アルメルスの断罪 ~失われた過去と、未来への残照~
これは今から四年前——世界の命運が大きく狂い始める、少し前の物語。
そこは、人間界とは異なる理で成り立つ世界——魔導都市アルカディア。
白と青を基調とした美しい大理石の建築物が、眩い陽光を受けて優雅に輝いている。街路樹には淡い光を宿した神秘的な花が咲き誇り、風が吹き抜けるたびに結晶化した魔力の粒子がきらめいて空へと舞い上がっていた。
見上げれば、青空には幾つもの浮遊島がゆったりと浮かんでいる。洗練された住宅街や研究施設、そして天を突く巨大な魔術塔。島と島との間には煌めく魔力の橋が架かり、人々を行き交わせている。
誰もが生まれながらに魔力を宿し、空を飛ぶことも物を浮かすことも日常の一コマに過ぎない。街全体が、静けさと荘厳さを併せ持つ魔力の調べに包まれていた。
その都市の中心にそびえ立つのが『アルカノア魔導高等院』だ。
人間界でいう高校に相当するこの学び舎には、莫大な魔力の資質を持った「適性者」たちが集い、日々厳しくも華やかな鍛錬に励んでいた。
——パンッ!
高等院の訓練場。広大な畳敷きの床に、青い魔力の残光が幾筋も刻まれていた。
「はあっ!」
鋭い掛け声とともに、魔那美が右手を鋭く突き出す。瞬間、可視化された真空の刃が高速で大気を引き裂き、正面に立つアルファロスへと飛んだ。
それとほぼ同時、空間を蹴って上空へ躍り出たのはベルナエルだ。魔力で形成した紫黒のビーム刃を右手に握り締め、弧を描きながらアルファロスの死角へと斬りかかる。
「今だっ!」
二人の完璧な同時攻撃。しかし——アルファロスは微かに体を捻っただけで真空の刃を紙一重でかわすと、振り下ろされたベルナエルのビーム刃を左手一本で受け止めて見せた。
魔力と魔力が激しく衝突し、紫と金の火花が爆ぜる。
「まだまだ甘いですね」
アルファロスが静かに微笑んだ直後、彼から爆発的な魔力の波動が放たれた。
「うわっ!?」
「くっ……!」
魔那美とベルナエルは同時に吹き飛ばされ、丈夫な畳の上を派手に転がった。
二人は荒い息を吐き出しながら、なんとか膝をついて上体を起こす。褐色の肌を汗で湿らせたベルナエルは、乱暴に銀髪をかき上げた。
「……これで、百連敗かよ。二人で連携しても勝てないなんて……やはり師匠は強すぎるわ」
悔しげに歯を食いしばる彼女の顎から、汗の滴が落ちて畳に小さな染みを作る。紫色の瞳には、負けず嫌いな苛立ちと、隠しきれない敬意が混ざり合っていた。
隣では魔那美も肩を上下させ、呼吸を整えながら額の汗を拭う。濡れた水色の美しい髪が頬に張り付いていた。
歩み寄ってきたアルファロスは、二人を見下ろして穏やかな笑みを浮かべた。
「いや、二人とも以前よりかなり上達されていますよ。ただ……アルメルス様はまだ魔力の循環が未熟です。ベルナエルは勝ちを急ぎすぎて、冷静な立ち回りが足りません。勝機を焦れば、必ず敵に隙を突かれますよ」
◇
訓練を終えた三人は、訓練場から少し離れた木陰の休憩所にいた。
風が心地よく吹き抜けるベンチに腰を下ろすと、アルファロスが冷えたハーブティーを差し出す。
「ベルナエル様は黒魔法に、アルメルス様は時空操作魔法に特に高い適性をお持ちです。才能の方向性がはっきりしているのは、実に頼もしいことです」
ベルナエルはティーカップを片手で揺らし、ふっと鼻で笑った。
「才能なら私のほうが上だな。……だが何故アルメルスは黒魔法を習得しない?」
その声には認めがたい苛立ちと、親友への憧憬が混ざり合っていた。自分より巨大な潜在能力を持ちながら、それを頑なに「使わない」アルメルスに対するもどかしさ。
アルファロスは静かに、しかし威厳を込めて諭した。
「アルメルス様は潜在能力が極めて高いですが……白魔法の適合者が黒魔法を使おうとすれば、魔力を暴走させる危険性を孕んでいます。無理に相反する力を扱おうとすれば、己の魂を蝕みかねません。……黒魔法は、決して使ってはなりません」
「……うん、わかった」
魔那美は素直に頷いたが、ベルナエルは納得がいかない様子でカップを机に置いた。
「ふん……優れた才に恵まれながら、それを使おうとしないのは愚かなことだ。私から見れば、お前はその甘さを捨てれば……世界を変えることさえできると思うのだがな」
「世界を……変える力……」
魔那美は何とも言えない複雑な表情を浮かべ、膝の上で指先を小さく震わせた。
(……世界を変える力。でも、もしそれが暴走したら……大切な人を傷つけてしまうかもしれない……)
微妙な空気を察したアルファロスが、パンと手を叩いて立ち上がった。
「さあ、二人とも。次は座学の時間でございます」
◇
アルカノア魔導高等院の大講義室。
ここには孤児も富裕層も関係なく、魔力適性を認められた五百名以上の生徒が在籍していた。成人後に最高位の「魔法執行者」となれるのはほんの一握りのエリートのみ。
訓練服から白を基調とした優雅な魔導服に着替えた魔那美は、窓からの光を浴びながら真面目にペンを走らせていた。
その隣では、黒を多くあしらった対照的な魔導服を着たベルナエルが、机に突っ伏して深いため息をついている。
「……座学は性に合わんな……」
ぼやくベルナエルに、右隣から明るい声が飛び込んできた。
「ベルナエル、ちゃんと授業を受けないとダメだよー? 単位落としちゃうよ?」
水色の瞳を輝かせ、金のセミロングを揺らして微笑む少女——プリンシパルだ。三人の中で一番朗らかで、いつも輪の中心にいる存在。
「技の多彩さならお前のほうが上だろ。私は黒魔術と時空魔法に特化してるだけだ」
「いいなあ、二人とも。私なんて時代遅れの西洋魔術使いで才能ないし……二人はもうエリートコース確定みたいなものじゃん」
魔那美はノートから顔を上げ、優しく首を振った。
「まだ決まってないよ。師匠は、白魔術を生かした魔術医療師が向いてるんじゃないかって言ってたけど……」
「私は伝説の暗黒魔法詠唱者かな。世界を混沌に陥れたっていう……」
ベルナエルがニヤリと笑うと、魔那美とプリンシパルは同時に顔を見合わせ、それから小さく吹き出した。
「冗談だよ。……まあ、半分本気だけどな」
かつて——中等部に入学して間もない頃、孤児出身のプリンシパルが富裕層の生徒たちにいじめられていたのを、同じく貧困層出身のベルナエルが拳一つで助け出したことがあった。
そしてその数日後、アルファロスに連れられてやってきたのが、名門出身のお嬢様——アルメルス(魔那美)だった。
最初は「お嬢様の道楽か」と突っかかったベルナエルだったが、組手で見せた魔那美のひたむきさと純粋な強さ、そして誰に対しても分け隔てなく接する優しさに触れ、いつしか頑なな心を開いていった。
やがてプリンシパルも加わり、出自も性格も違う三人は、かけがえのない絆で結ばれたのだ。
(今となっては、懐かしい思い出だが——)
授業の音を子守唄代わりに、ベルナエルがウトウトと揺れる。
その横で、魔那美はふとノートに視線を落とした。
(将来、か……)
魔法法曹の道を疑いもなく目指してきた。だが、「自分が本当はどうしたいのか」までは考えたことがなかった。その小さな疑問は、親友たちの暖かな気配の中に静かに溶けていった。
◇
昼休み。屋上庭園の大理石のベンチで、ベルナエルが青空を見上げて呟いた。
「……なあ、外の世界に行ってみたいと思わないか?」
「どうして? 私は……今の生活に十分満足しているけど」
「私たちは最高位について成人しないと、外に出られないだろ。正直、窮屈で仕方ない。師匠の許可がないと魔法もろくに使えないし、本気を出せる相手もいない」
ベルナエルは少しだけ視線を魔那美に向け、いつもの不敵な笑みを浮かべた。
「あー、早く大人になりたい。この世界の外に、どんな景色が広がってるんだろうな……」
(外の世界……)
魔那美は膝の上で手をギュッと握り締めた。この美しいアルカディアが世界のすべてだと思っていた。けれど、親友の瞳に宿る焦がれるような光を見ていると、胸の奥に小さな波紋が広がっていく。
「……どんな世界が、広がっているんだろうね。……でも私、ベルナエルとプリンシパルがいる今の時間も大好きだよ。ずっと三人でいられたら、それだけで幸せだな」
「……っ。そういうところだぞ、お前は」
ベルナエルは顔を真っ赤にしてフイッと視線を逸らした。
廊下を並んで歩いていると、最近街で囁かれている「異界の魔物」の噂に話題が及んだ。
「結界で守られているとはいえ……もし襲われたら大変だよね」
「私はむしろ戦ってみたいがね。師匠以外に思い切りやれる相手がいない」
そう強がるベルナエルに、プリンシパルが二人の間に割り込むようにして言った。
「ねえ……私、二人に本当に感謝してるの。身寄りもなくて、何者かも分からなかった私に手を差し伸べてくれて……。アルメルスのおかげで、自分の進むべき道が見えた気がする」
「今さら水臭いこと言うなよ」
「だから……これからもずっと、友達でいてね?」
「もちろんだ」
ベルナエルが親指を立てると、魔那美も柔らかく微笑んだ。
「大丈夫。プリンシパルが魔物に襲われたら、私が絶対に助けるから」
「約束だよ! 私、か弱いんだからね!」
三人は笑い合い、小指を絡めて指切りをした。
平和が百年以上続くこの街に、魔物が現れるはずなどない——当時は、誰もがそう信じて疑わなかった。
◇
瞑想室の柔らかな青い光の中で、アルファロスは目を閉じる魔那美を見つめていた。
「……どうしました、アルメルス様。集中が乱れています」
魔那美がゆっくりと開いた瞳には、重い影が落ちていた。
「……ねえ、アルファロス。もし私が、大切なものを守るために『禁忌』を犯したら……どうする?」
一瞬、室内の空気が凍りついた。
「……そんな日は、決して来ません」
「もしもの話よ。秩序を守って仲間を見捨てるか……秩序を破って仲間を守るか……私はどちらを選ぶべき?」
アルファロスは答えなかった。長い沈黙の末、魔那美は寂しげに立ち上がった。
「ごめんね、変なこと聞いて。忘れて」
去っていく弟子の背中を見送りながら、アルファロスは胸を突くような胸騒ぎに眉をひそめた。
(最近のアルメルス様は、何かを焦っておられる……。私の指導に間違いはなかったはずだ。だが……永遠に続く平和など存在しない)
先人たちが張り巡らせた結界は完璧だ。万が一にも破られることはない——そう自分に言い聞かせ、アルファロスもまた部屋を後にした。
◇
——それから幾日もしない、ある日の放課後。
研究室に一人こもっていた魔那美の胸を、突如として激しい胸騒ぎが襲った。
胸を押さえ、たまらず外へ飛び出した彼女が目にしたのは、異様な暗黒に染まりゆくアルカディアの空だった。
学院の中央広場は、既に地獄絵図と化していた。
倒れ伏す生徒たち、響き渡る悲鳴。その中心で膝をついていたのは、肩で息をするプリンシパルだった。
「アルメルス……! 突然、魔物が……!」
「プリンシパル!!」
駆け寄り、抱きしめる。あの日交わした指切りの約束が脳裏を駆け巡る。
ズズズズズズ……!!
空気を力任せに引き裂くような重低音が響き、虚空に亀裂が走った。
這い出てきたのは、ムカデのような長大な胴体に無数の腕を生やした、悪夢のような形の異形。
「虚蝕領域……!? 異界の魔物……!?」
魔物が低い唸り声を上げ、捕食対象を定めるように首を巡らせる。次の瞬間、極太の腕がプリンシパルに向かって肉薄した!
「きゃああああっ!?」
迎撃の魔術は硬い外殻に弾かれ、プリンシパルの華奢な体が魔物の鉤爪に捉えられた。
「うあぁっ……離して……!」
「プリンシパル!!」
助けを呼ぶ時間はない。今、自分が動かなければ親友は殺される。
震える指先。頭の中に響く師の戒め——『黒魔法は決して使ってはならない』。
(でも……今助けなきゃ、私は一生後悔する……!)
『世界を変える力がありながら、行使しないのは愚かだ』——親友の言葉が背中を押す。
「……今の私なら……制御してみせる……!!」
魔那美は両手を広げ、全魔力を解放した。
「——来いッ!!」
ドバッ!!と漆黒の魔力が吹き荒れ、重力すら捻じ曲げる圧迫感が広場を支配する。魔物の周囲に展開された漆黒の亜空間が、万物を飲み込むブラックホールと化す。
「ギギャアアアアアッ!!」
断末魔とともに魔物が亜空間へ引きずり込まれていく。
勝った——そう思ったのも束の間。
「……あ……っ!?」
引きつった魔那美の声。制御が破綻した。
暴走を始めた黒魔法がアルカディアの空間そのものを歪め、建造物を粉砕し、各地に空間の亀裂を発生させていく。悲鳴と混乱が都市を覆う。
「アルメルス!!」
「プリンシパルっ!!」
手を伸ばす二人。しかし、引き裂かれた空間の断層が容赦なく二人を分断する。
「アルメルスぅぅっっっっっっ!!」
涙を流す親友の声が空間の裂け目に吸い込まれて消え、魔那美の意識もまた深い闇へと落ちていった。
◇
アルカディア最高審議会での議論は不空を極めた。
彼女の魔力を剥奪し、異世界へ追放すべきだという決定に対し、「街を守ろうとした功績もある」と擁護する声もあったが、「再度の暴走に誰が責任を取るのか」という恐怖の声に押し切られた。
何より審議会は、彼女が秘めた『世界を滅ぼしかねない潜在能力』そのものを恐れたのだ。
数週間後——魔術評議会の間。
冷たい大理石の広間に、一人佇む魔那美。
「アルメルス殿。貴殿に魔力の大幅剥奪、および人間界への無期限追放を命ずる」
宣告が下り、魔那美の胸に冷たい虚無が広がった。故郷も、未来も、すべてを失う。
「……アルメルス様……っ! 私が……私がもっと確りと導いていれば……!」
傍らで膝をつき、大粒の涙を流して乞うアルファロス。いつも厳しかった師が、崩れ落ちるように泣いている。
その隣で、ベルナエルは血が滲むほど強く拳を握りしめていた。
(大人たちも、法廷も……誰もアルメルスを守らない……! 大切なものを守ろうとした結果がこれかよ……! 力なき正義なんて……何の意味もないじゃないか!!)
審判員が魔那美の腕を掴み、連行しようとしたその時。
「……待って……!」
魔那美は拘束を振り払い、二人の元へなりふり構わず走り出した。
「ごめん……私、本当は行きたくないの……!! 二人と離れるのも、故郷を失うのも嫌……嫌だよぉッ!! 私はただ、大切な人を助けたかっただけなのに……! 私のしたことは……間違ってたの……!? 誰か教えてよぉおおおッ!!」
抑え込んでいた感情が爆発した、痛切な慟哭。
駆け寄ったベルナエルとアルファロスは、周囲の目を気にすることなく魔那美を強く抱きしめた。
「絶対に……プリンシパルを探し出してみせる……! どんな手を使ってでも……! お前の無念は、私が晴らす……!!」
「必ず……迎えに行きます……! だからそれまで待っていてください、アルメルス様……!」
「暴れるな! 反逆罪に問うぞ!」と引き剥がそうとする大人たちに、ベルナエルは噛みつくように叫んだ。
「放せよ……!! ちくしょう……!!」
(また守れなかった……! なんで私には……力が無いんだ……!!)
引き裂かれる身体。魔那美は涙でぐしゃぐしゃになった顔で、最後に最高の笑顔を作ってみせた。
「……ありがとう……大好きだったよ……」
直後、白い光が彼女の身体を呑み込んだ。
◇
……ふと目を覚ますと、そこは見知らぬ青空の下だった。
「……ここが……人間界……」
頭上を飛ぶカモメを見て「見たことのない生き物……」と呟く。
視線の先には、どこまでも広がる青い海。海見町の潮風が、追放されたという事実を冷酷に告げていた。
似ているようで全く違う、殺風景な建造物が並ぶ街並み。
「……私は、全部……失ったんだ……」
失意の中、リュックの奥に固い感触を覚えた。引き出してみると、それは小さな砂瓶だった。
「これ……プリンシパルがくれた、宝物……」
持ってきた覚えのないそれ。きっと、あの混戦の中で奇跡的に紛れ込んだのだろう。
耳の奥に、二人の最後の叫びが蘇る。
『絶対に見つけ出してみせる……!』
『必ず……迎えに行きます……!』
魔那美はゴシゴシと力任せに涙を拭い、ゆっくりと立ち上がった。
「そうだ……まだ終わっていない。プリンシパルを助けて……あの場所に帰らなきゃ……!」
瞳に、静かな決意の炎が灯る。
「私は……戦い続けなきゃいけない。全てを取り戻す、その日まで……!」
潮風に誓いを立てたその時。背後から重みのある声が響いた。
「君には……SA(特殊能力)の素質があるようだな」
振り返ると、そこに立っていたのは白髪の混じった体格の良い男だった。どこか疲れを滲ませながらも、奥底に深い知性を宿した瞳。
「……興味はあるか? この世界を、異界の侵略者から守る戦いに」
「……あなたは、誰?」
「ただの、道に迷った教師だ。……いや、君を待っていた『運命』かもしれないな」
寄せては返す白い波。魔那美は一瞬空を見上げ、ふっと口元を緩めた。
「……ふふ。面白いことを言うのね」
こうして、異世界から追放された魔女——魔那美は『海見第一高校』に入学し、ASPT(異能研究会)の仲間たちと出会うことになる。
そして三年後、彼女は知ることになるのだ。
この出会いが、世界の命運を懸けた壮大な戦いのほんの「始まり」に過ぎなかったことを。




