盲目な青年の旅の記憶 後編
初めて色を見た。母が言った。空は青いと。あれが、青い。ああ、綺麗だな。どこまでも広がっていて、どこまでも続いていて。
地面のこのふさふさしているのは草というものか。それとも花か。花は色とりどりだと母は言っていた。ならばこれは草か。これは緑でいいのだろうか。母は草は基本緑だが、赤や黄、茶色など様々な色があると言っていた。
手入れされたとても綺麗な草だ。これはきっと緑だろう。
少し進むと、いつの間にか空は緑に遮られていた。
横を見ると太くざらざらしたものがある。上の方に緑色のものが付いていることからこれは木だろう。これが茶色か。そして上のは葉か。風に揺れて自然の音楽を奏でている。家で天気の良い日にいつも聞いている心地の良い音だ。人の心を安らげる為に風が指揮し、葉がリズム良く奏でているかのよう。
下のこれは土だな。土も茶色だ。でも、木の茶色とは異なる。これが濃淡。輝きを、影を作るものか。
「はは、木に何かいる。あれが動物というものか。小さいな、可愛いな」
小さい体に茶色を基調とした色んな色が刻まれている。その色が織りなす形が模様というものか。
「いいな、世界はいいな、世界は綺麗だな」
同じ色でも似たような色でも、全く同じでない。少しずつ個性を持ち、世界に色んな色を付けている。
「これは花か。何色だろうなこの花は」
母が言っていた花びらというものが無数に付いている。数えるだけで一日が潰れてしまいそうだ。青でも、緑でも、茶色でもない。強いていうなら茶色に近い美しい花。
「凄いな記憶は。匂いまでも嗅ぐわってくる」
山を降りてまもなくして、水が動く場所に出た。
「これが海か」
海は青いと母が言っていた。どこまでも広がる、空とは違う透き通った美しい青。あれが地平線か。遠くにいくほど海の青は濃くなっている。
しかし、間近で見るとその海の色は失われている。手で水を掬うと、自分の手の色である茶色……いや、肌色が目に入る。
「これが無色透明か。持たざるが故に何色にもなれる素晴らしい色」
世界は多くの色に溢れている。多くの形に溢れている。多くの模様に溢れている。
魔法なんてとても綺麗で摩訶不思議だ。何もなかったその場から、急に色が現れる。無色透明の色が物を操っている。
触れるだけでは、聞くだけでは読み取れなかった情報が、見る事で正確に、格段に、何より輝いて受け取れる。
元気。笑顔。悲しみ。涙。怒り。苦悶。気まずい。嘘。喜び。そして、愛。なんとも素敵な世界なのだろう。
人も、土地も、建物も、物も、動物も、同じ世界に存在しているものであるのに、少し歩を伸ばすだけで異なっていく。多様に富んでいる。
血生臭い戦場の横の国では、人々が穏やかに暮らしている。光あるところに影あり。手放しに言える言葉ではないが、これもまた世界なのだろう。
次はどこに行くのだろうか。緩やかな傾斜の続く、青々とした山の頂上に木造の一軒家が建っている。とてもこじんまりとした、愛らしい良い家だ。
ドアが開くと、穏やかな笑みを浮かべた素敵な初老の女性が迎え入れる。
物が少ないからか、外から見た印象よりかは広い家。
一つの部屋に案内され、その部屋には、目に光を宿さない、ほんの少しの笑みを浮かべた白い男性が一人座っていた。
──ああ、僕だ。
では、先ほどの女性は母だ。中身同様とても優しそうな母だ。若い母を知らないが、随分と歳を取ったと思える母だ。一緒にいると安心する母だ。
「ああ、母さん、あなたの姿を見れて僕は幸せです」
◇◆◇◆◇
運び屋はブラインド・スクリーンと手を離す。
「依頼は完了しました」
「ああ、ありがとう。とても素敵な日々を過ごさせてもらったよ。この記憶は一生大切にするよ。運び屋さんのおかげで、世界を、母をもっと愛することができました」
運び屋は依頼金を受け取り、キャスケットを被って一礼した。
「またのご利用をお待ちしております」
家を出ると、初老の女性が運び屋に対し腰を折り、声をかけた。
「息子と会わせていただき、ありがとうございました」
運び屋は一切振り返らず、キャスケットを少し深めに被り山を降りていった。




