第65話……紅蓮、散る
決戦、当日――。
私の操るタイタンは、石橋の中央で真紅の魔動機と相対した。
通常、魔動機の近接装備といえば大斧が定番だ。だが、相手は長剣を構えている。
細身でありながら、特殊加工された限定種の証左だと一目で分かった。
真紅の巨体が咆哮をあげ、橋上を疾駆する。
突進とともに振り下ろされる鋭い斬撃――私は大斧を横に構えて受け止めた。
魔導機タイタンに施された外殻甲冑がきしみ、衝撃が骨を貫く。
タイタンは重装甲と膂力を誇るパワー型。
だが、相手の斬撃は速さだけでなくパワーでも上回っていた。
連続の剣閃が襲いかかり、私は防御に追われる。
なんだ、この速度と重量……!
タイタンの蒸気タービンは限界まで唸りを上げ、計器はレッドゾーンを振り切った。
駆動系の蒸気管が高圧に耐え切れず、白煙が噴き出す。
金属の軋む悲鳴とともに、操縦席の天井から黒い機械油がしたたり落ちてきた。
……これでは長くはもたない。
誰だ、老人相手なら持久戦で勝てるなどと軽口を叩いたのは。
あの老将は、齢七十を超えてなお、魔動機を振るう剛の者だったのだ。
私は冷や汗で額を濡らし、目を凝らしながら、必死に操縦桿を握りしめていた。
◇◇◇◇◇
真紅の魔動機の操縦席で、モルドフ将軍は冷然たる面持ちを崩さなかった。
「……すまんな、帝国の小僧よ。お主は見事な使い手だ。だが、この超兵器【紅蓮】の前では、お前の乗騎は玩具にすぎん」
胸部装甲に燦然と輝く黄金の紋章――それは、かつての東方パニキア大帝国皇帝専用機の証である。
その凄まじい性能と栄光を背負い、老将は操縦桿を握りなおす。
古の超文明の遺産であるパワーアシストによる軽快な操作感、バランス自動安定装置による確固たる安定性。
まるで神の御手に導かれるがごとく、老将の操る【紅蓮】は大剣を自在に振るい、【タイタン】を圧倒した。
「補助なしでその操縦の腕、まさに驚愕に値する。極めて惜しいものだ……だが、ここで絶つ。我らが祖国パニキアのためにな」
紅蓮の長剣が【タイタン】のコックピットを穿たんとした、その刹那――。
「……ぐっ……!」
将軍の顔が苦悶に歪み、鮮血が勢いよく噴き出した。
先日の狙撃による戦傷――癒えぬ右肩の深手が、度重なる無理な負担で裂けたのだ。
血潮は計器盤を覆い、全面モニターを朱に染める。
それでも老将は歯を食いしばり、剣を振り下ろそうとした。
だが、握力は失われ、鋼の巨体【紅蓮】は橋上に膝を突き、静止する。
「……わしの……戦いは、ここまでか……」
その掠れた呟きとともに、連邦最後の名将の呼吸は細く途絶えていった。
こうして、皇帝専用機【紅蓮】は、その威容を保ったまま、動きを止めた。
◇◇◇◇◇
私は荒い息を吐きながら、操縦桿を握りしめていた。
橋上に沈黙する超兵器【紅蓮】。その威容はなお凄絶で、ただ倒れ伏すだけでも周囲を圧する迫力があった。
……これが、名将というものか。
勝ったのは私だ。だが、その勝利は老将の肉体が限界を迎えた結果にすぎぬ。
剣を振り下ろそうとしたあの瞬間、もし彼に健全な体力が残っていたなら……果たして私は生き延びられただろうか。
耳の奥で、バーレ少将の言葉が蘇る。
――勝てば昇進、負ければ銃殺。
私は勝った。だが、胸にあるのは誇りよりも重苦しい歪な影だった。
コックピットの窓越しに、遠くで味方兵士たちの歓声が湧き起こる。
対岸からも、敵兵の悲鳴と怒号が交じり合うのが聞こえた。
私は操縦席の背もたれに身を沈め、濡れた額を押さえた。
……これが名誉というのなら、なんと苦い名誉か。
◇◇◇◇◇
皇帝専用機が沈黙した事実は、河岸のパニキア軍陣地に伝播するのに時間を要さなかった。
最前列の熟練兵がまず武器を放り出した。
その姿を見た後列の徴募兵たちも顔を青ざめさせ、土嚢に凭れかかっていたマスケット蒸気銃を捨てて逃げ出す。
声をかけて止めようとする下士官もいたが、部下たちに背中を押され、あっという間に彼自身が逃走の群れに呑み込まれていった。
「紅蓮が……やられたぞ!」
「もう駄目だ! 帝国軍が来る!」
叫び声が伝染病のように広がり、陣地は一瞬にして蜂の巣を突いたような混乱となった。
投げ出された銃剣、泥に転がる軍帽、まだ炊き上がらぬ麦粥の鍋さえ放置されたまま。
統制は完全に崩壊し、兵士たちはデリア河の上流へと、我先にと逃げ去っていった。
河風に翻る連邦旗だけが残り、その下には無人の陣地と、捨てられた武具の山が広がっていた。
◇◇◇◇◇
デリア河にかかる石橋での戦いを終えた私は、よろめくようにして陣地へ戻った。
タイタンの装甲は裂け、蒸気管は白煙を吐き続けている。
私の軍服も油と血で汚れ、脚は鉛のように重かった。
その私を、兵たちが取り囲んだ。
「少佐万歳!」
「よくぞやってくださった!」
歓声と共に、雨に濡れた手が次々と私の肩に触れる。
戦友たちの瞳は興奮に輝き、まるで神話の英雄を見るかのようだった。
私は息を整えようとしたが、胸の奥に広がるのは勝利の実感ではなく、ただ底知れぬ疲労感だった。
それでも、兵士たちの期待と尊敬を前に、無言で頷くしかなかった。
やがて、バーレ少将が前に進み出た。
濡れた外套を翻し、堂々とした声を響かせる。
「諸君、聞け! フォーク少佐は一騎打ちにおいて、連邦の名将モルドフを退けた。
これは第一混成旅団のみならず、帝国南方軍全体の誉れである!」
兵たちの歓呼が再び沸き起こり、雨空を突き抜けて轟いた。
少将は私の前に立ち、軍刀の柄を軽く胸に当てて敬礼する。
「フォーク少佐。汝の勇気と技量をここに表彰する。まさに栄光ある帝国軍の誇りを示したのだ」
私は直立不動の姿勢を取り、声を振り絞った。
「……はっ! 身に余る光栄にございます」
私の声は掠れ、兵たちの歓声にかき消される。
そして、胸の奥では、なおあの老将の最期が焼き付いて離れなかった。




