第13話 騒動は息をつく間もなくやってくる
土地勘のない街の路地をいくつか曲がり、人波の少ない道の端まで来たところで、シオンは足を止めた。
結構なペースで歩いてしまったけれど、人とは体の構造が違うルクレティアは疲労など感じない。なので、息一つ乱していない。引いていた手を離すと、愛らしい顔がさっと曇った。
「あの、ごめんなさい、シオン」
銀髪をさらりと揺らして頭を下げてくるルクレティアに、シオンは目を瞬かせる。
「ティアは困ってるあの子を助けたかっただけじゃないか。謝ることなんて何もないよ」
「でも、目立つなって言ってたわ」
しょんぼりと肩を落とすルクレティアに苦笑する。
「僕がそう言って、素直に聞くティアじゃないのも最初からわかってるよ」
「……なんだか、わたしがひねくれ者みたいな言い方だわ」
萎れた花みたいにしょげていたのに今度は拗ねたような顔になる。表情がくるくる変わるのを微笑ましく思いつつ、首を横に振る。
「そうじゃないよ。ティアが困っている人を見かけたら放っておけないのは、ちゃんとわかってる、って意味だよ。でも、さっきみたいなこともあるから。あまり後先考えずに行動するのは駄目だよ?」
「……あのお店の人は、あの子を騙そうとしていたの?」
どうやらルクレティアも漠然と店主の思惑を察したらしい。シオンが首肯すると、藍色の瞳がみるみる曇る。
「どうして、そんなことをするのかしら……」
帝国で人のために尽くせと言い聞かせられてきたルクレティアには、悪意というものが理解できないようだった。
世界は彼女みたいな善人ばかりではないから、いつか誰かにひどく傷つけられてしまうのではないかと心配になる。だが、その良心に誰よりも救われているのはシオンだから、ルクレティアにはこのままでいて欲しいとも思う。
「お金の魔力はすごいからね。大金を稼ぐために手段を選ばない人も世の中にはいるんだよ」
「シオンはお金にあまり興味がないのに。さっきだって、大金をあっさりあげてしまったわ」
「物の価値は人それぞれだからね。ティアは聖歌が好きだけど、無関心な人だって多いだろう? それと同じことだよ」
「わたし、聖歌のために人を騙そうだなんて思わないわ」
いまひとつ納得しきれていない様子のルクレティアに、ちょっと意地が悪いかな、と思いつつも言う。
「飛行船でギデオンさんに独創楽譜のことで僕が問い詰められたとき、ティアは彼を騙したじゃないか」
「あれは……だって、シオンがすごく困った顔をしてたから……」
「わかってるよ、庇ってくれてありがとう。でも、そういうこと、かな」
シオンの説明にルクレティアは嘆息する。
「嘘にも、色んな理由があるのね」
「善意からのものも、悪意から来るものも、ね。だから騙されないように気をつけないと」
「……うん。これからは気をつけるわ」
拳を握って意気込んでみせるルクレティアだけれど、どこまでアテになるやら。心の中だけで苦笑しつつ、そろそろ宿に行こうか、と言いかけたところで。
「追いついたぞっ!」
聞き覚えのある少女の声が飛んできた。
振り返ると、人の波をかき分けて近づいてくるのは、先ほど露店にいたキャラメル色の髪の女の子。
「さっきの子だわ」
シオンたちに用があるのは間違いないと思うので、距離が詰まるのを大人しく待つ。少女がフレアスカートを揺らして駆け寄ってきたかと思うと、白いブラウスに守られた腕が伸びてきてシオンは勢いよく上着の襟を掴まれた。
「あなたは! どうしてあんな余計なことをしたんだっ!」
怒鳴り声と共にガクガクと体を揺さぶられる。
訳がわからない上に、とにかく苦しい。手首をひねり上げてしまえば簡単に逃れることができるのだけれど、女の子に暴力を振るうのは気が引けた。
「やめて! シオンに乱暴しないで!」
ルクレティアが慌てて少女の腰に飛びついたことで、ようやく解放してもらえる。
軽く咳き込んだシオンは、流石に抗議の声を上げた。
「いきなり、何? 事情がさっぱりわからないんだけど……譜面石の代金がもらえなかった、とか?」
店主がごねて支払いを渋ることがないように、相当な額を渡したのだけれど。シオンの見通しは甘かったのだろうか。
「代金の問題じゃない、私が欲しかったのは鑑定の証明書だ! それをあなたが台無しにしたんだ!」
「鑑定書?」
そういえば、この少女は鑑定人の署名にこだわっていた。結局はシオンが楽譜を一から組み上げてしまったのだから、譜面石の代金は支払われても鑑定は過程に入っていないので署名は認められないだろう。シオンが行ったのは複写と調律だし、少女に至っては過程に一切携わっていないのだ。
「うわ、ごめん。失念してた……」
腹が立っていたから、すっかり頭から抜け落ちてしまっていた。
「ごめんで済むかっ! ああ、もう。あれが唯一の手段だったのに……っ」
少女の剣幕はやはり何やら事情がありそうで、ルクレティアが率先して尋ねた。
「ねぇ、どうしてそこまで鑑定書にこだわるの? 何か事情があるの?」
騙されたりしないという決意を固めたばかりだというのに、ルクレティアはまたもや人の事情に首を突っ込もうとする。
少女は何事かを言いかけ、だが、すぐに口を閉ざした。瞳に不審の色が浮かび、その視線はシオンたちを素通りしてその背後へと向けられている。
怪訝に思って振り返る前に、足音に混じって男の声がかかった。
「失礼。空の調律師――シオン・スタンフォード様でお間違いありませんか?」
思いもよらぬ名指しに驚いて振り返ると、二十歳をいくらか超えたくらいの青年が立っていた。
短く刈り込んだ髪に、がっしりとした肉つき。白地に金の刺繍が施された軍服のような服装は、ヴェルスーズの兵士である証。腰には鞘に収まった剣も。
「……確かに、その名と称号は僕のものですが」
突然のことに困惑しつつも頷くと、青年が胸に手を当て、丁寧に腰を折った。
「私はヴェルスーズが太陽、アウレラ様にお仕えする騎士です。我が主の命により、お迎えに上がりました。宮殿まで、ご同行願えますでしょうか?」
「ええ、と?」
いきなりのことに頭が追いつかず、シオンはルクレティアと顔を見合わせる。
ヴェルスーズを統べる女王がなぜシオンのことを知っていて、おまけに呼びつけたりするのか。
「心当たりがまったくありませんが、僕は陛下のご不興を買うようなことをしてしまったのでしょうか?」
この国に来てからまだ時間はそれほど経っていない。まずいことをしでかした覚えはないのだけれど。
シオンよりもずっと歳が上だろうに、青年は丁寧な物腰を崩さずに、やんわりと首を横に振った。
「そのようなことは、決して。この場では仔細をお話しすることはできませんが、騎士の名誉に誓って悪いようにはしないと、お約束致します。どうか我が主の願いを聞き届けては頂けないでしょうか?」
口調はどこまでも丁寧だけれど、断ることもまた、許してくれそうにない雰囲気があった。シオンに選択権はなさそうだ。
空の竜は魂の竜は自ずと姿を見せる、なんて言っていたけれど。いくらなんでもこれは、ちょっとトラブルが続き過ぎではないだろうか。




