1−25/ライフライン
前回のあらすじ
強いように見えて実は脆い、そんな気がする彼女。
電話。たとえ遠く離れていようと、海すら超えて通話ができる、現代化学が生み出した叡智の結晶。
——が。ここまで心臓に悪い使い方をした人間は、俺の知っている限りそうはいない。
首謀者と名乗る男。いたずら電話でもない限り、十中八九俺が対峙したあの男だろう。
だが、何のために? 行動の理由も、望んでいる結果も、全くもって予想がつかない。
そもそも、彼らの目的が達成された時点で、交渉の余地などハナから存在しないはずだ。しかし愉快犯の類だと斬って捨てるには、あまりにもタイミングが出来すぎている。
「響、スピーカーに変えろ。録音と逆探知もだ——どうする、俊。話すか?」
一気に張り詰める空気の中、降って湧いた大佐の言葉に生唾を呑み下す。
あの男と話す。正解を知りたい疑問もある。解決させたい問題も、明らかにしなければならない命題も、堆く積み重なっている。それを直接問いただせるというのなら、これ以上の機会などそうはない。
ただ——ただ。それ以上に。奴と接触するのが、果てしなく危険なことのようにも思える。
「……っ」
葛藤と逡巡。それを上塗りしたのは、突如として胸中に姿を現した、ひとつの巨大な感情だった。
目に見えない大きなうねりが、俺を強烈に突き動かす。それに逆らうことなどできるはずもなく、気づけば震える手は繋がったままの受話器を握りしめていた。
「……何の用だ」
『やあ、ヒーロー。君ならそこにいると思っていたよ。重要参考人としてなのか、規則違反者としてなのかは知らないがね』
電話越しでもわかるほどに上機嫌な声が、口火を切った途端に耳元へと滑りこむ。
日本人と言われても納得できるほどに流暢な日本語と、まったく隙の見えないその口ぶり。疑いようもなく、数時間前に聞いたあの男のものだ。
「おかげさまで重要参考人だよ。それより目的は何だ? わざわざ雑談でもしに来たのか?」
「いやいや、まさか。もちろんそれも悪くないが、どうにも電話越しというのは味気なくてね。それはまたの機会に、ゆっくりと腰を据えてやろうじゃないか」
敵の本拠地に喧嘩を売り込んでいるにも関わらず、その声に不自然な緊張は微塵もない。どこまでも自然体のまま、世間話のようなその口ぶりに、少しでも油断すれば引き込まれそうになる。
静まり返った司令室に響く、拡大された男の声。5人分の視線が肌に突き刺さるのを感じながら、一言も聞き漏らすまいと神経を集中させる。
『君の後ろに控えている彼らにしてみても、この展開は面白くもないはずだ。部外者に侵入された挙句、好き勝手に引っかき回されているこの状況がね。だろう?』
「……何が言いたい」
余裕と自信に満ちた男の口調は、しかしこちらの状況を的確に把握したものだ。記録されていることすらも織り込み済みで、一言一句をコントロールしているに違いない。
どこまでの底の見えない存在の大きさと、それとは相反するような軽い声色。真剣な色などかけらもないその態度だからこそ、薄ら寒いものが背筋を撫でるのを感じ取る。
『そう身構えることもない、話は実に簡単だよ。要は敗者復活戦だ』
「……は?」
『文字通りの意味さ。私が君たちから奪ったパンドラの箱、それを奪い返す機会を与えよう、と言っている。ただしヒーロー、今回は君が参加することを条件に加えさせてもらうがね』
子供に言い含めるかのような、ごくごく当然のことを説明するていで。
あり得ないはずの言葉が、立て続けに言い放たれる。
考えるまでもない。こんなものはただのまやかし、こちらを翻弄するための狂言だ。あれだけ手間をかけて手に入れたものを手放すなど、ハナから交渉の形にすらなっていない。
ああ、そうだ——紛れもなく、そう理解しているはずなのに。
それを真実だと思わせるほどの、有無を言わせぬ言葉の重みが、俺から咄嗟の判断力を失わせる。
「……そんなものを、俺が信用すると思うのか?」
『信用など、君にとっては全く意味がないだろう。君にとって価値あるもの、それが私から君への報酬だ。よく考えるといい……と言いたいところだが、私はどうにも気が短くてね』
やっとの事で絞り出した俺の反応を軽くあしらい、男は思わせぶりな台詞を吐く。
どうにかして情報を引き出そうとする努力もむなしく、完全に向こうの思惑通りに話が進んでいく。なすがままに手玉に取られ、言葉をつなぐこともままならない。
『タイムリミットは二時間だ。二時間後、私は理想郷への第一歩を踏み出す』
「——っ、待」
「遅かった」。
思考も、反応も。その事実を判断することすら、致命的なまでに遅い。
『私を止めてみたまえ、ヒーロー。期待して待っているよ』
言葉ですらないその声など、当然聞き届けられるはずもなく。
虚しく木霊する、不通を示す電子音。一方的な宣言から立ち直った時にはもう、耳元の受話器はその役目を終えていた。
「響、どうだ?」
息を吸い込むことすら憚られるような静寂の中にあって、唯一大佐だけが即座に口を開く。
対する響さんはしばらくパソコンの画面を睨んだのち、力無い所作のまま無言で首を横に振る。その反応を境にして、周囲の空気が心なしか弛緩した。
「ま、そんなヘマはしないだろうな。……にしても、こんな手を取ってくるとは思わなかったが」
虚空を見つめて頭を搔く大佐の言葉が、耳元でやけに大きく木霊する。
無論、男の言葉は到底信用できるものではない。改めて考えるまでもなく、その信憑性はゼロ以下だ。
よしんば「ヒーロー」、つまり俺を誘い出すという目的が真実だったとしても、あまりに中途半端な要求だ。あの男が『パンドラの箱』とやらを持ってくる必要がないのと同じように、馬鹿正直に俺が出て行く義理もない。
そもそも、明確に場所を指定していないという点からして曖昧にすぎる。他にヒントが何もない現状、こちらが正解の場所を引く確率は限りなく低い。謎解きをしているようなものだ。
本気で俺を誘い出したいのならば、そうする以外の選択肢を徹底的に潰した上で、脅迫という形をとればいい。あの男ならそう考えるだろうし、躊躇なくそれを実行に移すだろう。
……まるで分からない。あの男の真意は何処にある? それとも、こうして俺が思い悩むこと、それ自体が奴の掌の上なのか。
「おし、まずは潜伏先の絞り込みからだ。響、班をひとつ追加するように鬼島に伝えてくれ。人数はいらん、少数精鋭でいい。精神系に耐性がある奴は最優先だ」
「……待ってください。あの男の言葉を信用するんですか?」
何も分からない困惑、理解のできない焦燥。頭を抱える俺を置き去りにして、坂本大佐は指示を下し始める。その言葉に対して当然とも言える疑問を向けるのは、衝撃からいち早く立ち直った水無坂だ。
「信用なんかじゃなく、それ以前の話だ。目的を達成した人間がわざわざ接触してくる時点で、その理由は二つしかない。勝利宣言か、交渉にかこつけた要求か。今回のがどっちかなんて考えなくてもわかるだろう。名前も所属も名乗らないような勝利宣言があるか?」
「……つまり、向こうは本気だと?」
「少なくとも、こちらと会う気はあるってことだろう。ブツを渡すかどうかはさておくとして、な。今頃、ス○バあたりで優雅に時間を持て余していることだろうよ」
鋭い水無坂の問いに対しても、大佐の瞳は揺れることがない。片手間といった様子で簡潔に答えると、響さんに追加のオーダーを出す。
納得がいかないのか不満げな水無坂とは対照的に、答えを得たような様子で思案する樋笠。二人の間で腕を組んで壁にもたれかかる魚見は、なおも仏頂面を崩さないままだ。
「——さて。わかってるとは思うが、今回のキーマンはお前だ、俊。奴はお前を名指しで呼びつけ、お前が出張ることを条件にした上で交渉の場を作った。この意味がわかるか?」
「……俺が行く必要があるってことじゃないのか?」
話題の矛先が自分に向いたことを確認し、堂々巡りに沈んでいた思考を引っ張り上げる。
交渉の場、と言うからには、この場での交渉材料は俺ということになるだろう。行く必要、というと不遜な響きがあるが、認識としては行かなければ話にならない、というのが正しいか。
坂本大佐が会う気でいる以上、交渉のカードである俺に口を挟む権利はない。そういう話かと思ったのだが、
「違う。この要求は初めから、お前に合わせたレベルで作られてるってことだ。そう考えれば奴が潜伏している場所も、お前が知っていて、なおかつ行くことのできる範囲に限られてくる。奴がお前の知識全てを網羅しているとは思えない以上、ある程度近場の、それも知名度のあるところを選択するはずだ。思い当たるところを片っ端から上げていってくれ」
返ってきたのは、予想外の展開だった。
思い当たるところ、ねえ……そんなことを唐突に言われても、俺は生まれてこのかた旅行というものをしたことがない。そんな余裕がなかった、というべきなのだろうが、とにかくそのおかげで名所などほぼ無知なのだ。日本国民が遍く知っている場所しか提示できないあたり、我ながら水無坂などよりよっぽど世間知らずといってもいいのかもしれない。
……しかし。返答次第でこの場の、果ては日本星皇軍そのものの趨勢が決まるかもしれないのだ。どれほど困難な道であろうと、わかりませんでしたで済ませられる問題ではない。
「…………スカイツリー、京都タワー。あと通天閣?」
「なんですかその縛りは」
だからその顔やめろ水無坂。仕方ないだろ、出来るもんなら俺だって姉に旅行とかさせてやりたかったんだぞ。
「今の所発見の報告はありませんし、そういった場所にいる可能性は望み薄といったほうがいいでしょうね。もっとも、よほど巧妙に隠れているとなれば話は別ですが」
「あれだけ堂々と見栄を切ったんだ。それがトラップであるにせよ、何らかの目印はあるだろうさ。つまり、誰もが思いつく類の場所にはいないってことだ」
出涸らしの頭を絞った素人案を、至極冷静なまま否定する響さん。その報告に、頭を掻いて大佐が唸る。
……考えろ。なぜ、あの男はこれほど迂遠なやり方を取った? あの底が知れない男が、意味のない言動をするとは思えない。
会話の中に、電話口での言葉の背後に。どれほど分かり辛かろうと、そこには必ず意味があるはずだ。
止めてみたまえ、と奴は言った。その鍵となるものが、必ずどこかに——
「……いや」
瞬間。
形にできない違和感が、脳内を電流のように駆け巡った。
焦燥を飲み込み、混乱を打ちはらい、なおも急速に膨らみ続ける。俺の頭を塗り替えていくそれは、やがて確かな形を取り、ひとつの答えへと収束していく。
理想郷。あの男が口にした、ともすれば場違いとも思えるような言葉。それは、もしや——。
「ああ、それと。仮に場所の目星がついたとしても、現場への同行は任意だ。俺が頼んだのはあくまで情報提供までだからな。行くか行かないか、その選択権はお前にある」
ある種特例措置とも呼べるその言葉が、大佐の口から思い出したかのように付け加えられる。
敵のボスにいち生徒を引き合わせるなど、本来ならば言語道断の危険行為だ。俺の独断ならいざ知らず、それを他ならぬ大佐が告げるという事実は、この判断が軍部の総意であるとも受け止められかねないことを意味している。
「……選択権、か」
もはや遥か昔にも思える星屑との戦闘と、そして例の襲撃者との攻防。大佐の言葉をトリガーにして、それらの記憶が彼方から落ちてくる。
思えば今までの戦いには、選択権など存在しなかった。この一週間で起こった二度の殺し合い、そのどちらも俺は確たる意思を持たないまま、本能に流されるままに身を投じてきた。
だから、きっと。これは俺にとって、始めての選択なのだろう。
あの男と会うのなら、その先にあるものから目を逸らすことなどできない。
進むべきか否かはここで決まる。そして、決断を下すのは他でもない俺自身だ。
「……ひとつだけ。あの男がいるかもしれない場所に、心当たりがある」
——いや。それは違うと、誰かが見透かしたような顔で笑っている。
決断なんて、今更するまでもない。
そんなものは、とっくの前に終わっているのだから。
次回、決戦準備その1。各々、抜かりなく。
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