ目を細めた。


そして、昔と変わらない笑顔を浮かべる。


「そっか。なら、よかった」


その声は、とても穏やかだった。


「本当に、よかった」


僕は真紀を見つめた。


きっと彼女にも、彼女なりの思い出がある。


簡単には割り切れなかった気持ちも、前に進むために必要だった時間も。


でも今、彼女は自分自身の人生を歩いている。


僕たちも、彼女も。


それぞれの未来を選びながら、それでもこうして同じ場所で笑い合える。


それが、どれほど幸せなことなのか。


僕は、少しだけわかった気がした。


「真紀」


「ん?」


「ありがとう」


突然の言葉に、真紀は目を丸くした。


「……何よ、急に」


「いや。今までずっと、ありがとうって言いたかったんだ」


僕は少し照れながら続けた。


「昔のことも、優華と再会できたことも。真紀がいてくれたから、今の僕があると思ってる」


真紀はしばらく黙っていた。


やがて、ふっと笑う。


「もう。そんなこと、今さら言わなくてもいいのに」


「それでも言いたかった」


「……そっか」


真紀は娘を抱き直し、優しい目で僕を見た。


「じゃあ、これからもよろしくね。颯太」


「うん。よろしく、真紀」


そのやり取りを聞いていた優華が、僕の手を握った。


「私からも、ありがとう。真紀がいてくれたから、颯太くんに会えたんだもん」


「優華まで……」


真紀は困ったように笑った。


「二人とも、もういいってば。今日は楽しく過ごそうよ!」


「そうだな」


僕たちは笑い合った。


昔の話をして、近況を報告して、娘の成長をみんなで喜んだ。


時間が経つのは早い。


けれど、時間が経っても消えないものもある。


友達とのつながり。


誰かを想う気持ち。


一度交わした約束。


それらは形を変えながら、僕たちの人生の中に残り続けている。


そして、これからもきっと。


### 未来は、二人で選んでいく


帰り道。


娘は優華に手を引かれながら、楽しそうに今日の出来事を話していた。


「ねえ、ママ。きょう、みんなとあそべてたのしかったね!」


「うん。楽しかったね」


「またあいたい!」


「もちろん。またみんなで会おうね」


僕は二人の少し後ろを歩きながら、その姿を見つめていた。


夕暮れの空は、柔らかなオレンジ色に染まっている。


かつて、僕は未来を怖がっていた。


自分がこれからどうなるのか。


誰かを信じていいのか。


もう一度、傷つくことにならないか。


何もわからないまま、ただ目の前の時間をやり過ごしていた。


でも、優華と出会ってから、少しずつ考え方が変わった。


未来は、最初から決まっているものではない。


過去を変えられなくても、今からできることはある。


怖くても、一歩を踏み出せる。


誰かの手を借りてもいい。


時には立ち止まってもいい。


大切なのは、どんな自分であっても、自分の人生を諦めないことなのだと。


「颯太くん?」


優華が振り返った。


「どうしたの? さっきから静かだけど」


「ああ、ちょっと考え事」


「また難しいこと考えてる?」


「いや、そんなことじゃないよ」


僕は笑って、二人のもとへ歩み寄った。


「ただ、幸せだなって思って」


優華は少し驚いたあと、柔らかく笑った。


「……うん。私も」


娘が僕の手を握る。


優華も、反対側から僕の手を取った。


三人で手をつないで歩く。


その小さな温もりが、僕の胸を満たしていく。


「ねえ、颯太くん」


「ん?」


「これからも、ずっと一緒に歩いていこうね」


僕は優華を見た。


初めて出会ったとき、彼女は未来から来たと言った。


あの頃の彼女は、後悔を抱え、過去を救うために僕の前に現れた。


そして今、僕たちは同じ時間を生きている。


彼女が未来から来る必要は、もうない。


僕たちは、自分たちの足で未来へ向かっていける。


「うん」


僕は、彼女の手をしっかりと握り返した。


「これからも一緒に。何があっても、二人で考えて、二人で進んでいこう」


「うん!」


優華は嬉しそうに頷いた。


「パパ、ママ、はやくー!」


娘が少し先で振り返り、僕たちを呼んでいる。


「はいはい、今行くよ」


僕たちは顔を見合わせて笑い、娘のもとへ歩き出した。


夕暮れの向こうには、まだ知らない明日が待っている。


楽しいことばかりではないだろう。


思い通りにいかない日も、意見がぶつかる日も、迷ってしまう日もあるかもしれない。


それでも、もう怖くはなかった。


隣には、優華がいる。


僕たちの手を握る、小さな娘がいる。


離れていても心を支えてくれる、友達がいる。


過去に傷ついた自分も、あの頃の後悔も、今の僕たちをつくる大切な一部だ。


だから、忘れない。


あの日、優華が僕に教えてくれたことを。


未来は、誰かに決められるものではない。


自分で選び、大切な人と一緒につくっていくものなのだ。


僕たちはこれからも、何度だって選んでいく。


どこへ向かうのか。


誰と生きていくのか。


そして、どんな未来をつくっていくのか。


その答えを、二人で探していく。


君と出会えた奇跡に感謝しながら。


君と歩いてきた時間を胸に抱きながら。


そして、これから先に待つすべての明日を、一緒に迎えながら。


僕は優華の手を握り、笑った。


「帰ろう、優華」


「うん、帰ろう。颯太くん」


その先で、娘が待っている。


僕たちの帰る場所がある。


そして、その先にも未来が続いている。


あの日、君を救えなかった僕たちは、今、互いの手を取り合って歩いている。


過去を抱えたままでも、人は前に進める。


一人では見つけられなかった未来も、大切な誰かとなら見つけられる。


だから、僕たちは歩き続ける。


君と。


家族と。


大切な友達と。


これからも、ずっと。


-あの日、君を救えなかった僕たちへ-


完

これにて『あの日、君を救えなかった僕たちへ』は完結となります!

これまで見てくれてありがとうございました!

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