なので諦めてください。
「ユリア!」
名前を呼ばれて振り返る。
そこには白い薔薇の間を駆け寄ってくる、焦ったような様子の王子様がいた。
王子様というのは比喩ではない。
彼の名前はゼラ・ユリウス。
彼は正真正銘、この国の皇太子だ。
この宮に入れないはずの人物がまっすぐにこちらに向かってくることに驚き、逃げるタイミングを逃した。
「国王から話を聞いた。なぜ私に先に相談してくれなかった」
「……身分をわきまえず、直接国王に進言してしまったこと、大変申し訳なく…」
「それは構わない。私が言っているのは、私はあなたが困ったときに相談できる人間ではなかったのかということだ。仮にも婚約者だろう」
「いいえ、違います」
「違わない、君は私の」
「呪いを、この身に受けました。私はユリウス様の妻にはなれません」
ユリウスの言葉に被せ、言葉を発する。
不敬になるが、長年彼と築いた関係性を鑑みれば、このくらいは許されるだろう。
「……その、呪いの件を、私はなぜすべてが終わった後に報告を受けなければならない?」
「感染する恐れがありましたので」
そう言って、距離を取る。
たとえ事前に相談していても、結果は変わらない。
だから国王も惜しみながらも納得してくださった。
これはこの国の総意だ。
「呪いなど、どうにでもっ」
「なりませんでした」
「まだ分からないだろう!」
真っ直ぐな瞳が射るように向けられる。
この瞳が好きだった。
次期国王になるべくして産まれた人。
「私がこの身に受けたのは、闇の呪いです。この呪いを解ける魔術師はいらっしゃいません」
「決めつけるには早いだろう、国外にいる魔術師を呼び寄せれば…」
「時間の無駄ですわ。たとえ呪いが解けたとしても、一度でも呪いを受けたこの身ではユリウス様のお隣に並ぶにふさわしくありません」
いわば呪いによりケチがついた令嬢を王の隣に立たせたい国民がいるわけがない。
次期国王の妻の座を狙う貴族は履いて捨てるほどいるのだ。
「これまでのご厚意、身に余る光栄でございました。この恩は一生忘れず国のために尽くす所存です」
「ユリア!」
こんなに声を荒げる人だっただろうか。
いつも涼し気な顔で微笑む横顔ばかりを見ていたから、少し驚いた。
私が知らないだけで、この人は熱量を持った人間だったのかもしれない。
「触れれば汚れが移ります」
手首を掴まれそうになり、後ろに距離を取る。
近くに控えていた魔術師が、私とユリウスの間に立った。
「……触れはしない。話がしたいだけだ」
「なりません。同じ空気を吸うことも殿下を危険にさらす行為です。この宮は出入り禁止となっております」
「私が構わないと言っている」
このままでは埒が明かない。
魔術師が小さく振り返る。目があった。
なんとなく言わんとすることを理解して、小さくうなずき返す。
それを合図とし、視界がぶれ、足元が揺れた。
「ユリアッ」
「ユリア様、失礼いたします」
立っていられずよろめいたところに、すかさず手が差し伸べられる。
これで退散する理由はできた。
「ユリア」
「殿下、お控えください」
牽制する声音は魔術師のものだ。
「……申し訳ありません、失礼させていただきます」
本当に目眩がして、吐く息が苦しい。
呆然とした顔のユリウスに小さく頭を下げる。
ちょっとやりすぎなような気もするけれど、これでいい。
「では失礼。急ぎますので」
魔術師はユリアを抱きしめたさいに脱げたローブの帽子をそのままに、ユリアを抱き上げ、スタスタと歩き出す。
人一人の重さを抱えても足取りは変わらず、肌に触れている腕は硬く筋肉が盛り上がっている。
魔術師は運動不足だと思っていた考えをユリアは改めた。
「すぐに楽になりますのでご安心を」
「……迷惑をかけるわね」
王国魔術師といえ、皇太子との会話に割り込むなど、本来はあってはならないことだ。
「……良かったのですか?」
ローブの帽子で覆われた顔は見えないが、戸惑いがちに聞かれ、ユリアは「ええ」と笑った。
「ですが」
先程のことだけではない含みを感じ、はっきりと微笑む。
「これでいいのよ」
これでいい。
これが最良なのだ。
思いついたのは偶然。だが、運命だと思った。
一年前ユリアスの前に一人の少女が現れたことで、狂い始めた歯車を修正できる方法に気づいたしまった。それからの行動は早かった。
彼女とユリアスが惹かれ合う運命なのなら、誰も悪者にすることなく、自分は身を引いてみせようと。
もう会うこともないだろうユリアスを見ようとしたけれど、黒いローブに視界は遮られ、見ることは叶わない。
それも運命だとユリアは口元に笑みを浮かべた。
所詮、自分の想いはこんなものなのだ。
幼い頃から将来は夫婦になれと育ててられて来たが、まるで物語の中から出てきたような王子さまが自分の夫になるなんて、そんなのは夢物語だと思っていた。
いつかこれは夢だったと目が覚める。
そんな思いで接してきたユリアスに対して抱いていた感情は、恋というよりも憧れといったほうが正しいだろう。
そして彼もまた、自分を恋愛対象とは見ていなかった。
婚約者に対する礼儀は常に完璧で、事あるごとに手紙や贈り物をいただき、十四の社交界デビューには婚約者としてエスコートしていただいた。
だが、それだけ。
それが一年前、「ユカ」という少女が現れてから、ぱたりと無くなったのだ。
社交界に少女をエスコートし、ドレスや装飾品を贈り、時間があれば少女の元へと通う。
当然、殿下の心は少女にあると噂にもなる。
お父様やお兄様は殿下の心変わりに眉をしかめたが、王族に文句を言うことなどできるわけもない。
何より、殿下の想い人である少女は平民で、正妃にはなれないという事情もあった。
平民であれば、正妃はもちろんのこと、側室にもなれない。
貴族の養子に入ったとして、公爵家の長女であるユリアよりも立場が上にはることはないのだ。
つまり、婚約を解消したいと殿下が口にするまでは、ユリアの立場に影響はない。
それは逆に言えば、たとえユリアスに想い人がいても、ユリアから婚約を解消できないことを意味した。
(愛し合う二人が結ばれる、その邪魔になるために産まれてきたわけじゃないわ)
だから、多少無茶だと分かっているが、この方法を選んだ。
自分がいなくなってから、あの二人がどうなろうとあの二人の問題であって自分には関係のないことだ。
「……楽になったわ」
「回復魔法をかけました」
「器用ね」
回復魔法をかけながら歩くなど器用なものだとユリアは目を細めた。
「本当は呪いも解いて差し上げたいのですが」
「だめよ。それではさすがにバレてしまうわ」
慌ただしくメイドがユリアの自室のドアをあける。
呪いを受けたユリアを隔離するため用意された、ユリアの部屋である。
呪いが感染する可能性もあるため、ユリアのいる宮自体の出入りを禁止しているが、ユリアの呪いは感染するものではなく、ある一定の条件を満たすことで発動する攻撃的な呪いだ。
その解除方法も、すでに目の前の魔術師が解読済みである。
ゆっくりとユリアをベッドに横たえて、魔術師が額に手をかざす。
「解除してはだめよ」
「……何か別の呪いにすり替えては?」
「駄目。私は確実に危険人物として匿われたいの」
せめて正式に婚約破棄が成されるまで。
「そういえば、犯人は分かったの?」
呪いをかけてきた相手を呪い返すという呪詛返しで、犯人が分かると言っていたことを思いだす。
「ええ、ですがユリア様のお気になさることではありません」
「いえ、知りたいの」
「ユリア様の想像どおりですよ」
「まぁ。怖いわね」
想像通りということは、宰相の娘かその父親ということだ。
何かと敵意を剥き出しにしてきたあの親子ならやりかねないとユリアは思っていた。
自分にかけられた呪いは「二人きりになった時、ユリアスを殺せ」というものだ。
とはいえ、こんな呪いをかけられても、ひ弱な女の力でかなうわけがない。
毒殺しようにも、次期国王であるユリアスには毒見役がいる。
つまり、ユリアスを殺そうとしたユリアを罪人として捉え、婚約者の席をあけることが狙いである。
かけられたその日に王国魔術師であるミルに見破られるというお粗末な呪いではあったが、無い頭で考えたその方法は悪くなかった。
すぐに呪いを解こうとしたミルに、ユリアは言ったのだ。
「呪いをとかないでくれ」と。
このまま呪われた状態であれば、ユリアスとの婚約は当然破棄される。
自分の命を狙う女を妻になどするわけがない。
「……体調は、いかがですか?」
「大丈夫よ」
心配そうな表情で自分を伺うミルに、ユリアは笑ってみせる。
ミルは、変わっている。
ユリアスの心が自分にないことを告げ、このまま婚約破棄したいと本音を打ち明けたユリアに、ミルは驚いた顔を見せたが、すぐに同意し、協力してくれている。
あのときは必死だったので本音を吐露したが、思えばミルのしていることは王族を騙す行為で死罪に値する。
たとえそれがユリアの願いだとしても、共犯で不敬罪は免れないだろう。
「……あと少しだけ、付き合ってくれる?」
誰が聞いてるかわからないので、ユリアはあえてわかりにくい言い方で、ミルを見上げた。
「少しと言わず、ユリア様の気の済むまで」
「……ありがとう」
解除できない呪いだとして、万が一に備えてミルはずっとユリアと行動を共にしている。
更に万が一に備えて騎士も数名控えているが、この者たちは何も知らされていない。
「終わったら、どうなさるのですか?」
「考えてないわ」
「では、ゆっくりやりたいことをお考えください」
「……やりたいこと」
「ええ」
その発想はなかった。
「……この国を出て、色々なものを見てみたいわ」
「御意」
思いつきで言ってみたが、ミルに優しく微笑まれて、わくわくしてきた。
そうだ。なんでもできるのだ。
婚約破棄された後、しばらくして呪いが消えたことにして、国を出る。
そんな計画はどうだろう。
「ゆっくり考えましょう」
「ええ」
ふわりと、ラベンダーの香りに包まれる。
眠りに誘う、ミルの魔法だ。
わくわくした気持ちでやりたいことを考えながら、ユリアはゆっくりと意識を手放した。
+++
「王国魔術師ミル、聞きたいことがある」
呼び出されたのは私用かとミルは下げていた顔を上げた。
ユリウスの表情はユリアを前にしていたときとは違い、「氷の王子」と呼ばれるにふさわしく凍てついている。
「ユリアの呪いをとけないというのは真か?」
「嘘偽りはございません」
王族に即座に嘘を述べるミルの表情もまた、ユリアに見せていた表情とは違い、無表情である。
「そのフードを取れ。顔を見せろ」
「……」
なにゆえとは聞かず、ミルは言われるがまま、フードを取る。
黒髪に黒い瞳。
あまりこの国では好まれない、闇の色だ。
「他の魔術師には見せたのか?」
「……いえ」
「なぜだ?」
理由を自分で言うことが阻まれたため、ミルは口を閉ざす。
「恐れながら、ミルは王国魔術師の中で一番の実力者です。この者がとけない呪いを他のものがとけるとは考えられず……」
宰相が口を出す。
呪った人物が口を出したことで、ミルは内心ほくそ笑んだ。
「とけないのではなく、とかないのならどうだ?」
「……何を?」
宰相の声がうわずる。
「その者がユリアに呪いをかけた可能性を言ったまでだ」
「御冗談を」
呪いをかけた本人なのだから、ミルが呪いをかけていないことは分かっていて、宰相が笑う。
だが、何かに思いついたように大げさに「まさか」と声を上げた。
このタイミングで、ミルに容疑をなすりつけることを思いついたらしい。
ただのバカではなかったようだ。いや、思いつきで行動に出ようとするあたり、バカなのか。
「疑われるのでしたら、私以外の魔術師にお見せください」
誰に見せた所で呪いはとけない。
なぜならこの国で一番魔力の高い自分が呪いを上書きをするからだ。
少々ユリアの体に負担をかけることになるが、その時だけ耐えてもらえば問題ないだろう。
ユリアが「とくな」と言ったのだから、それを叶えるためならばいくらでも罪を背負う覚悟だ。
ーーー王子の婚約を解消したいのです。
あの瞳が自分を写し、そう言ったのだ。
いつも遠くから眺めるだけだった、深層の令嬢。
凛として立つその姿勢、その瞳の強さに惹かれるのは何も自分だけではない。
一生言葉を交わすことも、瞳を合わすこともないと思っていた。
彼女が自分の腕にすがりつき、泣きそうな瞳で懇願してきたのだ。
所詮この髪と瞳で虐げられてきた自分には王族に対する恩義などないに等しい。
むしろ彼女を悲しませたことに、怒りすら感じている。
「ならばそうしよう」
王族としての威圧感をのせ、ユリアスが告げる。
王としての器はあるのだろう。
婚約者の身を案じ、打てる手を模索している。
昨日のバラ園でのやりとりで、彼女に触れた自分へ分かりやすく怒りを見せた。
婚約破棄に対しても、まだ様子を見るべきとユリアスだけが反対していると聞いた。
自分の婚約者であるユリアに愛着や情はあるのかもしれない。
だが、自分には関係のないことだ。
いざとなったらユリアをこの国から逃がすことなど容易い。
ミルは深く頭を下げ、後ろへと下がる。
その時、扉から一人の少女が顔を出した。
「ここは立ち入り禁止だ」
兵が止めるも、少女はするりと扉から入ってきた。
「ユリアス様、何をなさっているの?」
声を色に例えるなら桃色。
鈴のような声に、ユリアスが視線を向ける。
「ここは立入禁止だよ」
「でも私は特別でしょう?」
ユリアスがたしなめるものの、少女は首をかしげてユリアスに近づく。
ユリアが言っていたのはこの少女かとミルは無表情で見つめた。
視線に気づいたのか、ユリアスを見ていた少女が振り返り、目があった。
「……ミル、様?」
名を呼び、瞳を輝かせる少女。
「ミル様!お会いしたかったんです!」
駆け寄ってくる少女にミルは眉を寄せた。
初めてあう女性に軽々しく名を呼ばれる筋合いではない。
そもそも、魔術師として勤めているが、貴族であるミルの名を呼び、挨拶もなく話しかけるなどマナーがないにも程がある。
ユリアスも予想外だったのか、少し驚いた顔をしている。
「……ユカ、知り合いか?」
「いいえ!ですがこれからお知り合いになりますわ!」
気合いを込めた返事に、不快感がこみ上げてくる。
ユリアス殿下が目をかけている平民だとの噂は聞いていたが、何一つユリア様にかなう部分がない。
「ミル様、私、ユカと申します!」
「ユカ殿、下がりなさい」
「嫌です、ようやく会えたんですから。ミル様、お茶しませんか?」
「ユカ殿」
少し強めのユリアスの静止も聞かず、ユカと呼ばれた少女が腕に触れた。
ーーーー無礼すぎる。
「ではこれで失礼します」
魔法陣を発動させず、部屋の外へと移動する。
本当はユリア様のいる宮に帰りたかったけれど、険しい顔のままユリア様にお会いしては、ユリア様に心配をかけてしまう。
何一つ、ユリア様が劣る部分などありはしない。
あの少女のせいで、ユリア様が身を引く必要など全くない。
その事実に腹が立つが、それをそのままユリア様に伝える気はない。
自分にとって、とても都合が良いこの状況を変えるつもりなどさらさらない。
ミルは無表情で触れられた腕を浄化すると、少女の甘ったるい匂いを消すべく風を浴びるため中庭へ向かった。