永井と井川の暴走
「前にも言ったはずだ。それは教えられない、と。もう忘れてしまったのかい?」
冷静に聞き返すペドロだったが、今の彼らには、その冷静さが不快なのかもしれない。百目鬼はともかく、井川と永井は親の仇にでも会ったかのような表情で睨みつける。
「この島には何がいるんだ!? これから何が起こるんだ!? 目的は何なんだ!? 教えないと殺すぞ!」
これは井川である。公生は、緊迫した状況にもかかわらず笑いそうになった。どう考えても、井川ではペドロを殺すことなどできないだろう。何せ井川は、沖田にすら怯んでいたのだ。公生の目から見て、両者の差はチワワと土佐犬くらいはあるだろう。
にもかかわらず、井川は血走った目でペドロを睨んでいた。今にも飛びかかっていきそうな雰囲気なのだ。
今の彼らに、勝ち目の有無など関係ないらしい。その程度の判断力すら失われ、ただ感情をぶつける相手を探しているように見えた。
何と愚かな男なのだろうか。公生に向かい、この状況でやるべきことは……と尋ねたとしよう。彼にベストな選択は思いつかない。
それでも、わかることはある。ここで仲間割れをするのは最悪だ。ましてや、ペドロは怪物と言っていい男である。殺そうとすれば、返り討ちに遭うだけだ。万一……いや、百万一の奇跡が起き井川がペドロを殺したとしても。その場合は一切の情報源が絶たれる。誰も得しない。
ヤクザといっても、ここまでバカな奴がいるんだ……しかも、この人は完全にビビっている。
公生は、そんなことを考えつつ成り行きを見ていた。だが、彼はひとつ忘れていた。
普通の人間はもちろんのこと、訓練された兵士でも、こんな状況では混乱する。ましてや、普通の高校生なら推して知るべしだ。
にもかかわらず、「普通の高校生」であるはずの公生はパニックに陥らず、まともな思考を捨てていない。
ペドロはというと、井川のことなど見ていなかった。彼の視線の先には公生がいる。自称ヤクザの死刑囚が殺すなどと喚いているのに、全く意に介していないらしい。
「俺が確実に勝つとわかっているからか? いや、それにしても環境適応が早すぎる」
ひとり呟いたペドロだったが、井川はまだ凄んでくる。
「お前、聞いてんのかよ! 俺がやらねえとでも思っているのか!? 俺はな、極真空手の黒帯三人をぶっ飛ばしたことがあるんだぞ!?」
こんなことを言ってはいるが、今になって自分の発言の愚かしさに気づいたらしい。額には汗が滲み、顔色も青くなっていた。
しかし、先ほど「殺す」と言った以上、引っ込みがつかないらしい。
対するペドロは、溜息を吐きつつ答えた。
「空手の黒帯三人でも、実力が下の者に敗れることはある。それ以前に、今の発言は嘘だろう?」
「う、嘘じゃねえ!」
井川は怒鳴った。顔が真っ赤なのは、ペドロの言葉が図星だったからだろうか。
ペドロの方は、余裕たっぷりの表情で返していく。
「まあ、嘘であろうがなかろうが、俺には関係ないがね。いいよ、君の空手の黒帯三人を倒した拳を、俺に向けるといい。ただし、その場合はこちらも本気で対応するよ」
途端に、井川は後ずさった。やはり、先ほどの話は嘘だったらしい。
一方、ペドロは何事もなかったかのように話を続ける。
「ひとつ忠告しておこう。この状況は、完全に予想外だ。ここからは、何が起こるかわからない。生き延びたければ、余計なことはせずおとなしくしていることだ」
そう言うと、ペドロはさっさと離れていく。公生は、小走りで後を追った。
「すみません、予想外とはどういうことですか?」
追いつくと同時に、公生は尋ねた。先読み名人のごときペドロすら、今は予想外の状況だと言っている。
では、ペドロの読みと今の状況がどれほど食い違うのか? そこが知りたかった。
「あまり詳しくは言えないのだが、この短期間で三人が死亡した。死んだ者たちにも理由があるとはいえ、少々やり過ぎな気はするよ。これでは、単なる殺人マシンだ」
ペドロの答えに、公生は首を傾げた。単なる殺人マシン、というのは処刑人のことだろう。
ならば、それは褒め言葉ではないだろうか。
「処刑人としては優秀、といえるのではないですか?」
「ところが、事態はそう単純でもないのさ。まあ、君にとっては、島の秘密を知らない方が幸せだよ」
◆◆◆
去りゆくペドロの後ろ姿を、井川は忌々しげに睨みつけた。
「あの野郎、ナメやがって……絶対に殺してやる」
「後ろから不意打ちすれば殺せますか?」
「いや、素手だと無理そうだな。なんか武器があればいいんだけどよ、リュックには入ってなかったし、島にもそれらしいものはなかった」
直後、井川は百目鬼の方を向いた。
「百目鬼さん、あんたならどうする? ペドロを素手で殺れると思うか?」
「それは無理じゃないかな。小林くんが一瞬にしてやられた技を見ただろう。あんな芸当を、リアルな闘いの場で見たのは初めてだ」
「それもそうだな……」
考え込む井川に、百目鬼は頭を下げた。
「とりあえず、武器になりそうなものを探してみますよ」
さりげない口調で言うと、百目鬼はその場を離れていった。その顔には「やれやれ」とでもいいたげな表情が浮かんでいる。
この状況で、ペドロを殺してどうするのだろう。最悪手だ。
これが百目鬼の本音であった。
この島に来た時、百目鬼はまず井川や永井らを言葉巧みに誘い仲間とした。最初に出会ったペドロは理解の範疇を超えた怪物で、しかも恐ろしい洞察力で嘘を見抜ける。公生は無能、沖田は反抗的だ。
対する井川と永井は、頭はさほどよくない。しかし公生ほど無能ではないし、何より操りやすい……最初は、そう判断していた。
ところが、今の井川の表情を見て、それが間違いだったことを思い知らされた。井川は、視野狭窄状態に陥っている。永井も同様だ。
おそらくは、ふたりとも怒りの感情に突き動かされて、成功率がゼロに近い計画を実行してしまうのだろう。
「あそこまでバカとは思わなかった。もう潮時だな」
そう呟くと、森の中を慎重に進んでいった。こうなった以上、ペドロに頭を下げ情報を集めるしかない。断片的な情報でも構わなかった。少なくとも、判断する材料にはなる。
一方、井川と永井は計画を話し合っていた。
「そういや、この島には石ころがあちこちに落ちてるよな。それと木の枝を組み合わせれば、石斧や石槍を作れないか?」
井川の提案に、永井はパチンと手を叩いた。
「いや、さすがは戦い慣れしていますな。それでいきましょう」
「ところで、お前はこれまで何人殺した? ペドロは手強いぞ。いざって時にビビらず行けるか?」
「もちろんです。私はふたり殺してますが、その片方が地下アイドルだったんですよ。かなりの額課金し応援してきたんですがね、もっとエロい衣装着て欲しいな……ってDMを送ったらブロックされました」
もちろん、それだけが理由ではない。しかし、永井は己が被害者であるがごとく語り続ける。
「だから、金返してもらおうと家に行ったんですよ。そしたら、彼氏が出てごちゃごちゃ言ってきたんで、ふたりとも殺してやりました」
「そうか。ふたり殺してるなら大丈夫だろ。素人は、いざという時に腰が引けるからな」
訳知り顔で井川は答えたが、彼とてプロのヒットマンでも軍人でもない。素人とさして変わりないのだ。
にもかかわらず、彼らは勢いのままに動き出してしまった。
「では、材料を集めましょう」
◆◆◆
被験体IとNは、削除対象へと移行。
先ほど、観測者Pとの会話の際、露骨な脅迫的言動を確認。さらに、両者は観測者Pの殺害を企てていた模様。現在、武器を作成中。
両者とも危険分子。直ちに削除する。




