さようなら。またどこかで会えるまで
亡骸は埋葬されてしまいましたが、彼の身に着けていたものはイルヒラ様がお持ち帰りくださいました。血に濡れた衣服だけは処分しよう、とおっしゃるので、お任せしました。わたくしに見せないままで燃やして灰にしたのだそうです。
イルヒラ様はわたくしの部屋に十文字槍を置き、トイトイをわたくしに手渡して返してくださいました。
まだ日は高く、正午を過ぎたばかり。ですが、夜明け間もなくから、気力をすり減らしながら「今、やるべきこと」をこなしてきたわたくしは、自室に戻ると迷わず寝台に倒れました。手にトイトイを着けて、お腹を撫でながら。枕を涙で濡らし、汚いですが鼻水だってこらえきれず流したまま。失意の底なし沼に沈んでいくように、眠りに落ちていくのでした……。
眠る前に、底なし沼、などと例えたからでしょうか。わたくしは夢の中で、真っ暗闇の中に佇んでいました。
「姫様ぁ~~っ!」
後ろから、小柄な何者かが猛烈にぶつかってきて、わたくしの腰に抱きつきました。衝撃は感じましたが、腰をいためるほどではないよう、手加減はしてくれたのだと思います。
わたくしは思わず、お腹を庇いました。そこに、我が子の育っている膨らみは見えません。背中から前に抱きついている腕がほっそりしていて、子供の手なのだと思い至りました。
首だけを動かして、その子の顔を見ようとしました。わたくしが驚いて持ち上げた腕の隙間にひょっこりと頭を入れるみたいにして、十歳前後と思われる子供がわたくしを見上げています。男の子なのか、女の子なのか、一見ではわからない声と顔立ち。ただ、日焼けがちな肌と、隣国クラシニアの伝統的な意匠をまとっていることから、砂漠の民なのだとわかります。
「やったぁ! よう~~やく、また会えたね!」
「あなたは……まさか、トイトイ!?」
「せいか~い! 夢幻竜様がね、一度だけだよって約束で、姫様とお話しさせてくれることになったんだよ~っ」
「トイトイ……うう……っ」
わたくしはこらえきれず、その場にへたりこんで、泣いてしまいました。わたくしに合わせて暗闇の中の地面に座ったトイトイの小さな体を、抱きしめます。
「ぼく知ってるよ、姫様。悲しいことが、たくさんあったんだよね。悲しい時も楽しい時も、ぼくはいつも、姫様と一緒だから。我慢しないで、今はいっぱい泣いていいからね?」
「ありがとう……ありがとう、トイトイ。いつも、一緒にいてくれて。わたくしを守って、戦ってくれて……あなたのおかげで、最後の時に、シホをひとりぼっちにしないで済んだもの……っ」
「うん……シホりんはね、最後まで諦めないで、頑張って戦ったよ。それにね。姫様に一番大事なことを言わなかったって、後悔してた」
「後悔……大事な、こと?」
ぐずぐずと鼻水を啜りながら、トイトイの肩を掴んで引き離します。顔を見ながら話したくなったから。
「ぼくが伝えたかったのは、『姫様にちゃんと、言ってあげれば良かった』って、後悔してたことだけ。ぼくから教えるのはダメなんだ。姫様がこれから、一生を生き抜いてね。いつかぼく達と同じ『影の世界』に来た時に、シホりんは自分でその言葉を伝えたいんだって」
「いつか……また、会える? シホにも、トイトイにも……」
「うん! 残念だけど、影の世界から姫様の世界は見えないんだ。だからいつかまた会えたら、姫様が生きている間、どんなことをしてきたのか。ぼくとシホりんに話してよ。ぼく、その時が来るのを楽しみにしてるから」
「うん……わかった。わたくしも、楽しみにしてるね。そんな日が来ることを」
「シホりんはね、生きてる二十年で頑張りすぎて疲れちゃったから、姫様がこっちに来るまでは眠っていたいんだって」
「トイトイ……わたくしがこちらに来るまで、シホを見守ってあげて。お願いね」
「まかせて! ぼくね、昔の姫様も、今の姫様も、ずっとず~っと、大好きだよ」
「わたくしも……ね、トイトイ……」
眠りながらもずっと、泣いていたのでしょうか。目覚めると、瞼は重たくて、水分は欠乏していて、体調は劣悪なままです。
ですが……心の方は。深い深い悲しみの霧が、晴れているかのようでした。すっきり爽快、とはもちろん言いません。最愛の人を喪った悲しみがそう簡単に癒えるはずもありません。
ただ……夢の中とは違って、わたくしの中には確かな、愛し子の存在があります。お腹を撫でながら、思いました。この子と一緒に、頑張って生きていこう。いつかまた、最愛の彼らに会えた時。楽しい一生でしたよと、誇らしい報告が出来るように。
三月二十日。シホの、初めての月命日。わたくしは彼の埋葬された場所へ向かいました。
シホが埋葬された直後はとりあえずの目印として十字架を立ててありましたが、この一か月の間に王家はきちんと建碑しました。彼の名前だけではなく、傀儡竜であったこと。グランティスの未来のために、最後に命を捧げて戦い抜いた記録を文章にして刻みました。
わたくし達の世界の千年間に、傀儡竜は何人も生まれて、歴史の影でひっそりと亡くなってきました。太陽竜に安楽死された者もあれば、謂れなき神罰を受けて苦しむことを回避するため、自ら二十年目を迎えない選択をしたり。同様に、その境遇を憐れんだ第三者が手にかけたり。
傀儡竜という存在が確かにいたのだと、正式な記録として後世まで伝え残したのは、我が国を除いて他にはありませんでした。
「あなたは……オーデン?」
「ああ……ヒメサマ、か」
石碑には、先客がいました。ロムパイア使いの剣闘士、オーデンです。
「シホはたまに、いっしょにあそんでくれたんだ。おれはこきょうをおいだされて、このくににともだちがいないんだろって」
オレも、似たような立場だからな。そう言ってオーデンを誘って、頻繁にご飯をご一緒したのだそうです。似たような立場というのは事実かもですが、社交的なシホはこの国の友人がたくさん出来たはずです。その上でなお、オーデンを気遣える人柄だったのですね。
こうして直に会話したのは数年振りですが、あの時よりも少し、話し口が聞き取りやすくなっている気がします。
「シホのおかげで、けんとうしのなかまともふつうにはなせるようになった。このくにいてもさびしいと、おもうひがなくなった。だから、これからも、けんとうしをつづけていくんだ」
「ええ。わたくしも、いつかあなたと同じ剣闘士として戦えるようになる日を目指して、頑張りますからね」
「けんとうしどうしになったら、ヒメサマがあいてでも、てかげんはしない。シホと、やくそくしたからな」
わたくしとの対戦の時に「わざとまけてやってもいいぞ」と言ったという話を聞きつけたシホは、オーデンに忠告してくださったのだそうです。「レナはいつか、絶対に剣闘士になるはずだ。そうなった時には試合であたった時、手加減してやるなんて言うなよ? そういうのは逆に、レナに対して失礼なんだからな」って。……そうなった時には、自分がオーデンにそれを伝えられる状況にないかもしれないから。先々の話であると承知で、苦言を呈しておいた。
いつの日か、わたくしがそこに辿り着けると信じて……。