正気と狂気
「あの……」
公生は振り返ると、ペドロに声をかけた。
「なんだい?」
「さっき柳沢さんがいたのは、この辺りだった気がするんですけど」
不安そうに尋ねた。
そう、公生は柳沢と会うために引き返したのだ。処刑人と対面することになったとしても構わなかった。助けることはできなくとも、せめて別れの挨拶はしておきたかった。
しかし、柳沢の姿はない。
先ほど柳沢と話したのは、今いる場所だった気がする。しかし、柳沢はいない。てっきり死体が転がっているのではないかと思ったのだが、それらしき物もない。
てっきり、違った場所に来てしまったのではないかと思ったのだ。
「そうだよ。彼は、ここにいた」
そう言うと、ペドロは地面に視線を移した。公生は、さらに尋ねる。
「柳沢さんは、どこかに行っちゃったんでしょうか?」
その問いには、いくばくかの期待も込められていた。ひょっとしたら、柳沢は助かったのかもしれないという思いである。
しかし、ペドロの答えは非情だった。
「いや、彼はここで殺されたのだ。見たまえ、血の痕がある」
そう言うと、ペドロは足元の草を指さす。確かに、そこには赤いものが付着していた。
「そ、そんな……」
一瞬、目の前が暗くなるような感覚に襲われた。
ほんの僅かな時間、ここを離れていただけだ。時間にして、十分も経っていないだろう。
そんな僅かな時間で、柳沢は殺されてしまったというのか。
「柳沢さんの死体はどこですか?」
そっと尋ねてみた。せめて、彼の遺体にお別れを言いたかったのだ。
しかし、ペドロからは非情な答えが返ってきた。
「処刑人が処分してしまったのだろう。実に手際がいい。プロの始末屋と比べても、遜色ないな。いっそ、俺の仕事のパートナーに欲しいくらいだ」
「何を言ってるんですか……」
唖然となる公生だったが、ペドロは彼のことなど見ていなかった。しゃがみ込むと、周囲の土や草をじっくりと見ている。
「本当に素晴らしい。この血痕から察するに、彼は柳沢さんを刺殺したようだ。沖田くんの時は、血の出ない絞殺だった。となると、処刑人は殺し方を標的によって変えている可能性が出てきた。実に面白い」
その態度に、公生は不快なものを感じた。思わず声が出る。
「何が面白いんですか? 柳沢さんは死んだんですよ?」
「その通り、柳沢さんは死んだ。だがね、彼には殺されるべき理由があった。それゆえ処刑人に殺された。それだけのことだよ」
「でも、それには理由が……」
「理由があれば、人を殺してもいいのかな?」
「い、いいえ」
一旦は、そう答えた。しかし、公生の心には未だ納得いかない部分がある。
ペドロという男は、なぜこんなにも簡単に人の死を受け入れられるのだろう。これが、大人の余裕というものなのか。
しかし、そんな大人にはなりたくない──
唇を噛みしめ、うつむく公生だった。そんな彼に向かい、ペドロが声をかける。
「君は、事故で両親を失ったと言っていたね。当時、どんな気分だった?」
いきなり関係のないことを聞かれ、公生は戸惑いつつも答える。
「それは、その、悲しかったです」
「今も悲しいのかい?」
「いや、それは……」
悲しいに決まってるじゃないですか、と言おうとした。だが、言えなかった。普段の生活では、両親が死んだことなど考えもしていない。
はっきり言うなら、両親が死んだことなど忘れている。忘れている、という事実すら記憶から消えているのだ。
その時、ペドロはクスリと笑った。
「君は、両親が死んだことなど忘れて生活している。だがね、それは至極まっとうな反応なのだよ。人間に備わっている忘れるという機能は、ともすれば否定されることもある。しかし、両親が亡くなった時の衝撃を全て完璧に記憶し、忘れなかったとしたら……君は、まともな生活を送れなかっただろう」
そう言われ、公生は顔をあげペドロを見つめる。
「そうですね。でも、柳沢さんは忘れられなかったんですよね?」
「その通りだ。彼は、妻と娘の死を忘れることができなかった。結果、事件を起こした。忘れることができないというのは、ある意味では不幸なことだよ。ちなみに、俺も忘れることができないタイプの人間だ」
ペドロはニヤリと笑うと、己の胸を指さした。
「さっき、俺は柳沢さんに言った。自分の中の悪魔を認めること、それが楽に生きるコツだ……と。あいにく、俺のアドバイスが役に立つ前に彼は死んでしまったがね。君も覚えておきたまえ。人は、どんなことにも慣れることができる」
「それは、その……」
違うと思います、と言いたかった。だが、その言葉を呑み込んだ。ペドロには、何を言っても勝てない。確実に論破されるだろう。だが、彼の言うことを受け入れる気にもなれない。
その時、ペドロはまたしても笑った。
「君は、本当に面白いな」
翌朝、公生はヘリコプターの音で目覚めた。
昨日は、ペドロと話しているうちに、いつの間にか眠ってしまったらしい。この島は夜になると、本物の暗闇に覆われる。視界が完全に「無」になるのだ。島に来るまで、こんな体験をしたことはなかった。
それに、昨日はいろんなことがあり過ぎた。正直、公生の脳のキャパシティを超えていた気がする。頭がオーバーヒートしてしまったのかもしれない。
公生は立ち上がると、周りを見回した。寝る直前まで、ペドロはそばにいたような記憶があるのだが……今は、影も形も見えない。
まあ、いい。とりあえずヘリコプターの降りる場所に行こう。昨日と同じ場所だろうし、そこまでは遠くない。公生は歩き出した。
公生が草原に到着すると、ヘリコプターは既に着陸していた。百目鬼たちも来ている。そこまでは、昨日と同じだ。
しかし、昨日とは違う点もある。衣服が二人分、木の枝に掛けられているのだ。あれは、おそらく沖田と柳沢のものだろう。
途端に、公生の胸に痛みが走る。ふたりとも、昨日までは確かに生きていた。言葉も交わした。
にもかかわらず、今はいない──
「ようやく目が覚めたか。さて、食料を受け取るとしよう」
不意に背後から声をかけられ、公生は飛び上がりそうになる。慌てて振り返ると、そこにいたのはペドロであった。
「どうしたのかね? まさか、食料はいらないとは言わないよね?」
ペドロの問いに、公生は首を横に振る。こんな時でも、腹は減るのだ。そのことは、この島に来てよくわかった。
だが、そこで異変が起こる──
「君たち! 弁護士を呼んでくれ!」
叫ぶ声が聞こえたため、公生はそちらを向く。
そこには永井がいた。痩けた頬、血走った目、青白い顔……明らかに普通ではない。
「彼は、昨日から寝ていない。挙げ句、正気を保てなくなってしまったようだね」
ペドロが冷静な口調で分析する中、永井はさらに異様な行動に走る──
「聞いているのかぁ!? 我々にも人権があるはずだ! 弁護士を呼べ!」
喚きながら、ヘリの男に近づいていく。しかし、男は何の躊躇いもなく銃を向ける。
直後、銃口からゴム弾が発射された。弾丸は永井の腹に命中し、彼は悲鳴と共にうずくまる。すると、見ている百目鬼や井川らの表情が歪んだ。
一方、男たちは百目鬼たちのことなど見ていなかった。彼らは、食料と水の入ったケースを降ろし、沖田と柳沢の着ていた衣服を回収する。さらに、落ちているゴム弾も拾い上げた。呻き声をあげている永井のことは、完全に無視している。
直後、ヘリコプターは飛び去っていった。残されたのは、地面にうずくまる永井と、呆然となっている百目鬼と井川であった。
そんな中でも、ペドロは冷静に動いていた。ケースに近づくと、中からふたり分の食料と水を取り出した。
その時、百目鬼が叫ぶ──
「ペドロさん! いい加減に教えてくれないか!? この島で、何が起きている!?」




