12話 【明日は、きっと】1
月日は流れ、僕は大学生活を送っていた。
人を救いたいと夢を語った海愛は、両親と話し合った末、大学に進学することを決めた。
僕と共に過ごし、母親の職場で苦しむ患者たちの話し相手をしてきた海愛。夢を叶えるため、同じ大学で、共に夢を追いかけようと決めた。
海愛は現在、僕と同じ大学で学んでいる。学部さえ違うものの、僕らはいつも互いを思いやり、密かに注目を浴びる存在となっていた。
友人と別れたところを見かけ、僕は海愛に声をかけた。
「今日の講義はもう終わり?」
僕に気がついた海愛は、満面の笑みで首を縦に振った。
「うん! 蓮は?」
小脇に分厚い紙の束を抱えながら、僕は学舎を指差した。
「このレポート提出して、今日は終わり。一緒に帰ろうか。ちょっと待ってて」
「分かった」
最後に倒れて以来、大きな発作もなく、僕は穏やかな毎日を過ごしていた。
* * *
海愛は大学入学を機に一人暮らしを始めた。
彼女は一緒に帰宅した僕の隣に座った。そのまま猫のように擦り寄ってくる。その行動を不思議に思いながら優しく髪を撫でてやると、海愛はゆっくりと口を開いた。
「あのね、蓮」
「どうした?」
僕は首を傾げながら海愛の言葉を聞いた。
「これ……」
「なに?」
海愛は携帯電話の画面を僕に見せた。受信画面に記されていたのは、見知らぬ送り主からのメールだった。
「神谷……陸?」
聞いたことのある名前だった。メールの本文にはご丁寧に自己紹介が書かれている。
「前から誘われてたりしてたんだけど……なんか友達が勝手に私のアドレス教えちゃったらしくて……一回だけでいいから食事したいんだって……」
あまりに純粋無垢な海愛の告白に、思わず笑ってしまった。
「ふーん……で、言ったの?彼氏いますとかなんとか」
「言ったよ! ……けど、そんなんじゃなくて、首席卒業間違いなしの成績優秀な櫻井蓮くんの話が聞きたいからって……どうして私なんだろう。蓮に直接聞けばいいのに」
彼女がモテることに悪い気はしない。事実、海愛は綺麗だ。手入れされた栗色の地毛は、一度も染めたことがないらしい。変わったところと言えば、髪が伸び、少しだけ化粧をするようになった、ということくらいだろうか。
なにもしなくても綺麗なのに。
眉を下げる海愛の肩を抱き、僕は優しく言った。
「なあ、海愛」
「え、なに?」
穢れを知らない海愛がとても愛しく、同時に不安を感じた。
「そういうのって普通、彼氏に言わないと思うんだけど」
言い方を変えてしまえばわざわざ「浮気してきます」と自ら宣言しているようなものだ。
本人にその気は全くないのだろうが、独占欲が強い人間に言わせてみれば、そういう解釈になってもおかしくない。
僕の言葉に海愛は頬を赤く染めた。
「なに? 妬かせたかったの?」
「ち、違うよ!」
「誘ってるなら、喜んでお受けしますよ?」
慌てる海愛の姿がとても可愛く、つい苛めたくなってしまう。これは、惚れたものの心理として正しいだろうか。
「ちょ……と、蓮!」
僕は海愛の両手首をしっかり掴み、そのままソファへと押し倒す。ソファに縫いつけられた両手の感覚に、海愛は事態を把握して反射的に顔を背ける。耳まで赤くなりながら、海愛の呼吸は心拍数の上昇から微かに乱れていた。艶めかしい、汗ばんだ白い肌。クラリと色気に眩暈を起こしながら、僕は衝動のまま海愛の首筋に唇を近づける。
「んん……」
そのまま目立つところに痕を残したのは、あえて、わざとだ。
自然と海愛の口から漏れだす熱を帯びた吐息に、僕は微笑む。
理性を失う寸前で、僕は崩れかけの理性を取り戻した。
止まった行為に、海愛はゆっくりと振り向く。鼻同士がつきそうな近い距離で、海愛と僕は見つめ合った。お互いの吐息が感じられる距離に、僕は慌てて海愛から顔を遠ざける。
これでは本当に嫉妬しているだけではないか。
「ちょっと蓮!」
痕に気がついた海愛は慌てて僕の手を振り払い、その場所を隠そうとする。
僕は動揺する心を隠しながら平静を装った。あくまで自然に。嫉妬に狂う姿など、格好悪くて見せられたもんじゃない。
「男避けにいいんじゃないか、無防備過ぎるからいけないんだ」
「もー」
海愛は困った表情を見せる。僕はそんな海愛の頭を優しく撫で、穏やかな声で言った。
「行って来ればいい」
「え?」
僕の言葉に海愛は目を見開いて驚いていた。
「だから、その男との食事。怒らないから、行ってこいよ」
「でも……」
「なにかあれば正直に言ってやればいい。もう会わない。大切な人がいるって」
僕の言葉に、海愛は小さく頷いた。
* * *
「櫻井! 今日、のみに行かねえ?」
海愛が神谷陸と食事に行く日、僕は大学で知り合った友人からのみに誘われていた。
彼の名前は片岡大志。小中高とサッカーに青春を捧げた男がなぜ医者を目指しているのかは不明だが、大志の那音に似ている雰囲気に自然と仲良くなっていった。
酒はあまり強い方ではないが、この日ばかりは誘いを受けることにした。
「いいよ、行こう」
「マジで? 櫻井とのみとか、初めてじゃね?」
大志は大袈裟に喜びながら慌てて教科書を鞄に詰め込んだ。
海愛が他の男と食事に行くことを承諾したが、内心はヒヤヒヤしていた。
僕は溜息をつき、足取りの軽い大志の後をついて行った。




