39 びっくりしたから
同日の夜、ルイーザの部屋にノア王子殿下がやってきた。
本来フィオナ様の部屋の方へと行くべき人物であり、ルイーザとはあまり深くかかわるような相手ではない。
しかし、昼に聞いたロージーの言葉を思い出してみて、もしかするとノア王子殿下と何かあったから、フィオナ様は落ち込んでいる様子だったのかと見当をつけて部屋の中に入れた。
だってノア王子殿下はなんだか変わった人だ。きっとフィオナ様とすれ違っていることもあるかもしれない。
それだったらルイーザが話を聞いてあげて、さっくり解決するようなこともあるかもしれないし、とルイーザはなんだかフィオナ様の姉になったような気持ちでノア王子殿下と向き合っていた。
「……びっくりしちゃって」
ノア王子殿下は、まるで少年のようにそんな言葉を言った。
ルイーザはなんのことだかよくわからなくて小さく小首をかしげた。
「私ってほら、こんなでしょ。だからさ、関わってこなかったから……びっくりしちゃって」
「あの……どういう話ですか?」
「……う~ん。はぁ……いつもはフィオナにちゃんと具体的なことを言えって私が言ってるのに、これじゃあだめだよね」
「?」
「笑わないで聞いてくれる? ルイーザ」
「はい。笑わないです」
困り顔で問いかけるノア王子殿下はとても珍しい。
常に何事にも動じないというか、どこかこの場所にいないような不思議な雰囲気のある人なのに、今日ばかりはルイーザと同じ年ごろの男の子のようだった。
それはなんだか不敬なことかもしれないけれど、親近感を覚えてルイーザは親身になって彼の話し出した昨日の出来事を静かに聞いたのだった。
一通り話を聞いてから、ルイーザはとにかく一番気になったことに言及した。
「ノア王子殿下は時空の女神の加護を受けているんですか?」
彼が袖口から小さな女神さまがモチーフになっているチャームを出して弄っているところを眺めつつ、フィオナ様の前から加護を使って逃げてしまったという言葉から導き出された答えを言った。
先日、ルイーザと話をしていたのにフィオナ様が戻ってきた瞬間にいなくなった時に不思議に思い、めぼしい能力を持つ聖者を知識に入れておいたのが役立ったと思う。
ルイーザの言葉に、ノア王子殿下は少し考えてから頷いて「内緒だよ」と小さく言った。
「時空の女神の加護はとても強いから、使うと戦争になる。多くの人に露見しても同じ。でも失うのは惜しいからマーシアは私を自由にさせるけれども居場所を与えてるって感じかな」
「……」
「ま、私自身も政治闘争とか面倒くさいし、この力を使って何かを成したいとか世界をより良くしたいとか思わないから、マーシアにも手を貸すつもりはないけどね」
「……本で読みました。昔の時空の女神の聖女は敵対した国のお城に大きな岩を落として壊滅させたり、異次元から聖女の資質がある人を召喚して世界を滅茶苦茶にしたって……」
「……言っとくけど私はやらないよそんなこと。世界なんてどうでもいいし」
ノア王子殿下の言葉にルイーザは、つい本で読んだ昔の出来事を口にした。
その時空の女神の聖女のせいで国が一つなくなったり、地形が変わって災害が起きたりしてとても大変な時期があったそうなのだ。
そんな可能性を秘めている人間が今目の前にいる。
それはやはり、ルイーザにとって尋常ではない事であり、ちょっとだけ湧いていた親近感が消えてなくなり途端に緊張してしまう。
そんな自分の変わり身の早さというか、先入観を感じて距離を感じるこの気持ちはとても薄情なもので、ルイーザからするとすごく大人っぽい気がした。
もちろんよくない意味でだ。
……でも、そんな風に思われたら悲しいはず……大事なのは大人とか子供とか、それだけじゃなくてバランスのはず……。
根掘り葉掘り時空の女神の加護の事を聞きたくなって、ルイーザは怖がらなくていいんだと安心したかった。
けれども問題はそこではない。ルイーザはフィオナ様の為に彼と話をしているだけ。
ぐっと堪えて、続きを聞いた。
「それでッ、教える代わりにって触ってきたフィオナ様を置いて逃げちゃったのは何でですか!」
「ん、それね。私もよくわからなくて、なんかしいて言うならびっくりしたかなっていうか」
ルイーザが堪えて聞くとノア王子殿下はうーんと悩んでルイーザに答える。
しかし自分の行動なんだから、わからないことはないだろう。
話を聞いた限りでは、フィオナ様はきっととっても勇気を出してノア王子殿下に触れたと思うのに。
それに前回聞いた話では、ノア王子殿下だってフィオナ様の事を好きなはずだ。その癖にどうして飛び出してきてしまうのだろう。
「そういうつもりがあったんだっていうか……触られてた場所が熱くて火傷しそうだったっていうか」
煮え切らないようなことを言う彼に、ルイーザはやっと先ほどの親近感を取り戻してきて、それから大人ぶって腕を組んで今ばかりは身分差を忘れて偉ぶった。
だって今のノア王子殿下は正直子供っぽい、言い訳をしているようにしか見えない。
一個人としてちゃんと向き合わなければ駄目なことだと話を聞いて思った。
誰もかれも大人の部分も子供の部分もあって、大人の部分は冷淡で無情だ。でも子供の部分は感情だけで動いている。
子供の部分が大きくなってしまっているなら、大人っぽい事を言ってあげる人が必要だ。
「でも、それだとフィオナ様は自分が嫌だからいなくなったって思うと思う!」
「そうかなぁ」
「はい、だってフィオナ様、頑張ったのに、そうされたら悲しい思います」
「……だよね」
ルイーザの言葉を肯定はするものの目の前にいるノア王子殿下はどこか腑に落ちていないような様子で、今ルイーザが言ったようなことはわかっていても、できないのだと思っているらしかった。
「……フィオナ様きっとノア王子殿下が好きだから知りたいって思ったんだと思うんです」
「うん」
「私も、二人は想いあってていい大人で、もう婚約もしているし仲良くしてほしいと思います」
ノア王子殿下を男の欲求を抑えられない駄目な人だと思ったこともあったがフィオナ様もノア王子殿下に対して好意的だし、なにより彼もフィオナ様の事を好いているのだとルイーザは知っている。
それなら、勇気を出したフィオナ様に報いてほしいと思うのだ。
大切におもっているならなおさら。
「仲良く……ね。でも、そういうのってさ色々と自己満足じゃん。触れ合って望み合って奪い合ったらお互い痛いかもしれないし、嫌じゃない? 私、そういうのってあんまり……」
「……」
ノア王子殿下は、フィオナ様の事を嫌だとは思わないのに、二の足を踏んでいる様子でさらには嫌悪感もあるみたいだった。
「ヤダって思うことがあったんですか?」
その様子にちょっとだけ心配になってルイーザが問いかけると、彼はしょんぼりとした様子でルイーザに言った。
「今更なんだけど、私こんなことどうしてルイーザに相談してるんだろう。ごめんね」
「それは、別にいいです、でもッ何かあったんですか?」
口にしようとして途端に冷静になったノア王子殿下は小さな女の子であるルイーザに、婚約者との男女の関係についての相談をしていることについて一度冷静になった。
しかし、今更ここまで来て遅い。
ルイーザがせかすとノア王子殿下は手首につけているチャームをいじりながら言った。
「私は女の子からすると割と魅力的に見えるみたいなんだ。だからこうしてあっちこっち適当に行って、ふらふらする前は、待ち伏せされたりキスされたり、あれこれ既成事実っていうの? 作られそうになったりして」
「……」
「そういう目で見られるって感じるのが気持ち悪かった。ごめん……やっぱり君と話す内容じゃないね」
そういってノア王子殿下はティーテーブルに手をついて立ち上がる。たしかに普通の子ならルイーザの歳ではそんなことはわからないだろう。
しかしながら、ルイーザもよく可愛いと言われるし、ノア王子殿下のいう”そういう目”がどういう目なのかわかるのだ。
「いえ!」
だからこそ、テーブルに置かれた手をぐっと押さえてノア王子殿下を留めた。
それから彼を見上げつつ言う。
「わ、わかるッ、私もわかります。……私も男の人に売られそうになってそういう気持ちが嫌です」
そういうことにもルイーザは嫌悪感を持っていたし、嫌だった。それに自分を裏切った大人も大っ嫌いだった。だから受け入れたくなんてないと思っていた。
でも、それを変えてくれた人がいる。
やり方は別にうまくなかったし、完璧でもない、でも頑なに嫌っているだけではどうしたらいいのかわからなかったままだった。
受け入れて、相手を理解したいと思って初めて、違いがわかる。
そういうことだって同じじゃないんだろうか。
嫌な面だけを知っているのだとしても、それだけではないんじゃないのだろうか。
「でも、そうやって嫌っているだけだったら、私、こうやって楽しく過ごせてないんだなって最近思います」
心の底からより深く繋がりあえるほどに、仲良しになる方法もあるのではないだろうか。
「私、大人も、男性の欲望も大っ嫌いだったけど、フィオナ様のおかげで大人はバランスなんだなって思えるようになったの」
「……」
「はい。だからきっとそのうち、誰かのおかげで男の人との関係もなにか変わるかもって思ってる。そして、ノア王子殿下の嫌な気持ちも、同じように変わっていったらいいと思うし、それは、ノア王子殿下にとって今だったらいいのにって思うの!」
うまく言い表せているのかよくわからなかった。けれども、伝えておいて選択肢になったらいいと思うのだ。
ルイーザの必死な言葉に、ノア王子殿下は真面目な顔でしばらく悩んでから、目をそらして笑みを浮かべた。
それから静かな声で呟くように言う。
「うん。そうだね。向き合わないと変わらない、か……夜にごめんね、ルイーザ。ありがとう」
別れの挨拶をして彼はチャームを軽く握ってぱっと姿を消した。
魔力の光がきらりと舞い散って、本当に跡形もなく消えた彼にルイーザは精霊に化かされたような気持になったのだった。




