玖話
―― 帝国暦335年:森の都(王国占領中) ――
森に囲まれ半ば孤立した街に、夜が訪れるのは早い。
日の入りから間もなくすると、大通りですら行き交う人はまばらとなり、店屋も早々に扉を閉める。
帝国の工作を原因とする政情不安もやや落ち着き、静かで平和な日々が続いていた、ある夏の一夜のその夜半。街の一角が、何の前触れもなく唐突に燃え上がった。
火元は王国軍の駐屯地のすぐ脇だった。運び込まれた生活物資、軍需物資に火が燃え移り、またたく間に火勢が強まっていく。慌てて起き出した兵士達が懸命に消火作業に当たるが、火の勢いは衰えない。駐屯地だけでは済まず、周囲の住居にまで燃え広がり大火災になるのではないか、兵士達がそんな危惧を抱いたときだった。
燃えさかる業火の中に、一人の男が飛び込んでいった。周囲が止める間もなかった。
炎の中に男の姿が消えて数十秒。
焼け死んだか――。
周囲の者たちが思った、その時。
重厚な金属音と共に、悠然と、炎の中に立ち上がった。
鋼の巨人が。
その銀色の巨大な甲冑の表面を炎の赤で彩らせつつ、大ぶりの刀を握った巨人はゆっくりと周囲を見渡し。
次いで、凄まじい速さで動き始めた。
自身の周囲の可燃物を手にした刀で退け、あるいは踏み潰して炎を消して足場を確保したとみるや、大きく跳躍して今まさに隣の建物に燃え移ろうとしている炎を、王国軍宿舎の屋根ごと切り落とし、甲冑の巨大な足で踏み消した。
さらに積み重なって燃えている貨物を刀の峰で散らし、炎ごと踏み潰し、それを幾度も繰り返す。あるいは中心で燃える火種を剣先にひっかけ、あるいは鋼の指で掴んでは幾つかある貯水槽へと放り込む。
その様は、まるで舞を舞っているかのようだった。
思わず消火の手を止めた王国兵たちが歓声を上げて見守る中、数名の男達だけが青ざめた顔をしていた。
その顔は言っていた。
“もしこの光景を、帝国に見られてしまったら”
同時刻、市中、風上側の建物群の端。身を潜めて火災の様子を窺っていた数名の男達のうち、先頭に立つ男が振り返り、潜めた声で他の男達に命令を下した。
「本国に至急連絡だ。“3体目の巨人を発見せり”とな」
* * * * * *
だが結論から言うと、この交渉は決裂する。
主な理由は三つ挙げられる。
一つ。まず交渉中に王国がその本拠地を占領中の旧都に移したこと。
二つ。「ネズレ」の3機目の存在――森の都に配備されていた――が暴かれたこと。
三つ。王国が周辺諸国……帝国の複数の属国及び周辺諸国に働きかけ、技術供与を匂わせて反乱や侵攻を指嗾していた事実が判明したこと。
そしてそれらを王国が隠していたこと。
王国は、帝国を信用しきれなかったのであろう。しかし表で交渉を行いながら、帝国はそんな王国の動きを裏で観察していた。そして「なおも反乱の危険あり」と判断した。
以上によって帝国は最初の申し出よりも厳しい条件を王国に突きつけ、王国はそれを拒絶した。
かくして休戦は破れ、戦闘が再開された。
ここに至って帝国は本気で動員をかけた。総兵数16万、常備軍の大半が投入された形である。軍の筆頭参謀は対“ろぼっと”戦の経験を買われたルシュ=ファル。さらに皇帝親征が宣言され、追って近衛1万と共に出陣することが公知された。
一方、王国は3万7千。これは占領した旧都の男子にまで武器を持たせた、文字通りの総戦力と言える。森の都からも軍を退き、すべての戦力を旧都に集中して迎え撃つ姿勢をとった。
もとよりこの兵力差で野戦は無い。複数方面から王国領に侵入した帝国軍は戦闘らしい戦闘も無く、全軍で旧都を囲む形になった。しかし城塞都市としての旧都の防備は流石に堅固だった。城壁は一重だが高さは平均で60フレド(18.3メートル)、幅は28フレド。加えて650フレド(200メートル弱)ごとに監視と攻撃拠点を兼ねた塔が配置されている。東西南北の四ヶ所の城門は固く閉ざされ、他の出入り口である河は城門の防備に準じる水門で守られていた。
* * * * * *
―― 帝国暦335年:王国旧王都・王宮前 ――
鋼のような雰囲気をまとった男だった。
赤みがかった茶色の短く刈り込んだ毛に緑の瞳、歳の頃は30を少し過ぎたあたりか。長身ながら筋肉質の引き締まった身体からは、精悍さがにじみ出ている。
王立騎士団の宿舎からクグニスとニィズの二人が歩み出てくるのを認めると、彼は軽く手綱を引いて馬車を止めた。重い音を立てて止まった4頭立ての馬車の御者席から身軽に跳び降り、二人に向かって歩み寄ると、その前で背筋を伸ばして告げた。
「カイザ=ゴウト。森の都より帰任した。これより騎士団の任務に復帰する」
真正面に立ったクグニスが同様に背筋を伸ばし、直立不動の姿勢を取る。
「カイザ=ゴウト殿の帰任、了解した。引き続き騎士団の通常任務に当たられたし。……相変わらず、固っ苦しい挨拶だな。まあ、お疲れ様だ」
前半は真面目に、後半は砕けた感じでクグニスが言うと、カイザと呼ばれた男は苦笑を浮かべた。
「性分でな。それに世界初の“ろぼっと”による騎士団だ。皆の模範として振る舞わねばなるまい」
その言葉にクグニスも苦笑を返す。
「また大きく出たな。王の近侍を離れても、その辺は変わらずか」
「変わる理由もあるまい。それより、だ」
カイザは背後の馬車の、荷台に積んだもののの方へ目をやった。
「貴公らはこいつの、「ネズレ」の初陣を見事に飾ったと聞いた、よくやってくれた。だが俺の方は」
声に苦渋が満ちた。
「すまん、機体の存在を帝国に知られてしまった。和平の決裂の一因になったかも知れん」
「その話か、気にすんな」
クグニスは変わらぬ調子で手をひらひらと振って見せた。旧知の仲らしく、親しげな調子だった。
「どちらにしても帝国はやる気だったろうさ。それよりも3機目を守ってくれて感謝する。これからの防衛戦、2機と3機じゃえらい違いだ」
「そう言ってもらえると助かる。この3機、3人で……か」
ほっとしたように顔を上げて視線を巡らせたカイザの視線が、黙って彼を見上げるニィズの上で止まった。
「師匠のことは、残念だった。気を落とすな、とは言わないが」
掛けた言葉は、気遣いと労りに満ちていた。ニィズは小さく首を振った。
「もう大丈夫。ほんの少しだけだけど、わかったから」
カイザとクグニスが視線を向ける中、少女ははっきりとした口調で言い切った。
「兄様が見ていたもの。兄様がやろうとしていたこと。兄様が思い描いていた未来。「ネズレ」に乗ったら、少しだけ見えた。だからあたしは、やるよ」
カイザの目元が和らいだ。
「やむを得んか。これからも頼む」
「うん」
ニィズがカイザを強く見返したところへ、横からクグニスが口を出した。
「ちなみだな。準備が整い次第、軍と共に街中を練り歩けってお達しが来ている。街じゃ帝国軍の来襲に怯える者が多いらしくてな」
「これを見せびらかせってこと?」
少し考え、馬車の上に横たわる「ネズレ」を指さしたニィズに、青年は大きく頷いて見せた。
「俺らの2騎も加えてだ。いかに帝国が大軍だろうと、我らには王立巨神騎士団あり、恐るるに足らずってな」
「巨神騎士団……か。師匠の名付けだったな」
カイザはどこか懐かしそうな目になった。
「よかろう。3人だけの騎士団だが、我らで見事、務めを果たすとしよう」
「わかった、行こう」
ニィズが力強く答え、クグニスが晴れやかに笑った。
「じゃ、始めるか。我らが人造巨神の、晴れ舞台だ」




