第50話……蒸気と銃煙の邂逅
エーレンベルクの街外れ、帝都の喧騒から遠く離れた荒涼とした丘陵地帯で、私は良質な革の買い付けに奔走していた。
蒸気自動車のエンジンが低く唸り、煤けた煙を吐きながら未舗装の道を進む。革鞄に詰めた商談の書類が、座席の上でカタカタと揺れていた。
その時、乾いた銃声が空気を切り裂いた。
一発、また一発。鋭い音は、遠くの森から響いてくる。
私は咄嗟に蒸気自動車のブレーキを踏み、車輪が土埃を巻き上げて止まった。
この世界の私の肉体は、かつての地球での脆弱なそれとは異なる。鍛え上げられた筋肉と、まるで機械のように正確な反応速度が、私を突き動かしたのだ。
私は危険など顧みず、銃声の源へ向かって駆け出す。
森の奥、木々の間に隠れるようにして、黒塗りの小型蒸気自動車が一台、ひっそりと停まっていた。
その周囲を、煤と油に汚れた革のコートを羽織った五人の不審者が取り囲んでいる。
彼らの手には、蒸気圧で弾丸を撃ち出すピストルが握られ、鈍い光沢を放っていた。
「お前たち! 何の騒ぎだ!?」
私は声を張り上げ、素早く彼らに向かって突進した。
すると、男たちは一斉に振り返り、迷わず銃口をこちらへ向けた。蒸気ピストルの引き金が引かれ、白い蒸気と共に弾丸が飛来する。
私は瞬時に革鞄を顔の前に掲げた。
この鞄には、特注の鋼板が仕込んである。遠距離からの弾丸なら、貫通させることはできまい。
急ぎ地面に身を投げ出し、草むらに身を隠す。
次の瞬間、子爵から拝領した愛銃――精巧な蒸気機構が組み込まれたリボルバー――を抜き放ち、反撃に転じた。
銃声が響き合い、エーテル由来の蒸気の匂いが鼻をつく。
五人のうち二人が肩と脚を撃たれ、呻き声を上げて膝をついた。
残りの三人は、私が手強い相手だと悟ったのか、負傷した仲間を連れて慌てて森の奥へと逃げ去ったのだった。
「大丈夫か!?」
周囲に敵の気配が消えたのを確認し、私は黒塗りの蒸気自動車に駆け寄った。
運転席には、左腿から血を流す男が座っていた。絹のシャツと金糸の刺繍が施されたベストは、彼が相当な身分の者であることを示していた。
青ざめた顔には苦痛が刻まれている。
「……誰だ? 助けてくれ……!」
男の声は弱々しく、掠れていた。
「安心してください、危険は去りました。私は帝国軍予備役、フォーク大尉です」
私が階級を告げると、男は安堵の息をつき、そのまま意識を失った。
私は急いで彼を車から引きずり出し、シャツの裾を裂いて作った布で傷口を縛り、応急処置を施した。
彼を背負い、汗と血の匂いの中で自分の蒸気自動車まで戻る。
エンジンを全開にし、煤けた煙を吐きながら、軍の附属病院へと急いだ。
病院の門に着くと、歩哨が私の身分証を一瞥し、すぐさま大声で医務員を呼んだ。
担架で運び出され、男は白衣の群れに囲まれて病院の奥へと消えていった。
私は中庭のベンチに腰を下ろし、疲労と緊張の糸が切れた身体で煙草に火をつけた。
紫煙を吐き出しながら、革の買い付けのことよりも、男の容体が気にかかって仕方なかったのだ。
「フォーク大尉殿、……でしたな。見事な働きでした」
血と消毒液の匂いをまとった若い軍医が、にこやかに話しかけてきた。白衣の袖は赤く染まり、手術を終えたばかりの様子だ。
「手術は成功しました。命に別状はありませんよ」
私は軍医に導かれ、消毒薬の匂いが漂う病室へと足を踏み入れた。そこには、包帯に巻かれた男が、静かに眠るように横たわっていた。
私と帝国の運命を左右する出会いが、この瞬間から始まろうとしていた――。
◇◇◇◇◇
病室の空気は、消毒薬と鉄錆の匂いが混じり合い、どこか重苦しかった。
夕日が地平線に沈み、窓の外は藍色に染まり始めていた。
私は硬い木製の椅子に腰かけ、蒸気ランプの薄暗い光の下で、男の目覚めを待っていた。
革の買い付けのことなど、もはや頭の片隅にもない。なぜこの男が襲われたのか、その理由が私の好奇心を掻き立てていたのだ。
窓の外から冷たい風が吹き込み、薄っぺらなカーテンが揺れる。私は立ち上がり、錆びた窓枠を力任せに閉めた。
その瞬間、背後のベッドからかすかな呻き声が聞こえた。
「……助かった、ようだな?」
男の声は弱々しく、しかしどこか品格を漂わせていた。
「お目覚めですか?」
私は振り返り、にこやかな笑みを浮かべて彼の顔を覗き込んだ。包帯に覆われた顔は青白く、しかしその瞳には鋭い光が宿っていた。
「君が……、私を助けてくれたのか?」
彼はわずかに身を起こし、探るような視線を向けてきた。
「ええ、まあ。ですが、手柄の半分は軍医殿のものですよ」
私は軽く肩をすくめ、冗談めかして答えた。
「ふふふ、面白い男だな、君は」
男はかすかに笑い、口元に微かな余裕が浮かんだ。
その笑顔を見た瞬間、胸の奥で何かが引っかかった。どこかで見た記憶――遠い過去の断片のようなものが脳裏をよぎる。
私は思わず身を乗り出し、男の顔をじっと見つめた。
「どこかでお会いしていましたか? どうも、顔に見覚えが……」
「ふふふ、君は私を知らないのかね?」
男は楽しげに目を細め、震える手で顔に手を伸ばした。そして、ゆっくりと、大きな付け髭を剥がした。
「……っ!」
私は息を呑んだ。記憶の霧が一瞬で晴れる。
この男は、帝国の新宰相――メンゲンベルクその人だったのだ。
「閣下……!?」
私の声は、驚愕に震えていた。なぜ宰相がこんな辺鄙な場所で、命を狙われるような事態に陥っていたのか。
病室の薄暗い光の中で、新たな謎が私の前に立ちはだかっていた。




