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奏界のエデン  作者: 雪菜
第一章

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第27話 答えはなおも、見出せず

 宮殿を後にして夕焼け色に染まった街を歩き、宿へと戻ったシオンは泊まっている部屋の扉の前で、ほんの少しの躊躇を覚えた。


 ルクレティアから逃げるように外出してしまったことも気まずいし、ロゼリアのことを思い浮かべれば、気が更に重たくなる。


 部屋に入るのを躊躇っていると、扉がひとりでに開いた。窓から射しこむ夕日を背に浴びながら、出迎えてくれたのはルクレティアだ。


「おかえりなさい、シオン」


 屈託のない笑みには、わずかなぎこちなさが含まれているように見えた。それはおそらく、シオンだからこそ気づけた翳り。


 ルクレティアは精一杯いつも通りに振る舞おうとしてくれているに違いない。そんな彼女の気遣いを無駄にはできず、シオンは微笑む。


「ただいま、ティア」


 笑みを深めたルクレティアは、


「ほら、ロゼリア?」


 彼女の背に隠れるように立っていたロゼリアの腕を引く。シオンの目の前に突き出される格好となった少女の、気まずそうな金緑の瞳と目が合う。


 ロゼリアは何事かを言いかけたけれど、その唇から音が漏れ出ることはなく。シオンもまた、胸中にわだかまった不審を拭えずに、言葉が出てこなかった。


 ルクレティアは邪気のない笑みを浮かべて二人を見守っていたけれど、沈黙が長くなるにつれて、その愛らしい顔が曇りを帯びた。


 おそるおそる、といった風にシオンを窺ってくる不安げなルクレティアの瞳に根負けして、結局は、


「……朝はごめん。考えないといけないことが多くて……余裕がなかったんだ」


 帝国の限られた者しか知らないであろうフェリシアの名をなぜ、目の前の少女は口にしたのか。


 ルクレティアにとってその行為が何を意味するのかわかっていて、故意にしたことなのか。


 考えてもわからない以上、表面上はシオンが折れるしかないのだろう。


 ロゼリアの瞳の奥に、シオンの真意を探るような色が浮かんだ気がした。

 しかし、それはすぐにかき消え、彼女もまた、申し訳なさそうに眉尻を下げた。


「いや……私のほうこそ、立ち入ったことに踏み入ってすまなかった」


 これはたぶん、お互いに形だけの謝罪。ロゼリアは何かを隠している。その確信だけは持てたが、現状シオンにはどうすることもできない。懸念が杞憂で済むことを願うばかりだ。


「これで仲直りね!」


 二人の無言の応酬には気づかない無邪気なルクレティアが、ほっとしたように手を叩く。


 ロゼリアへの疑念を完全に拭うことはできないけれど、いまはそれよりも優先しなければならないことがあった。


「二人とも。魂の竜(エインヘリヤル)についてわかったことがあるんだ。話を聞いてくれるかい?」



◆◆◆◇◆◇◆◆◆



「……つまり、魂の竜が求めたのは生贄ではなく独創楽譜オリジナルの聖歌だった、ということ、か?」

「断定はできないけど、その可能性は高いと思う。魂の竜を目覚めさせて幻竜の問題を解決できれば、君のお姉さんは助かるよ」

「よかったわね、ロゼリア」

「…………」

「ロゼリア?」


 隣に座るルクレティアに見上げられたロゼリアは、ハッとした顔になると慌てて笑んだ。


「ああ、すまない……頭の中が、混乱していて……」


 対面のソファに座したロゼリアの様子を、シオンはそれとなく観察していた。


 今日明らかになったことを話し終えたときのロゼリアの反応は、腑に落ちないものだった。姉が助かるというのに、どこか上の空なのだ。


 ルクレティアも不思議そうに首を捻っている。


「お姉さんが助かるのに、ロゼリアは嬉しくない?」

「まさかっ! ただ、その……あくまでシオンの予想に過ぎないだろう? 楽譜コードだっていまから作って間に合うかもわからないし。ぬか喜びはしたくない」


 一向に晴れないロゼリアの顔色に、ルクレティアは助けを求めるようにシオンを見てくる。申し訳ないけれど、シオンにもお手上げだった。肩を竦めるしかない。


 膝の上で組み合わせた両手をじっと見下ろしていたロゼリアは、


「……家に、帰る。色々と考えたいことがあるんだ」


 そう言って立ち上がった彼女に慌てて声をかける。


「ロゼリア、贄の件はまだ君の家族には伝えないで欲しい。陛下から正式な通達が行くまでは黙っておいてくれるかな?」


 生贄は無駄な行為だった、なんてことが娘を犠牲にしてきた血族のあいだで広まってしまったら、ヴェルスーズという国自体を揺るがしかねない。

 然るべきときにアウレラの口から語られるべきことだろう。


「……ああ、それがいい」


 シオンの意図は察してくれたのか、ロゼリアは昏い瞳をそっと伏せて、小さく頷いた。

 


◆◆◆◇◆◇◆◆◆



 女王への拝謁を終えてから丸三日。

 アウレラに威勢のいいことを言ったものの、シオンは宿のソファに仰向けに身体を投げ出し、頭を抱えていた。


 捧げるべきものは、魂の竜(エインヘリヤル)を想って作る聖歌。


 ルクレティアが歌うあいだあの幻竜たちを抑える方法も考えなくてはいけないけれど、肝心の聖歌の創作が難航していた。


 独創楽譜オリジナルを最後に作ったのはもう四年も前のことだ。ルクレティアへ戯れに曲を作ることはあっても、聖歌はない。


 言霊と旋律の特定の組み合わせで奇跡を紡ぐ聖歌の楽譜は、一朝一夕で作れるものではない。

 しかし、空の竜(ラグナロク)から加護という名の才能を与えられているシオンは、調律師が数年かけて見つけ出す音と詩の組み合わせを感覚で容易く形にできる。


 魂の竜のために、というテーマを元に詩を書いてからメロディを加えようと思ったのだけれど、その詩がさっぱり思い浮かばなかった。


 適当にそれらしい単語を並べてみてもしっくりこなくて、紙に書いては破り捨てて、また書き出しては没にして、という行為をひたすら繰り返していた。


 そもそも本当に独創楽譜オリジナルを捧げることが竜の求めたことなのか。考えれば考えるほどに、それすらも自信がなくなってくるという悪循環に、シオンの頭はすっかりこんがらがってしまっていた。


 ぼんやりと天井を見上げていると、


「シオン……?」


 ぬっ、とルクレティアの小さな顔が映り込んだ。


「わ、びっくりしたっ」


 慌てて身を起こすと、ルクレティアはふくれっ面になる。


「何度も呼んだわ」

「ごめん、気づかなかった」


 集中しているシオンの邪魔にならないようにと、ルクレティアは寝室で静かに過ごしてくれていた。


 作業に没頭すると寝食を忘れてしまうので、そんなシオンに待ったをかけるのがこの三日間のルクレティアの仕事。


 意識を現実に戻すと、リビングに漂う紅茶の香りに気づく。ルクレティアはティーセットが乗った木のトレーを抱えていた。


「食堂のおばさんにね、シルヴァリーの花の蜜をもらったの」


 ルクレティアは時々調理場に遊びに行っているみたいだ。人見知りというものをしない彼女はその愛嬌からどこに行っても可愛がられるので、宿の従業員と仲良くなっていることは特に驚かなかった。


 甘い蜜をたっぷりと混ぜた紅茶の味に、頭の中は少しだけスッキリするような気がした。


「聖歌は作れそう?」


 向かいのソファに座ったルクレティアからの問いかけに、シオンは目を伏せる。


「……どう、かな」


 どのみちあの場ではエーテル濃度が高すぎて術にならないのだから、作りさえすれば何でもいいのだ。気を払うべきことといえば、あのエーテル場で術が暴発しないよう、ルクレティアが歌いやすい曲にするべき、ということくらい。


 それなのに、テーブルに放った楽譜帳は未だに真っ白。何も思い浮かばない。


 いっそのこと。


「……魂の竜(エインヘリヤル)を想って作った独創楽譜オリジナルなら何でもいいんだし、別に作り手が僕じゃなくても……」


 ついこぼれ落ちてしまったぼやきを拾い上げたルクレティアが、見つめてくる。


「ねぇ、シオン? 独創楽譜ってすぐに作れるものなの?」

「あ……」


 同じことをアウレラとも話して啖呵を切ったというのに。自覚している以上に追い詰められている。


 期限まであと三日しかないのだ。満月になれば幻竜は街を襲うだろうし、そんな最悪の事態を避けるためにロゼリアの姉が生贄として水晶谷エーテル・ケイアに差し向けられることになるかもしれない。

 魂の竜(エインヘリヤル)が求めたこととは異なるだろうが、生贄を捧げたからこそ街が襲われずに済んできたのは、事実なのだから。


「他の調律師さんが聞いていたら、睨まれてしまうわ」

「……ごめん」


 柔らかな金髪に指をうずめて、シオンはため息を吐く。

 

「……シオンは、聖歌を作るのが嫌なの?」


 聖歌の創作が捗らないことを、ルクレティアはシオンのスランプだとは捉えていないみたいだ。根本的な原因に彼女も気づいている。


 詩も旋律も思い浮かばない。それは、正しい表現ではない。浮かばないのではなくて、シオンは思い浮かべたくないのだ。

 完成してしまった聖歌が、どんな結果をもたらすことになるのか。不安を消し去ることができないから。


 聖術は神が人に与えた奇跡の御業。だが、神から授かった力は時に人の手に余ることがある。

 すべてを計算して作り上げた術が、想定どおりにならなかったら? 予想外の事態を引き起こす可能性は十分にある。水晶谷では特に。


 脳裏を過ぎるのは夢で見た光景。シオンの創作した聖歌で倒れた、彼女の姿。


 ルクレティアへの答えは――怖いから。


 追求されて、具体的に何があったのかを訊かれたら、どこまで答えればいいのだろう。


 嫌な記憶を思い出したくない、というのはある。しかし、シオンだって率先してルクレティアに隠し事を持ちたいわけじゃないのだ。ただ、どうしても話せない。


「シオン? やっぱり、わたしにはお話ししたくないことなの?」


 無垢な瞳が、悲しげに揺れている。声音には寂しさが。ルクレティアに涙は流せない。その事実すらも、いまは痛い。


「……っ、……」


 そんなことないよ、という否定の言葉は音になってはくれなかった。


 だめだ。これ以上はシオンが平静を保てない。何を口走るか、自分でもわからない。


「ごめん、ティア。しばらくひとりで考えてみるよ」


 しょんぼりと肩を落とすルクレティアを突き放すようにそう言って、部屋を出て行くことしかいまのシオンにはできなかった。

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