第58話……ベル川に轟く巨砲
数時間前の戦いで焦土と化した平野には、なおも蒸気の白煙と煤煙が漂い、蒸気式戦車の残骸は黒く煤けて並んでいた。
その静寂を破るように、私は旅団司令部の幕舎に呼び出された。
幕舎の中には、未だ激戦の香りが残り、真鍮製のランプが煤を吐きながら灯っている。
バーレ少将は机上に戦果報告書と地図を広げ、私を見据えた。
「フォーク大尉」
その少将の声音は、いつになく重く低い。
「貴官の果断なる観測により、我が旅団は敵戦車師団を粉砕し、ショーリナ攻略の端緒を開いた。その功績顕著なり」
少将は短く息を吐き、側に控えた副官へ視線を送った。
副官が懐から革製の文書筒を取り出し、私の前に置く。そこには昇進を記した軍令書と、鈍く光る銀色の階級章が収められていた。
「よって、ここに臨時の命を下す。――フォーク大尉を、帝国陸軍少佐に任ずる」
一瞬、幕舎の空気が張り詰めた。
私の背後に控えていた副官のアーデルハイトも、驚愕の面持ちで直立している。
「……はっ!」
私は敬礼し、深く一礼する。
心臓の鼓動がしずかに響き、脳裏には爆炎に沈んだ鉄獣の群れがよぎった。
あの破壊と死の渦中にあって、私は冷徹に、そして正確に座標を告げていただけだ。
だがそれが、偵察や観測を重視するバーレ少将には、今回の戦いの勲功第一と評価されたようであった。
少将は私の肩に手を置き、低く言った。
「――これより貴官は一個中隊を越え、より多くの命を預かることになる。己の心を研ぎ澄まし、帝国の優れた剣たれ」
「……はっ!」
私は力強く応じた。
幕舎を出ると、遠くの空には星たちが煌めいていた。
その景色を、私は副官と共に感慨深く見つめたのであった。
◇◇◇◇◇
丁度その頃――
帝国軍南方方面軍は、鉄路の要衝たる要塞都市ロトコフを目指して進撃していた。
ロトコフは石造りの巨大な城壁に守られた大都市であり、北方の大軍港レズニンと並び立つ鉄道網の大ターミナルでもある。
この都市からは放射状に幹線が伸び、連邦の各地と結節していた。
蒸気自動車の普及がいまだ低調なアーバレスト大陸において、鉄路は商工業と兵站の大動脈であり、蒸気列車は国運を担う輸送装置そのものであった。
このため、敵味方を問わず鉄路は極めて重要なインフラとみなされ、過去に締結された「クリシュナ鉄路協定」により、戦時であっても破壊してはならぬ取り決めとなっていたのだ。
「この都市を攻略すれば、恩賞は思いのままぞ!」
帝国第六師団長ホーフマン中将はそう叫び、兵たちを鼓舞する。
勝ち戦続きの第六師団は意気軒昂、ついにロトコフを指呼の間に望むところまで迫った。
だが都市の前面には、ベル川という大河が横たわっていた。
その雄大な流れを跨ぐのが、マズル鉄橋――複数の鉄路を束ねた大陸一、二を争うような巨大な鋼橋である。
防御側ならば橋を落とすのが常道の戦術である。だが、この大鉄橋は規模も価値もあまりに大きく、政治的にも軍事的にも破壊は不可能であった。
「戦闘工兵隊と魔動機部隊、前進! 戦列歩兵は工兵を支援せよ!」
「はっ!」
攻撃側の指揮官であるホーフマン中将は、魔動機を主力として前線に配置、そして砲兵は投入しなかった。
精密射撃を望めぬ蒸気重砲を用いれば、誤って鉄橋そのものを損壊しかねぬと判断したからである。
ガーランド帝国軍とパニキア連邦軍は、ベル川を挟み対峙する。
川幅はおよそ〇・二帝国ラトル――蒸気マスケット銃の有効射程をぎりぎり超えているのだ。
「魔動機隊、突撃!」
真鍮の甲冑に巨大な斧を携えた魔動機が、鉄橋を轟音とともに踏破していく。
連邦の戦列歩兵が数度の一斉射撃で応じるも、その鉛弾は正面装甲に弾かれる。歩兵たちの銃では、魔動機の甲冑を貫くには力不足であったのだ。
これに呼応し、帝国工兵たちは木材を担ぎ、急造の桟橋を敷設し始める。
魔動機三機が橋の中央に差しかかったその時――。
正面から黒々とした巨体が、凄まじい速度で突進してきた。
常識外れの巨大な蒸気機関車。
線路を二つ、すなわち四条のレールを占拠する巨軀が、大質量を伴う突進で魔動機を軽々と弾き飛ばしたのだ。
「……な、なんだあれは!?」
前線を双眼鏡で覗いていた第六師団参謀長シュタイナー大佐が声を荒げる。
その車両は、真鍮と鋼鉄の装甲で覆われ、各所に無数の砲塔を備えた巨大な装甲列車であった。
◇◇◇◇◇
「うははは! 帝国の鼠どもめ! 我が巨砲の威力を味わえ!」
装甲列車六両目の司令部に座すのは、パニキア連邦の装甲軌道師団長のドルコフ中将。
肥大した腹を揺らしながら、列車三両目に据えられた超大型臼砲――クマ一頭が丸ごと入れるほどの口径を誇る化け物兵器――の発射を命じた。
轟音――。大地を伝わる震動。鉄橋がきしむ。
放たれた榴弾は弧を描き、衝突により損傷し擱座していた魔動機の群れに炸裂した。
凄絶な爆炎。
分厚い装甲を誇ったはずの魔動機は千切れ飛び、鋼片と化して散った。
煙が晴れると、地面には巨大なクレーターが穿たれていた。
「……くくく、帝国のゴミ虫どもめ。これが我が鉄獣の咆哮よ!」
ドルコフ将軍は大音声で笑い、幕僚たちをもたじろがせるほどの豪声を響かせたのだった。




