13 最悪な日
「ハァッ、すぐに出してください!」
フィオナ様は叫ぶような大きな声で御者へと指示を出した。その声に反応するように普段よりもはやい速度で、馬車が動き始める。
急いでいるせいか、揺れが酷くて馬車の壁に体を預けているとフィオナ様はそれに気がついてルイーザの体を抱き寄せた。
そうしつつも馬車のカーテンを少し開いて、外を確認する。同じように覗いてみるけれど、アシュトン伯爵も、伯爵夫人も追いかけてきていない。きっと途中であきらめたのだろう。
ルイーザがそう考えているうちに隣にいるフィオナ様は、息を整えて、汗をぬぐった。
短い金髪を耳にかけて難しい顔をした。
今日出会ったばかりの彼女だが、親であるアシュトン伯爵と伯爵夫人と揉めているということは知っていて、だからこそルイーザを逃がしてくれたのだと思う。
「……」
それならば、今度はこの人に気に入られることが出来ればルイーザは何とか平和に生きられるかもしれない。
生活のどこかに平穏を見つけられるかもしれない。そう考えて、人生が終わったと思った日の事を戒めのように思いだした。
その日は十歳の誕生日を迎えた日の事だった。節目の年の誕生日なのでルイーザは家族からささやかなお祝いを受けた。家族のなかだけで行われたパーティーに心を躍らせて、これでもうきっと自分は大丈夫なのだと思った。
というのも、カルデコット子爵家には子供が六人ほどいた。その中でもルイーザは末っ子で、一人の兄と四人の姉がいたのだ。
しかし、気がつくと一人、また一人と姉たちは行方知れずになったり事故に遭ったりしていつの間にかいなくなるのだ。
それがちょうど十歳前後の事。
母の不穏な発言も聞いたことがあって、意味はわからなくともずっとその言葉が心に残っていた。
けれどもこんな風にお祝いをしてもらえて、きっと自分は大丈夫だと信じてやまなかった。
しかし、その日の晩、母に連れられて深夜に屋敷を出た。
知らないお屋敷に連れてこられて、そこはとても豪華な場所だった。
暗闇の中、小さな光源で静かにワインを飲む女性。部屋の中は煙草のにおいが充満していた。
「もっと、顔をよく見せなさい。ほら、わたくしの方を見て」
ランプの明かりに近づいてルイーザはおっとりとした話し方をする女性のことを見上げた。暗くて見えづらいけれど、どこかで見覚えがある人だった。
もしかしたら王宮に肖像画が飾られているようなとても高貴な身分の人かもしれない。粗相がないようにルイーザは淑やかにほほ笑んだ。
「なるほど。カルデコット子爵夫人、最後の最後でとても器量の良いのを持ってきましたわね。今回は弾むわよ」
「まぁ! 嬉しい、やりましたわ。これで新しい別荘を買える!」
「では、いつも通りに、この子はわたくしの協力者が預かりますわ。それ以降の事は口出し無用よ」
「ええ! ええ! 承知していますわ。殿下、慰みものでも孕み袋でも好きにしてくださいませ!」
「嫌だわ。……そんな下品な言葉はよして、品格が下がるわよ」
「あら、申し訳ございません。つい興奮してしまいました」
……ナグサミモノ、ハラミブクロ……。
ルイーザは知らない言葉を聞いて、心の中で復唱した。自分について何を言われているのか具体的にはわからない、しかしどうやら、ルイーザはもういらないという事ではないかと理解はできた。
さぁっと血の気が引いていく、姉たちとは違って自分は両親に愛されていると思っていた。特に母にはいつもいつも、可愛いと言われていた。
間違いなく大切にされていたはずなのに、捨てられるだなんてそんなはずない。
心の中では否定した。しかし、危機は感じる。殿下と呼ばれたその人にルイーザは二の腕を掴まれて、ぐっと引き留められた。
「では、下がっていいわよ。カルデコット子爵夫人、また気が向いたら子を産みなさい、あなたの子は皆とても、勝手がいいと評価をもらっていますもの。いつでも歓迎よ」
「勿体ないお言葉ですわ、殿下。それでは失礼いたします」
長い爪がルイーザの二の腕に突き刺さってきつくきつく握られる。痛みよりも去っていこうとする母に驚いて、ルイーザは、混乱しながらも「待って!」と大きな声で口にした。
今までルイーザはずっとずっといい子にしてきた。良い子だったはずだ。誰にも迷惑なんてかけていないし、わがままも言っていない、捨てられる要素なんかどこにもないはずだ。
「待って!!」
「……」
手を離してほしくて腕を引っ張る、母も殿下も気にしない様子でルイーザの言葉で戻ってきてくれたりはしない。
「待ってッ置いていかないでッ」
声を張り上げて泣いた。頭のなかがめちゃくちゃで目の前が暗くなる。それでも扉は無情に閉まる。しかしルイーザは必死に母に向かって捨てないでと叫んだのだった。




