紅き先輩と金の後輩 ~気まずさと、拳と刃の会話~
陽翔たちが千葉の房総半島に現れた巨大なゲートの解放へと向かっていた、まさにその頃——。
SAPTのメンバーである二年生の結愛と、三年生の椿姫の二人は、不定期に学校の敷地内へ侵入してくるAGSや、街に出没する邪悪な存在への対処に追われていた。
だが、現在の二人には戦闘以上に大きな、そして深刻な問題が存在していた。
——とにかく、尋常ではないほど気まずいのだ。
放課後の部室。二人きりの空間に、重苦しい沈黙が横たわっている。
結愛はパイプ椅子に腰掛け、机の上で国語のノートを開いて真面目にペンを走らせていた。一方の椿姫はソファーに深く腰掛け、足を組みながらパラパラとファッション雑誌のページをめくっている。
(あ、うぅ……息が詰まりそう……)
結愛はチラリと先輩の顔を盗み見た。鮮やかな紅髪、凛とした目元、陸上と格闘技で鍛え上げられた無駄のない体躯。どこからどう見ても「近づきがたい一匹狼の先輩」そのものだ。
結愛は意を決して、消え入りそうな声で口を開いた。
「……あの、紅先輩。なんか冷たい飲み物でも買ってきますね……?」
「いや、いい。……今、別に喉乾いてないし」
雑誌から目を逸らさず、冷淡な声が返ってくる。瞬殺だった。
結愛は冷や汗を流しながら、必死に共通の話題を探そうと脳みそをフル回転させる。
「……あ! も、もしよかったら『ガンダムVSガンダムNEXTPLUS』で対戦しませんか!? 私、ユニコーン使いで……!」
「NEXTPLUSとかいつの時代のゲームだよ……。私シナンジュ使いだからマキブ(マキシブースト)しか遊びたくないんだけど」
「あ、はい……」
会話はまたしても一瞬で途絶えた。
明るく距離を縮めようとする結愛だったが、椿姫のあまりにドライな返答に心が折れそうになる。だが、ここで諦めたら永遠に気まずいままだ。結愛は視線を椿姫の手元に向けた。
「あの、椿姫さんってファッション雑誌とか読むんですね。その……陸上一筋って聞いてたから、そういうおしゃれには興味がないのかと……」
「あん!?」
雑誌がバサッと閉じられた。椿姫が鋭く、ガンの効いた瞳で結愛を睨みつける。
「陸上や格闘技やってたらファッション雑誌読んじゃいけないわけ!? 偏見凄くない!?」
「そ、そういう意味じゃないですっ! 余計なこと言ってすみませんっ!」
(うわあああん! 余計に空気を悪くしちゃったーっ!)
結愛が心の中で頭を抱えていると、椿姫はハァと小さく息を吐き、視線を雑誌に戻した。
「あんたは二年だっけ。さっきから猛勉強してるけど、家業でも継ぐんじゃないの?」
「え……。あ、私、家業はちょっと継ぎたくなくて。一応大学を目指そうかなって……。まだ行きたい学部とかは決まってないんですけど」
「やりたいことも決まってないのに大学を目指すとか……いつかのバカ陽翔みたいね」
どこか呆れたような、冷めた声。だが、結愛は胸の内で小さくガッツポーズを作っていた。
(あれ……? なんかギクシャクしてるけど、ちょっとだけ会話のリズムが生まれてきたかも……!?)
結愛は勢いに乗って、次の質問を投げかけた。
「紅先輩は……」
「……椿姫でいいよ。ぶっきらぼうでいいから」
「あ、はい。……椿姫先輩は、中学の頃から陸上をやってたんですか?」
「……いや」
椿姫はほんの少しだけ視線を泳がせ、不機嫌そうに唇を尖らせた。
「中学の頃はバレー部。……あんまり話したくないんだけどね」
◇
椿姫は中学時代、バレーボール部のアブソリュートなエースとしてコートに君臨していた。
圧倒的な実力でチームを引っ張っていたが、勝ちにこだわるあまり部員たちに厳しく接しすぎてしまい、深刻な反感を買ってしまった。結果として大会直前に部員たちが集団ボイコットを起こし、チームは無惨に崩壊。スポーツ推薦の話も白紙となり、失意のまま現在の高校に入学することになったという。
「それからは本当に酷かったわよ。陰湿ないじめは受けるし、部を壊した張本人として周囲からは叩かれるし……。でもまあ、今思えばみんなの気持ちを何一つ考えてなかった私が一番悪かったんだけどね。……だから決めたの。二度と集団競技はやらないって」
椿姫は自分の爪をじっと見つめながら、静かに言葉を重ねる。
「過去を捨てて、陸上を選んだ。陸上や格闘技なら個人競技でしょ? 勝っても負けても全部自己責任。誰かに足を引っ張られることも、誰かを傷つけることもないから」
結愛は息を呑んだ。
ただの「怖くて言葉遣いが荒い先輩」だと思っていた。だが、その裏には誰にも言えない深い挫折と傷痕があったのだ。
結愛は静かに短刀の柄に触れ、自身の苦い記憶を呼び覚ました。
「……私も、似たようなものです」
「え?」
「私……幼い頃から暗殺者として『十年に一人の逸材』だって持ち上げられて。同世代の女の子が遊んでいる間も目もくれず、来る日も来る日も殺しの訓練ばかり受けてきました。当然のようにエリートコースを歩むはずだったんです。……でも、中学三年生の時の、初めての暗殺任務で……」
結愛の表情が苦痛に歪む。
「……ターゲットの近くにいた、全く関係のない子供に大怪我をさせてしまったんです。……そのショックで、しばらく反動で剣も握れなくなって……。今はなんとか戦えるようになりましたけど、それ以来、どうしても人を殺せなくなってしまいました」
「……」
「一族からは『欠陥品』だの『一族の恥』だの散々言われました。だから……決めたんです。誰かに敷かれたレールを歩くのはもうやめようって。自分で決めた道なら自己責任だし、成功しても失敗しても全部自分のもの。それなら……後悔せずに生きられるかなって」
ぽつり、ぽつりと語られた結愛の告白。
沈黙が再び部室を包み込んだが、先ほどまでの刺々しい気まずさは綺麗に消え去っていた。
互いに自嘲気味に微笑み合う。
(私達……もしかして、根っこの部分がすごく似てるんじゃ……?)
二人の心がほんの少しだけ重なった、まさにその瞬間だった。
ジリリリリリッ!
結愛のスマホが甲高い警告音を鳴らした。画面を見ると、大槻先生からの緊急連絡だ。
『旧校舎の使われていないグラウンド跡地にAGSが出現した! 中堅クラスだ、二人で至急対処してくれ!』
「……行くよ、結愛!」
「はい、椿姫先輩!」
二人は顔を見合わせ、蹴破るような勢いで部室を飛び出した。
空き地の中央には、ドロリとした黒い霧を全身に纏う、異形の人型AGSが佇んでいた。
これまでの下級個体とは明らかに一線を画す、禍々しい圧迫感。
「っ……! 鋭い……!」
椿姫が自身の固有能力である『予知』を発動させた瞬間、AGSは目にも留まらぬ速度で肉薄してきた。ギチギチと音を立てる爪が椿姫の脇腹を掠め、鮮血が舞う。
「椿姫先輩っ!」
結愛が瞬時に二振りの短刀を抜き放ち、弾丸のように飛び込んだ。しかしAGSは身を捻って刃を軽々と回避すると、しなる鞭のような裏拳を結愛の肩口に叩き込んだ。
「くあッ……!?」
激しい衝撃とともに結愛の体が吹き飛ばされ、泥煙を上げて地面を転がる。
「……ふざけんな。この程度で調子乗ってんじゃないわよ……!」
椿姫は脇腹を押さえ、歯を食いしばりながら立ち上がった。結愛もすぐに体勢を立て直し、短刀を構え直す。
だが、まだ二人には「連携」の実績がない。互いの間合い、動きの癖、呼吸のタイミング——相手を完全に信用し切れていないため、どうしても攻撃に一瞬の遅れが生じる。
AGSは二人を嘲笑うように不気味な声を上げ、次の殺意を秘めた突進を仕掛けてきた。
その刹那——。
(……見えた!)
椿姫の視界に、0.8秒先の未来の映像が鮮明に浮かび上がる。
迷っている暇はない。椿姫は喉がちぎれんばかりの声で叫んだ。
「結愛! 右に跳んで!! その後、背後に回り込める!!」
結愛の思考が一瞬止まり——次の瞬間、思考よりも早く身体が反応した。
「……了解ですっ!!」
結愛が影のように右側へ跳躍。AGSの爪が彼女の残像を空切る。
その大振りの隙を逃さず、椿姫が限界まで強化した踏み込みから、重厚な右ストレートをAGSの脇腹へ叩き込んだ!
ドゴンッ!!
「……ガァっ!?」
衝撃波が弾け、あのAGSが初めて大きく体勢を崩した。
「今です、椿姫先輩!!」
暗殺術の真骨頂である神速の歩法。結愛はAGSの死角である背後へと滑り込み、二振りの短刀を美しい十字の閃光となって振り下ろした!
「ぐあっ……!?」
「まだまだぁッ!」
結愛の奇襲によって生まれた隙に、椿姫が『予知』をフル回転させながら怒涛の連続打撃を叩き込む。
拳が肉を撃ち抜き、刃が黒い霧を切り裂く。交互に繰り出される容赦のない連撃。
椿姫(内心)(……あんたの奇襲、度胸も含めて意外と信用できるじゃない……!)
結愛(内心)(椿姫先輩の予知……的確すぎる……! これなら、背中を預けられる……!)
互いへの信頼が、不揃いだった二人の呼吸を寸分の狂いもない「一なる連動」へと変えていく。
そして——椿姫の瞳が予知の光を放ち、AGSの持つ最大の死角を見抜いた。
「そこだ、結愛ぁッ!!」
「これで……終わりですッ!!!」
椿姫の右前蹴りがAGSの体勢を完全に崩し、その隙間へ結愛が全身の力を込めて二振りの短刀を突き刺す!
ドゴォォォォンッ!!
黒い霧が爆発的に拡散し、AGSの巨体が粒子となって夜の空へと霧散していった。
静寂が戻った空き地で、結愛は肩で息をしながら短刀を鞘に納めた。
「……や、やりましたね……っ!」
「……ふぅ。まあね」
椿姫は乱れた髪をかき上げ、脇腹の傷を抑えながらフッと不器用な笑みを浮かべた。
「……ただ剣を振り回すしか能のないお嬢様だと思ってたけど。案外やるじゃん、見直したよ」
「私だって……予知の力に頼り切りの人だと思ってました。でも、やっぱり圧倒的な基礎の格闘術があるからこそ戦えてるんですね。すごいです、椿姫先輩」
「ふん。なかなか悪くない観察眼じゃない」
素直じゃない言葉の応酬。だが、そこには先ほどまでの重苦しい気まずさは微塵もなかった。
不器用で、過去に傷を抱えた似たもの同士の二人に、戦いを通じて確かに強固な絆が芽生えた瞬間だった。
◇
その頃。
少し離れた校舎の二階、職員室の窓辺から大暮先生が静かにその光景を見つめていた。
「……あの二人、どうやら上手く打解けたようで何よりだ」
手元の缶コーヒーを一口含み、大暮先生は満足そうに目を細める。
そして、そのまま誰もいない夜の校庭の向こう、遠い空を見つめてぽつりと呟いた。
「…………茜くんも、早く帰ってこい」
夜風が静かに吹き抜け、二人の新しい相棒たちの笑い声をどこか遠くへと運んでいった。




