盲目な青年の旅の記憶 前編
緩やかな傾斜の続く、青々とした山の頂上に木造の一軒家が建っている。
そんな一軒家に静かに響く靴音が近づく。
「はじめまして。ブラインド・スクリーン様より依頼を受けました運び屋です」
少し太った初老の女性は快く招き入れ、一つの部屋に運び屋を通した。
パジャマのような緩い格好をした、白濁した光のない目をした青年が、パーソナルソファに腰掛け、白い杖はすぐ側に立て掛けられ、運び屋の方を一切見ず、ただ真っ直ぐ向かいのパーソナルソファに視線を置いていた。
「はじめまして。依頼を受けました運び屋です。本日はどのような要件をご所望でしょうか」
運び屋はキャスケットを脱ぎ、胸元に添えて一礼した。
「やあ、はじめまして。とても聞き取りやすい綺麗な声をしているね。ブラインド・スクリーンだ。僕は目が不自由でね、少々不快な思いをさせてしまうかもしれないが、多めに見てほしい。どうぞ、ソファに座って気楽にしてください」
運び屋がソファに座ると、初老の女性は二人にお茶を差し出した。
女性はブラインド・スクリーンの手にカップの取っ手を触れさせ、彼は軽く指を通した。
「ご要件は」
「僕は小説家をしていてね。以前出した冒険譚がかなり好評だったようで。母に届いた感想の手紙を聞かせてもらったんだ。深い描写、繊細な表現、物語という事を忘れるほどの言葉選び。どれも素敵な感想だった。でも僕は、一度も色のついた世界を見たことがない。赤とは何か、青とは何か、人はどのような色をしているのか、森はどのような色をしているのか、空は、海は、今見ている僕の世界は、僕は何も知らない。何も知らない僕が、ただ知っているだけの言葉を並べた小説の描写。それは、感想をくれた読者に失礼だと思ったんだ。話が長くなってしまったね。簡潔に言うと、僕は色を、世界を知りたい。運び屋さん、僕に世界の記憶を与えてくれませんか?」
「どのくらいでしょうか」
「どのくらいになるのだろうか。色んな世界を見てみたい。三年あれば満足できるだろうか」
運び屋はカバンから契約書を取り出し、ペンを走らせる。
「記憶三年分の譲渡で三ガーレとなります。また、人の記憶の容量には限界があります。その為譲渡の際、依頼主様の持つ記憶で優先順位の低い、不要な記憶を三年分こちらが受け取る事になります。また、その際いただいた記憶の所有権は私に移ります。その記憶は他の依頼主様の要望次第では引き渡す事になります。そして依頼遂行後、記憶に関しての質問は一切受け付けません。以上の事に納得できるようでしたら、契約及び依頼遂行させていただきます」
「僕の記憶なんて大したものではありません。もちろん、問題ありません。ただ、一つお願いしたいことがあります」
「なんでしょうか」
「一度でいいので、母の顔を見たいのです。ですから、今日運び屋さんが見た母の記憶もいただけないだろうか?」
「承知しました。では、サインの方をお願いします。代筆でも構いません」
初老の女性が代筆を行い、契約は結ばれた。
「では、手のひらを差し出してください。私と手が触れ合っている間、記憶の譲渡が行われます。手が離れた時点で譲渡完了となります」
「よろしくお願いします」
ブラインド・スクリーンが手のひらを差し出し、運び屋がその手に触れた。
その瞬間、ブラインド・スクリーンの記憶が運び屋に流れ込まれ──なかった。視覚情報を一切有さない暗闇の記憶は、彼の記憶容量をあまり消費しなかった。故に、彼は自身の記憶を与えることなく、運び屋の所持する記憶が流れ込む。




