折れた名剣
落ちる、落ちる、落下する。
世界には重力という無敵の力が働いており、誰もそれに逆らうことはできない。人間も、動物も、昆虫も。それはみんなに同じことがいえる。これは未来永劫、誰にも変えられない不変の事実。
けど、俺は違う。俺は、次元を超越した完全無欠な力を有しているから、重力に逆らうことができる。ジャンプすればそのままフワフワと浮いていることができるし、落下しても地面に激突することはない。こんなことができるのは間違いなく、人類史上で俺1人だけだろう。
――などということは当然なくて、ごめんなさい、実のところ俺も重力に逆らう力など持っていないです。
ゆえに落下は免れない。
さきほど、俺は不覚にもある場所で足を滑らせてしまった。それが当然のごとく災いして、俺は現在地面に向かって落下中。
落ちている。
時間と共に地面は眼前に迫ってくる。どうでもいいが地面には小さな雑草が生えている。幾つもの、小さな灰色の石だって転がっていた。
見ている内に――激突。
俺は見事に、両足から茶色の地面に激突した。ブルル、と足から上へ全身に少し衝撃が伝わってくる。それでも、特筆すべき外傷は特にナシ。
うん、約高低差3メートルの辺りから落下したのだから当然だ。怪我をする方が甚だおかしいというものだ。一体どうやったら、高低差3メートルしかない場所からの落下を果たして、怪我をするんだよ。頭から真っ逆さま? まあそれなら怪我をしてもおかしくないな。
(ふう……)
思いながら吐息をつく。
それから試しに辺りを見回してみると、目の前には一本の道が突き抜けるように伸びていた。後ろを向いても同じような道はある。その道を挟み込むようにしてあるのは、切り立った崖。数秒前、俺が不覚にも足を滑らせてしまった崖だ。道には雑草が随所に生えていたけれど、その崖に植物の類は一切生えていない。
けど穴が幾つも開いていた。それは、まるで洞窟のような穴。穴の先には真っ直ぐな道が、延々と突き抜けるように伸びている。その道は一種の橋のようになっており、下を見れば深淵よりも深い闇が広々と広がっている。奈落の底。3メートルの崖から落ちても人が死ぬことはないだろいうが、そこから落ちれば間違いなく死ぬだろう。
思いながら天井を見上げてみると、天井には奇奇怪怪な古代文字。まるでミミズがのたうったような造形をしている。とてもじゃないけど解読はできない。
その古代文字に隣接するように存在しているのは、色の褪せた古い絵だ。素っ裸の人が穀物を運んでいる絵もあれば、素っ裸の人が松明を持って踊っている絵もあった。挙句の果てには、素っ裸の人がS○Xしている絵まである始末。
って――
(ぜんぶ素っ裸の人じゃねぇか!)
一体この絵を描いた奴は、どんな趣味してたんだよ! もしかして裸体フェチか、それともただの変態か?
わからん……。
俺は仕方なく思考することを放棄して、悠々と、足を前へ進めることにした。左右にある橋のような道を行くか前方の道を行くか迷いに迷ったのだが、結局、俺は前方の道を選ぶことにした。
進む、進む、進む。
さていきなりではあるのだが、今俺がいる場所は、世間一般に〈迷宮〉と呼ばれている場所だ。迷宮は世界各地、様々な場所でその存在が確認されている。どうして現れたのかは不明。〈終兵〉の出現と同時に、何の前触れなく現れたと言われている。
暇なので今から、その迷宮の特長を羅列してみようと思う。
まず1つに迷宮は、とても、とても危険場所だということが挙げられる。モンスターみたいのは日常茶飯事に湧いてくるし、凶悪なトラップだって仕掛けられている。道が迷路のように入り組んでいることから、一度入れば、出るのも決して容易ではないとも言われている。2日、3日は、外に出られないことなんて当たり前。下手を打ってしまえば、そのまま消息を絶ってしまうことだってありえなくもない。
というか俺がそれだ。
2週間前にこの〈魔刀迷宮〉という迷宮に入ったのだが、事前に買った地図を落としてしまったり、天井からモンスターの糞が落ちているトラップに引っかかってしまったり、(もちろんその後、迷宮にある泉で身体を綺麗に洗った)モンスターに追いかけられたりで、それから外には出られていない。
ああ、太陽の光が懐かしい。
と、話を戻そう。
迷宮2つ目の特徴は、その迷宮の最奥部に、誰もが欲しがるようなお宝が眠っているということだ。確立は悲しくなるほどに低いそうだが、俺は、何回も迷宮でお宝を見つけている。補足すると今俺が潜っている〈魔刀迷宮〉には、風の噂によるとなんと秘宝級の〈魔刀〉が眠っているらしい。その価値は、世界が荒廃する前の小国の国家予算に匹敵する、と、路上で裸身を晒していた人に聞いた。もはや言うまでもないと思うが、一応言っておくと、今回俺が〈魔刀迷宮〉に潜ったのはそれが目的だ。あらゆる魔剣、聖剣、名剣、魔刀、聖刀、名刀をコレクションしたいと思っている俺は、どうしても秘宝級の魔刀が欲しくなってしまったのだ。
どうしてそこまで刀剣の類に欲を出すのか、それについては語れば長くなってしまうので、また今度話す機会があれば話そう。
そうこうしている道の雰囲気が変わってきた。続く道には、なんだか高級そうな赤い絨毯がしかれている。さっきまで左右にあった切り立った崖はもうなくなっており、代わりに幾多の石像が佇立していた。それは〈終兵〉の特長を如実に模していた。鮮血のような真っ赤な瞳に、胴体の部分に光る黒い石。〈終兵〉には色々な形があるのだが、今挙げたものだけは全てに共通していると言っていい。
〈終兵〉は30年前に現れた生物だ。〈迷宮〉と同じようにまったくもって前触れなく出現した。それでも、どう現れたのかという推測だけは飛び交っている。悪の科学者が発明した最終兵器、という推測もあれば、軍の作っていた極秘兵器が暴走、と推測する人もいる。が、真相ははっきり言ってわからない。ただ確実に言えることは、〈終兵〉は人類が初めての邂逅した天敵ということだ。
〈終兵〉が現れる前の人類は、まさに文字通りの敵なしだった。全てを圧倒的な魔法で制圧し、負けなしの常勝不敗。
しかし〈終兵〉に対しては、呆気なさ過ぎるほどの惨敗を喫した。
〈終兵〉が現れた当初、人類は〈終兵〉を危険視して、全ての国々が協力関係となり、人類総防衛軍というものが作られた。たしか保有兵力は3億以上。兵に与えられる俸給も中々に良かったようで、入軍志願者もそれなりに多かったようだ。
対して当初確認されていた〈終兵〉の頭数は、ざっと200万程度だったと思う。この〈終兵〉たちと人類解放軍は、長い年月を掛けてしのぎを削りあった。このときに人類は、新しい魔法、魔導、魔術、魔導兵器、戦術、それらのものをすごいスピードで開発していったそうだ。ある意味この時期が、人類の黎明期だったのかもしれない。
だがさっきもいったように、人類は奮闘むなしく敗戦する。
世界各地では小規模な戦闘が起こったり、またあるときは大規模な戦闘が発生したりして、しかしそれらにことごとく人類は負けていたのだ。奇跡的にも勝利を収めることのできた戦いは、当時の英雄的司令官――アディニア・ブロッケン大将が指揮を務めた〈ダグラス砦復讐戦〉のみだと聞いている。
その無残極まりない結果、人類はどんどん兵力を失っていった。最終的に人類総防衛軍に残っていた兵士は、たったの6000程度だったそうだ。2億から6000。冗談抜きで信じられないような話だが、これがウソ偽りのない真実らしい。
そしてその後、抵抗力がほぼ0となった人類は、〈終兵〉によって好きなように蹂躙された。
世界は次々と侵略された。無慈悲な一撃によって、歴史的建造物は瓦礫にされた。全てを焼くような灼熱は、貴重な書物をほとんど灰に還してしまったらしい。そしてなにより、幾億もの命が数ヶ月の内に儚く散ってしまったそうだ。
よって人口は、一気に60億から2000万まで下降の一途を辿ったという。
これらは全て、俺が生まれる前の話である。だが俺には関係がないかと言えば、決してそうでもないと応えざるをえない。現在でも、世界の人口は6000万もいっていない。それに世界は荒廃したままだ。緑豊かな場所は、僅かにも残っていないと断言していい。
それに当然の如く、〈終兵〉もそこらへんに闊歩してしまっている。探そうと思えばいとも簡単に、見つけ出すことができるだろう。
だから今いる人類は、〈終兵〉と戦闘にならないように努力している。ようは簡単に言ってしまうと、〈終兵〉の目を忍んで生きているわけだ。例を挙げるとするならば、地下に町を作ったりだとか、辺境の土地で村を拓いたりするだとか……。まあ例外だってもちろんないこともない。数日前に俺は、巨大な要塞都市のような場所を発見していたことだし。多分そこは、今のある人工物の中ではもっとも規模があると思う。周りは堅牢な壁で囲われていて、〈継ぐ者〉と呼ばれている特別な力を使える人たちだって少なからずいた。
補足しておくとこの俺は、〈終兵〉の目を忍んで生きるなんてことは、全然していない。自由気ままに、ずっと独りで旅を続けている。俺には、あるていどの力があるからだ。今までに惜しみない努力をして、意地でも手に入れてみせた力だ。
〈終兵〉から逃げることぐらいなら余裕でできる。
歩きながら色々なことを考えていたら、やがて前方に大きな門が見えてきた。装飾過多な門だった。
トビラのあちこちに、美しい夜空のような黒色の宝石が嵌めこまれている。かっこいい紋章だって施されていた。2本の長くて鋭い剣が、交差するように描かれている紋章だ。なんとなく陳腐な感じもしなくはないが、かっこいいので文句は言わないでおく。
門自体の大きさは8メートルぐらいだろうか。見た感じだと押して開くタイプの門のようだった。鍵という鍵は掛けられていないみたいだったが、門自体が堅牢で厚く、開けるのは楽な仕事ではなさそうだ。
――そんな門の両脇には、門を守護するかのようにまた石像が立っていた。それも2体。どうやらここの迷宮は、なぜだか石像を愛しすぎているようである。
2体の石像のうち一体は、人の形を成していた。2本の足に2本の腕。目は糸のように細められており、額には横シワが刻まれていた。口元は笑いを堪えているかのように歪んでいる。
手には一振りの剣を持っていた。
(さてもう一体は……)
どこに住んでいるかのわからない魚のような形を成していた。いや……この石像を魚と言ったら、他の魚たちに失礼だ。
なんてたってこの魚の石像、人間の手足に酷似したものがしっかりと生えているのである。腕に足。その長さも、人間それと変わりがない。
胴体から生えているようにある顔には、魚特有のなんとも言えない目ん玉。その下にある口は人間よりも遥かに小さい。鼻なんかに限っては、ほぼ無いといっても語弊はなかった。
手には剣が握られている。
俺は前へ進み出た。
2体の石像を横目で確認しつつ、そびえる門の前まで移動する。
門は、近くで見ると余計に大きく見えた。
放ってくる存在感も桁違いだが、ここまで来たからにはやるしかない。
気持ちを集中させて、俺は鞘から鯉口を切って刀を抜いた。刀の名は〈黒月〉。世界に伝わる名剣の一種。長さのある刀身と、剣腹に描かれた綺麗な波紋が特長だ。刃の部分は、常に獲物を求めるように輝いている。
俺は数年前にコイツを手に入れた。手入れた時は飛び上がるぐらいに嬉しかった。以来、俺はこの〈黒月〉相棒として扱っている。戦うときはいつも一緒だ。
俺はその〈黒月〉を上段に構える。
神経は己の腕だけに集中。
目は半眼にしたり瞑ったりせずに、ひたと正面の門だけを見据えるようにする。
(俺ならできる……)
誰にともなくつぶやいてそして、
「――はっ!」
裂帛の気合と共に、俺は力の限り〈黒月〉を上段から振り下ろした。
手抜きはない。
振り下ろされた〈黒月〉は、眩しいほどの火花を散して重厚な扉を打ち据える。耳朶を引き裂くような甲高い音も響いた。
俺の腕には衝撃が伝わってきた。骨が粉砕され、肉が千切れ――そうになった。
門には看過できないようなひび割れが入った。それは俺がいてぇ~、などと思っている間にも確実に広がっていき、やがて、門自体が完全崩壊。
ガラガラと盛大な音を奏でつつ、前方には鉄塊の山が出来上がった。自分でやっといてなんだか、驚嘆に値するほどの大迫力だった。
すごかった。
そんな感想を漏らしたその瞬間――
「やっぱりか!」
耳を押さえたくなるような風切り音を撒き散らしつつ、俺に向かって2つの剣が振り下ろされた。
左右から、さっきの石像達だ。
刃は俺の命を刈ろうと着々と迫ってくる。
でも、大丈夫だ。
問題はない。
(よし……!!)
自分に一喝。
それから下がっていた〈黒月〉を頭上まで持ってきて、俺は万全の防御体制を作る。俺はこの〈黒月〉で、奴らの剣をいとも容易く弾き返してやろうと思ったのだ。いやもうこの際だから、一丁前にヘシ折るつもりで行く。〈黒月〉の切れ味は分厚い鉄をも両断するほど。奴らの刀剣をへしおるなんて楽勝だろう。
そんなことを考えていた時期が僕にもありました。
奴らの刀剣が頭上2メートル辺りまできたところで、俺はイヤでも気付いてしまった。俺の相棒である〈黒月〉が、根元の方からポッきりと折れてしまっていることに。多分、分厚い門を無理してでも切ったことがいけなかったのだろう。
(ぎゃぁぁぁああああああああああおかあさーーーん!!)
ありえないほどのショックだった。
今まで18年の人生、これほどのショックは本当になかった。思わず胸中で、おかあさーん! とドでかい声で叫んでしまった。アホみたいだと思うが寛大な心で許して欲しい。今までずっと戦ってきた〈黒月〉が、一瞬にしてタダのガラクタになってしまったのだから……。
ちくしょう!
普段は聖人の如く優しい俺だが、今回ばかりは怒りが爆発した。誰への怒りかは自分でもよくわからないが……とにかく爆発したんだ。
幸い今回は、その鬱憤晴らしになるような奴が2体いる。
黙考している俺に向かって、巨大な刀剣を振り下ろしている石像達だ。
おまえらにもちろん恨みはない。恨みはないのだが……悪いな、ストレス発散と称して破壊させてもらう。
俺は後ろに跳躍した。
直後に俺が元いた場所を、2つの剣が抉り破壊した。直撃したらひとたまりも無いような威力。
地面は衝撃で激しく隆起する。
そんな光景を両目で認めながら、俺は黒のポーチから二振りの短剣を素早く取り出した。これらも数年前に迷宮で手に入れた代物。名は……ごめん忘れた。
石像たちの瞳は俺のことを見据える。その瞳はギラギラと光を帯びていた。そんな瞳に、俺は二ヤッと不敵な笑みを返してから、地面を蹴って低空を滑空。
コンマ数秒のスピードで人間型の石像へ肉薄する。
足元に到達。
床と平行、石像の足に対しては垂直という形になりながら、俺は石像の顎に向かうように疾走する。むろん「HAHAHAHAHA」という哄笑を上げることは忘れない。
身体に風を感じる。
強すぎるけどまあ気持ちの良い風だ。
等々思いながら走っているうちに、石像の顎の辺りまでには無事到達。石像はそんな俺を鬱陶しい存在だと思ったのか、蚊でも潰すかのように俺の身体を挟み込もうとしている。両掌で。
当たれば本当に俺は潰れた蚊のようになってしまうだろう。血をブシューと噴水みたいに噴出して、内臓がべちゃッと飛び出してBADENDだ。
そうならないために俺は咄嗟の判断で回避。
石像の顎を自分の足の裏で蹴り上げて、一度空中へ身を躍らせた。そのまま下へ落ちる俺ではない。俺はそんな凡人ではない。
「――よっと」
空中で地面と垂直という形になりながら、俺は空気を押し込むような形で蹴り上げた。何年も訓練している内に、こんな芸当もできるようになってしまった。
努力を惜しまなければきっとみんなもできるようになるさ。
魚の石像は俺の動きに驚ろいてしまったのだろうか、瞳をクワッと見開いた。
そこに俺が、読んで字の如くロケット弾のように突撃する。道を邪魔するものは一切ない。これで終わりだ。
短剣を一閃。
「シュパパパパパパ」という効果音を自分の口で出しながら、俺は石像の首を一刀の元に両断した。名無しのナイフの切れ味は最高。石像はその名の通り石でできているのだが、まるで豆腐のように切れてしまった。
石像の頭は地面に向かって落ちていく。
この石像の頭を、俺は両足で蹴ってまた飛んだ。
石像は、一体だけではないからもう一体のほうも倒さなければならないのだ。魚の石像。奴は俺に向かって刀剣を力任せに振り下ろしてきたが、甘い。
俺はその刀剣を名無しのナイフで切り払う。――それに続けて――人型の石像と同じように首を切り裂いた。
首はボトンと地面に落ちる。
勝利。
(片付いたな……)
俺は誰にともなく呟いてから、二振りのナイフをポーチの中にしまっておく。
手はポンポンと適当に払って、手についたホコリは落としておく。
(さて……)
堅牢な門を破壊、2体の石像も撃破したことだし、これで俺の道を阻む障害はなくなった。
あとは前に進むだけだ。
作りからして、きっと破壊した門の先が、〈魔刀迷宮〉の最奥部のはずだ。ゴールである。ここまでの道のりは本当に長かった。何度も、何度もキケンな目に遭遇した。でもその苦労もすぐに報われる。
路上で全裸になっていた人の情報では、〈魔刀迷宮〉の最奥部には秘宝級の魔刀が眠っているのだから……。
ああ、楽しみだ。
楽しみでしょうがない!
よし、行こう!
決めたが吉日、俺はウキウキしながら壊れた門に向かって歩みを進めた。