第20話 手がかりを求めて
魂の竜は水晶谷で眠りにつく前、その魂の守り手に幻竜をお選びになりました。
魂の竜は幻竜の知能を高く評価しておりましたが、一方でその粗暴さをご案じになってもおりました。
ですので、万が一に備えて一人の友に聖歌を託したのです。もし守護者に悩まされることがあればこの聖歌で我は目覚め、力を貸そうと、仰って。
魂の竜のご懸念通り、乱暴者の竜たちはしばらくするとまるで箍が外れたように暴れ始めてしまいます。そのため、定期的に水晶谷へと赴き、授かった聖歌を捧げる必要がありました。目覚めた魂の竜が一喝すれば、幻竜たちは借りてきた猫のように大人しくなったものです。
永い永い夜を経て。ある時、大変なことが起きてしまいました。
宮殿がひどい火事に見舞われ、魂の竜から託された聖歌の楽譜が燃えてしまったのです。困った王さまは焼け石に水だとご理解しながらも、街を守る頑丈な石壁を造らせ、それから、水晶谷へ使者をお送りになりました。
最後の目覚めからそれほど時が経っていなかったことが幸いしたのか、眠りの浅かった魂の竜は聖歌を捧げずとも涙交じりの哀願に応えてくれました。しかし、友へと贈った聖歌を失った人間に激怒した竜は、こう仰いました。
――友への贈り物を汚した咎人は許しがたい。しかし、神は寛大であるべき存在。月が赤く染まり丸くなる晩、竜のために無垢な人身を捧げたならば、慈悲を授け、再び目覚めよう、と。
しかし、それ以降、魂の竜がお目覚めになることはありませんでした。
幸いなことに、贄を捧げれば幻竜は人里に降りてくることはありませんでしたので、王さまは夜な夜な生贄に差し出す高貴な娘を見繕うようになったのです。
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ヴェルスーズに残された魂の竜に関する伝承は似たり寄ったりで、水晶谷以外にそれらしい竜の伝説も残されてはいなかった。
街の東に建てられた王立図書館は一般人にも立ち入りが許可されているけれど、地下に保管された資料は王宮勤めの者か調律師の国家資格を持つ者だけが閲覧を許されていた。
入口の司書に身分証を提示した際に女王から何かしらのお触れが出ているかもしれないと身構えていたのだけれど、シオンの立ち入りはあっさりと許可された。
地下の利用者は彼だけで、司書以外には誰も居らず、ただただ静寂が広がっていた。
薄い橙の明かりに照らされた館内は、埃とインクの匂いが染みついていた。壁際に並んだテーブルにめぼしい書物を山と積んだ傍らで、シオンは嘆息する。
ルクレティアにはロゼリアと宿で待機してもらっている。彼女たちは地下には入れないし、上階には大した資料がないとロゼリアが教えてくれたのだ。暇を持て余すのは可哀想なので、シオンは一人で調べることにしたのだ。
朝からざっと五時間ほどこもっていたけれど、成果は芳しくない。資料はすべてオルラントの公用語であるヴェルセーヌ語で記されていたので読むのに苦労はしなかった。しかし、書かれていることは文章に多少の違いはあれど、内容に大きな違いはない。
なぜ魂の竜が幻竜を守護者としたのか。なぜ贄を捧げても目覚めないのか。肝心なことは何一つとして書かれてはいなかった。
「弱ったなあ……儀式の日まであと七日しかないって言うのに」
当初の予定とは異なり、明確に時間制限を設けられてしまったために、気持ちばかりが逸っていく。
「エーテル場でも聖術が使えたら幻竜だって倒せるだろうし、あの場所を調べることもできるんだけどな……」
いくらルクレティアでも、あれだけ濃度の高い場所でエーテルに感応するのは無理だろう。
味覚や痛覚といった一部の感覚を欠落している彼女は代わりにエーテルへの感応度が優れているけれど、無茶振りが過ぎるだろう。
九百年以上秘匿されてきた聖歌を見つけることなんて、やはり不可能なのだろうか。
早くも行き詰まってしまって、シオンはため息をこぼしてしまう。
『シオンは、神曲聖歌に興味はないの?』
ふと脳裏を過ぎったのは、随分と昔に聞いた、少女の言葉。
『わたしが聞いてみたいって言ったら、どう? 探してくれる?』
あの日の期待に満ちた瞳は、五年の年月が経った今でも、鮮明に思い描ける。彼女がシオンを見たら何を言うのだろう。情けないと呆れるか、しっかりしろ、と叱咤するのか。
「……どれでもない、かな」
詮無いことを考えてしまい、シオンはそっと苦笑する。帝国で籠の鳥だった頃、シオンのすべては彼女のためにあった。
そして、現在もそれは変わっていない。
昨夜の悪夢のように、思い出しくない記憶もある。それでも、物心つく前からずっと一緒に過ごしてきて。シオンに無邪気に笑いかけてくれた女の子と過ごした日々は、何物にも代えがたい、大切なもの。
どうあっても、捨てられないのだ。だからシオンは今、したくもない宝探しをさせられている。
資料を洗っても答えが出ないのならば、推測していくしかないだろう。そもそも、なぜ魂の竜は幻妖種を守護者としたのか。
確かに、いたずらに水晶谷から出ることなく贄を待つ幻竜は他の幻妖種に比べて知恵があるのだろう。魂の竜の力がどのようなものかは知らないが、神の力の一端である以上、人の身には過ぎたもの。悪用されないよう幻竜に守らせるのは理解に苦しむが、理屈としてはわからなくもない。
空の竜は魂の竜は幻妖種に関わりがある力だと言っていたし、何か因果関係があるのだろう。
「……やっぱり、魂の竜を目覚めさせないと答えは出ないのかな」
あの洞窟に魂の竜らしき竜はいなかったけれど、条件を満たせば姿を現してくれるかもしれない。
空の竜はスタンフォードの長子の夢に現れ、終末の書を託すのだ。そうして長い歴史の中で帝国は神曲聖歌を守り続けてきた。
魂の竜も同じこと。今は眠っているけれど、目覚めればその力を託すように交渉することはできるはず。
生贄という制度が実在すること。そして水晶谷のあの異常性を見るに、ヴェルスーズの伝承は信憑性がある。
生贄を求めておきながらも目覚めない魂の竜。その謎を解き明かし、竜を目覚めさせることが神曲聖歌を手に入れる唯一の手段なのだろう。




