第十八章 純粋な一日の始まり
学生の本分が集団行動において自身を律しつつ学業を修めることであるとすれば、学生の一年において最も価値のない時期は、通学の必然性が免除されて各々の自学自習に教育を一任される八月であろう。
だが、ダムが貯水を放出するように、除湿器から排水タンクを引き抜いて空にするように、人間にもまたガス抜きというものが必要である。この期間を設けないとあらば、心の容器は負の感情によって決壊し、身体の節々は過負荷に耐えられずぶつぶつと断線してゆく以外に道はない。
では、精神と肉体の両面を存分に癒せる八月こそが、日々の学業に精を出す者たちにとって最も重要な時期かと問われると、これは持論となるが、僕にはそう思えなかった。
いつだったか、たしか二章の初めに、僕が毎日の授業に熱心を覚えていないといった感想を記載したような気がするが、その部分について嘘偽りはない。僕が他の何事にも気を取られずに教師の話と板書の書き移しに腐心した回数は、退屈から生まれた欠伸を噛み殺した回数と並べて、遠く及ばないと断じて問題ないだろう。
ただ、それでも僕は教室の自席に腰かけて授業を受けること、これを蛇蝎の如く嫌っているわけではなかった。
理解され難いかもかもしれないが、僕は白墨が黒板にぶつかり砕ける際に生じるかつかつと響く音……付近に座る誰それが持ち前の教科書のページを送る際の紙擦れの音……詰め替えたシャープペンシルの芯が正しく繰り出されるか確かめる動作に伴うかちかちと連なる音……このような、人の手によって生れ落ちた無機質かつ不規則な聴覚刺激を――当然のことではあるが、あくまで常識的範疇において発せられる分に関して――心地好いものとして認識していた。
繰り返しが決して訪れない、その時ただ一度きりのライブストリーミングを体感するにあたり、行きつけとしている件の図書館に足を運ぶ以外には、学校の教室に赴く他に手頃な手段が存在しないため、僕の中ではそのBGMに身を包みたいという一心によって、教室においての授業の価値は相応に高く決められていた。
そのため、僕にとって八月の夏季休暇というものは、誰かに頼んでラジオのボリュームを下げてもらうことで得た静寂ではなく、装着していたヘッドホンの接続ケーブルを勝手に引っこ抜かれた上で「さぁ、感謝しろよな」と一言添えられて押し付けられた静寂に、イメージとしては近いところがあった。
よって、僕は毎年のように夏季休暇の存在を、煩わしいとまでは言うつもりはないが、他の同輩と比較すればありがたがってもいなかったわけだが、その年の夏季休暇におけるとある一日に限っては、例年通りの考えを一時的に改めて、純粋でいることができたのだ。
その日は八月十七日であった。
外は盛夏の最中にあった。空は群青の只一色に染め上げられ、太陽光は他の一切に遮られず地表へと降り注ぎ、あらゆる物体を照らし、熱していた。
梅雨が遠くへと過ぎた後にもかかわらず、日本海側に立地する我が県の、我が地方の、我が市は、じめじめとした例年通りの熱気にアスファルトを蒸され、寂しく伸びる道路の遥か遠方にありもしない水溜まりを作り、その上に湧き立ち昇る歪んだ大気をゆらゆらと靡かせている。
八月を迎えるとほぼ同時に僕は自室の冷房を解禁していた。
生まれつきか、それとも身体が砂と化す特異体質が誘因となったか、僕は冷房から注ぎ込まれるあの特有のにおいを含んだ風が、どうにも苦手であった。それでも、この年の夏は忍耐の上限値を超える猛暑日が頻発しており、それによって僕もまた個人的な嗜好に迎合しないことを認めながらも、早々と文明の利器に頼らざるを得なかったのである。
二十七度の空気が巡回する自室は、古びた扇風機だけに涼を求めていた時と比べて遥かに快適であり、このまま一日中ベッドの上に横たわっていても一向に構わない気分にさせたが、この日の僕には生憎、酷暑へと身を乗り出さなければならない予定というものが前々から決められていたため、その時が来るまで僕は暫しの安寧を享受していたのである。
ちりんちりんと、窓の外から乾いた音が聞こえた。
ベッドから上半身を起こし、二階の窓から下層を見下ろすと、黒い車体の自転車に跨ったシュウの姿があった。彼のクロスバイクからは荷物を括り付けるためのリアキャリアとロープが外されており、普段見かける通学時の様相と比べてどれだけか精錬された印象を受けた。
置時計に目を配ると九時二十分を示している。三十分に迎えに行くと聞いていたが、今日はシュウにしては珍しく早い方へと約束がずれ込んだことになる。
僕は右手の指を四本立てて窓の外へと向け、そこで四分待てと伝えた。意図を汲んだらしいシュウはクロスバイクから降りて両腕を前で組み、とんとんとん、と大袈裟な動作で一秒おきに足先で地面を鳴らし始めた。
僕が人を待たせることを良しとしない性格であることは以前述べたとおりであり、その点に関してはシュウもまた既に承知済みであった。よって、この時の彼の所作が含む真意は、僕が未だに外出の準備を済ませていないであろう事態を憂慮して急かすためではなく、僕自信が提示した二百四十秒後ぴったりに目の前の玄関が開くかどうか、それを計ろうとしているところにあったと言える。
僕はシュウが自転車のベルを鳴らす随分前の段階で既に準備を終えていた。よって、僕が成すことは階段を下りて玄関の扉を押し開ける、ただそれだけであったが、自室から玄関口までに相当な距離を有するまでに我が家が大層立派な豪邸だというわけでもないのに、僕が余裕をもって四本の指を立てたのは、その僅かな道中を阻む存在にこの後絡まれるであろうことが、なんとなく予想できたためであった。
扇風機と冷房の電源を切り、クロゼットから普段のジャケットを取り出して羽織り、自室を後にした。階段を降り、居間を通り抜ける。ここまで五十五秒を有した。
「わぁ、めっずらしい。また絵でも描きに出かけるつもり」
ソファの定位置には海月が座っていた。背もたれに大きく寄りかかり、天井を仰ぐかのような態勢でスマートフォンの画面を見つめていたが、僕が居間の扉を広げたと同時に、その視線はちらと外れて僕を見据えた。
夏季休暇中のこれまでの平時と違う点は服装であろうか。恥も外聞もかなぐり捨てた、よれてだらだらと伸び切った着心地重視の部屋着ではなく、中学指定の体操着を上下共に身につけている。机にはエナメルバッグが乗せられ、その上にハンドタオルが引っ掛けられており、海月にもこの後に外出の予定が控えていることが容易に判断できた。
「絵は描かないけど、外には出る」
「ふぅん。図書館にでも行くの」
「いいや。今日は行かない」
「だよね。いつも、午後の涼しくなってからだもんね」
「あぁ」
「それで、何か用事でもあるの」
相手からの返信を待つ時間を退屈しているのか、海月はやたらと話しかけてきた。普段から兄に対してそれくらい親切であってもらいたいものだが、そう上手くは事が運ばないのが人生というものである。
「まぁ、な。大した用でもないけど」
「隠されると余計に気になる」
「隠してるわけじゃあない」
「それじゃあ、教えてよ」
……鈍いやつだな、お前のために黙ってるってのに。
「ちょっと遊びに行ってくるだけだ。あっちの、ほら、遊園地に」
「一人で?」
「いや、シュウと……」
僕が全て話し終えるよりも早く、「えぇっ!?」という反応が割り込んだ。
……そら、僕の懸念通りじゃあないか。
「えっ、あっ、どうして」
「別に、野郎連れ立って遊園地に行ったっておかしくはないだろ」
「ちっ……がう! どうして誘ってくれなかったの!」
「人の話を最後まで聞いてから判断してくれ。僕とシュウに加えて、力也と美術部の二人もいる。お前は初対面の高校生が三人も混ざってる中で、一緒に遊ぼうって気になるのか」
「シュウちゃんの知り合いなら良い人ばっかりだから問題ないし」
「僕の知り合いも混ざってるぞ」
「……そっちについては知らないけど」
僕は静かに傷付いた。兄への信頼よりも、お気に入りの相手への信頼の方が上回るとは。
とは言え、シュウもまた僕の知り合いという分類に含まれているため、彼が信頼されるということは、それ即ち、視点を逆転させれば、シュウの知り合いである僕もまた素晴らしい人物の一人に数えられていると捉えることもできた。
だが、海月の発言がそこまで思慮深いものではなく、より簡便かつ直情的な勢いによって押し出されたものであることはほぼ間違いなかったため、従って、僕についても直情的に落ち込んでしまったことに関しては非難される筋合いはなかろう。
「それに、今日は予定があるんだろ」
「んっ、まぁ、そうだけど……」
「温情のために黙ってた兄の気持ち、少しは理解してくれたか」
僕は居間の壁に掛けられたカレンダーを指さしながらそう返した。
基本的には母親のバイト先のシフトがメモ書きされているそのカレンダーの格子だが、本日の日付には七月のとある時分から既に、赤いペンでぐるぐると目立つように丸が描かれて強調されていた。それが母のものでも、父のものでも、僕のものでもなければ、必然的にこの日、それなりに重要な予定が海月にあることは間違いなかった。
その内容如何については正確に把握する必要性も興味もなかったため当時はわからなかったが、その日は地元の中学三校のバスケ部による練習試合があったのだと、この章を執筆している途中で当人から情報を提供されたため、ここに記載しておくことにしよう。
さて、そこまで話をしたところで壁掛け時計に視線を向けると、僕が居間に踏み込んでから二分半は既に経過していたため、妹との話し合いはこの辺りが区切りどころであろうと決心がついた。
家を出るときは戸締りと火の元を確認するようにと、件のカレンダーを恨めしそうに見つめたままの海月に告げた後、僕は居間を出て玄関へと向かった。
「やるなぁ。マジで四分ぴたり、だったぜ」
玄関を押し開けた直後、そのような挨拶が向けられた。
いつしか、シュウは靴先をメトロノーム代わりに打ち付けることを止め、手元のスマートフォンを相手に暇を潰していたらしい。その様子からして果たして本当に彼が四分を計っていたかは疑わしかったが、些事であった。
「そっちこそやるじゃないか。僕は四十分くらいに迎えに来るものだと思ってた」
「他にも待ち合わせの相手がいるときくらい、時間に敏感にもなるさ」
四章にて、シュウが良く出来たやつであると絶賛しておいてなんだが、この男はこと時間に関してはどうにもだらしないところがある。特に、僕や力也などといった、平均よりは気心の知れた間柄に対しては、半ば常習的に遅刻を繰り返していた。
故に、僕が宣言通りに玄関から姿を現したことに対するシュウの感嘆はともかくとして、シュウが予定時刻よりもなお早くに迎えに来たことに対する僕の感嘆は本物であった。
もっとも、続くシュウの返事を思えば、この外出が僕と二人きりか、あるいは僕と力也だけといった暑苦しい集いであったならば、やはり今日の彼は十か十五分ほど遅れてから自転車のベルをここで鳴らしていたことだろう。
僕は家に隣接する簡素なガレージを覗き込み、通学用自転車のタイヤに絡めたワイヤーロックをぱちりと外した。意識の高い者に言わせれば、今しがた外したような安物のワイヤーロックは鍵にすら分類されないらしいが、僕にそこまでの頓着はなかった。結局のところ、世の中に絶対などというものは存在しないのだから、それならば嘘偽りのない確かな信頼性よりも、何かしらがちゃがちゃとぶら下げることによって周囲に伝わる防犯アピールの存在があればそれで満足していたのである。実際に盗難にあえば僕の希薄な意識も否応なく改善されることだろうが、そのような事態に直面するまでは現状を変えるつもりがないのは僕の哀しいところであった。
ハンドルのグリップは未だ交換しておらず、くしゃりとした感触が握り込んだ手のひらの内側に相変わらず広がった。
この点についても僕の悪いところであるという自覚があった。手直しによって今後得られる長期の利益よりも、目先の面倒事を我慢することによる短期の利益を優先しがちであり、その部分のみに注目すれば、かつて海月が玄関に荷物をばら撒いて放置していた一件についてもそう厳しくは咎めにくいところがあった。
さて、僕は貧相なワイヤーロックを開錠し、痛んだグリップに改めて顔をしかめながら、つま先で地面を蹴ってとろとろとガレージより出でて、そこで一旦止まった。
「なぁ、濡れティッシュとか持ってないか」
「ほとんど手ぶらで来たんだが……どうした」
「グリップで汚れるんだよ。適当な頃合いで替えるつもりだったけど、忘れてた」
「濡れてなきゃダメなのか」
「いや、手が拭ければなんでもいい」
「じゃあ、これ使え」
シュウはクロスバイクのトップチューブに括られた小さな耐水性バッグを開き、未開封のポケットティッシュをひとつ取り出して僕へと放り投げた。
いつしかの雪花にしても、こちらから尋ねておいてなんだがシュウにしても、よくもまぁ不測の事態に備えているものだと感心した。思えば小学生の頃、日々携行する手荷物としてハンカチとティッシュが学校の方針として定められていたはずだが、その両方が間違いなく僕の制服のポケットに揃っていた記憶があまりない以上、持ち物に関する無頓着はどうやら昔から変わらずに今日まで続いているらしい。
「助かったよ。いちいち取りに戻るのも面倒だし」
「玄関まで何センチか、定規で計ってやろうか」
「そうじゃなくてさ。陰気な居間を通り抜けたくないって話だ」
「あぁ、海月か。なんだ、具合でも悪いのか」
「私も連れてけぇ……ってうるさいんだよ」
「本人が行きたがってるのなら別に構わないぜ」
「その本人に別の予定が入ってるんだよ。だからどうしようもないってこと」
「それじゃあ、海月には悪いけど仕方ないな」
シュウは手にしたスマートフォンを上着の内ポケットへと片付け、展開していたスタンドを跳ね上げると、空いた両手で自転車を支え、さっと跨った。
時刻は九時四十分をまもなくとしていた。
ここから目的地までは自転車で十五分もかからない。故に、遅れる可能性はまずなかったが、珍しくシュウが早くに訪れたのだから、どうせなら最終的な待ち合わせ場所にも早めに到着した方がよいだろう。
僕もまたシュウから受け取ったポケットティッシュを上着のポケットに突っ込み、地面を蹴って加速する目の前の背中を追うようにしてペダルを踏み込んだ。
最終的な待ち合わせ場所は金獅子ペットランドとして運営されている遊園地であった。
我が家から北へとどれだけか進んだところに金獅子川と名付けられた一級河川が県内を流れて日本海へと突き抜けている。
七美市と隣市の境界線を形成する金獅子川だが、その名称の由来には諸説ある。その中で定説とされているものが二つあり、ひとつはこの河川ではかつて豊富な砂金が得られたという話と、もうひとつは僅かな降雪や降雨で容易に氾濫する側面である。
砂金目当てに訪れた強欲なる者共を、さながら怒れる獅子の如く荒れ狂い、喰らう……先人たちは畏敬をもって、この川に金獅子川と名付けたのであろう。
もっとも、金獅子川から実際に砂金が得られたかは疑わしい部分があるとのことで、たとえ実際に砂金がすくわれていたとしても、それは遥か昔の一時に限った話だとのことである。今では砂金が得られたなどという話は全くと言っていいほど聞いたことがない。
それに、暴れ川であることは間違いないが、過去の災害を教訓に十分な整備が進んだ現在では、多少の雨雪程度でこの川が乱れて近隣住民に猛威を振るうことはまずなく、よって、今現在の金獅子川からは、金の輝きも獅子の威光も見当たらないと評して構わないであろう。
さて、その金獅子川には当然堤防が備わっているが、そこの一角に接する形で立地しているのが、件の金獅子ペットランドと呼ばれる遊園地である。
表記の便を優先し遊園地と記載したが、実際には極小規模な複合施設と呼んだ方が近いかもしれない。観覧車やジェットコースター、お化け屋敷などといったアトラクションを有するが、その数はお世辞にも豊富とまでは言い切れない。遊園地と聞いて想像する施設内に存在するであろう最小限度のラインナップは満たしているだろうが、あくまで一定を超えているというところであって、その高さにまでは言及しないでおこう。
ただ、この施設は所謂遊園地と呼称すべき区画と隣接する形で、相応の規模を有するペットショップも運営されているところが、他の同族と比較して比較的珍しい特徴として挙げられるだろうか。
そのような主要区画に加えてフードコートやゲームセンターなども接続し、それら全てを包括することによって、この金獅子ペットランドは、全国的に見たスケールの大きさはともかくとして、少なくともこの寂れかけた地方に居を構える民からすれば、遊び場としてそれなりの価値を有していることは確かであった。
夏季休暇の只中ではあるものの、この日の金獅子ペットランドはさほど混雑しないであろうと、僕とシュウは予想していた。
と言うのも、この日は八月三週に該当する一日であったが、その一週前からは発達した前線が長期間滞在しており、長雨がしとしとと続いていた。そうした前線が立ち去るか否か、予想の境目がこの八月十七日であった。つまり、この日が雨模様か晴天か、そのどちらに転ぶのかは、その確かなところは当日のスサノヲ神と気象庁にしか知る由がなかった。
シュウがわざわざこの日を指定した理由はそこにあった。要は、雨が降るかどうかもわからないような日に遠方から遊園地を訪れる者はそういないであろう……故にこの日は平生よりも空いているに違いない……これが彼の理屈であった。
ともかくとしてシュウはその賭けに勝ったわけである。この日の天気は前述したように快晴であり、僕はシュウの豪運を素直に驚き、土砂降りの地表で自転車を漕がずに済むことをありがたがった。
さて、僕とシュウは交通量の少ない道を選んで快適なサイクリングを暫くばかり行い、金獅子ペットランドの正面入り口を抜けて、駐輪場に各々の自転車を置いた。
十時を少し前とした現在時刻もあるだろうが、シュウの見立て通り来客はほとんどなく、広い駐車場には一台か二台の車が止められているばかりであり、どうにも遊園地の敷地内とは思えぬほど閑散としていた。
ただ、施設が本格的に動き出す前の静寂の中にも、疎らながら人影は確かにあった。その数少ない影の一組が僕とシュウの存在に気付いたのか、こちらへと向けて軽く手を振った。
「もっと遅く来た方がよかったか」
遠くの二人がこちらへと向かってくる様子を見てシュウがそのように耳打ちしたが、そもそも人を待たせることを良しとしない僕は、果たしてどちらが正解だったのか、答えられずに無言を返した。
「感心だな。待ち合わせ時間よりも早く来るとは」
「よせよ。俺はいつだって予定をすっぽかしたことはないぜ」
「む、部活をサボることはその中に数えないのか」
「まぁ、そういう日もある」
「信用ならない自己申告だな」
力也は呆れた表情でシュウに返した。常に不真面目な相手であれば一層強気な姿勢で接することもできるだろうが、真面目と不真面目を使いこなすことに長けるシュウが相手とあらば、頑迷なところがある力也にとってその扱いには手を焼くところがあるのだろう。
力也は今の内に話しておきたいと言って、バスケ部の業務連絡をシュウと確認し出した。その様子を横にして、隣の遥か下方に頭の天辺を構える者が、僕に向かって挨拶を向けた。
「おはようございます、宇佐美さん」
「今日は来てくれてありがとう」
「私も興味がありましたし、誘ってくれてありがとうございます」
雪花とは夏季休暇直前の登校日を最後に顔を合わせていなかったが、彼女は相変わらずの白い笑みをたたえていた。
危ういほどに真白な肌は、今日の鋭い日差しで少しばかり焼けた方がよさそうに思えたが、そのような不安定の中に存在するある種の輝きが焼失してしまわぬよう、やはりそのままでもよいのではないかといった身勝手な意見もまた、僕の頭の片隅には残っていた。
雪花は以前の美術部屋外活動の際に着ていた白いワンピースと似た服を身に着けていたが、両腕の生地は肩口の少し下で途切れた半袖であった。生地の重みですとんと真下に落ちるスカート部は膝と脛の間付近まで伸びており、時折吹き抜ける風がその端をひらひらと小さくなびかせていた。
襟のない首元は通気性かあるいはデザインのためか、大きく丸形に開かれており、服と肌の白と、上からの日差しでできた彼女自身による影の黒が、互いに互いを際立たせるようにして広がっている。
雪花の首筋と鎖骨の間に走る窪みに置かれた影が、斜め下に直視されて、僕は頭を掻く素振りを見せてそっと視線を外した。まじまじと見つめるのは失礼であろうと、それくらいの常識は僕も持っていた。
雪花は腕時計にちらと目を落として時刻を確かめた。
「あとは、部長さんだけですね」
「四分後に来るよ」
「途中ですれ違ったりしたのですか」
「いや、してないけど……四分後に必ず来るよ」
予想通り、千夏先輩は四分後の十時丁度に正面入り口の角から顔を出した。
部活以外には随分と熱心なやつだなと、開口一番で僕に棘を刺した千夏先輩と合流し、全員が揃った僕たちは、まずは何をしようと決めていたわけではないが、立ち話もなんだという流れとなって、とりあえずは目の前の館内へと入ることにしたのであった。