「ありがとう」を、言わせてくれない
それは、深夜のいつ頃だったのでしょう。わたくしは心身の落ち着かなさゆえか、いつの間にか眠ってしまっていて……。
「レナ様……お休みのところを失礼いたします」
イルヒラ様の伝令として、側仕えのひとりの男性が宿のご主人と共に部屋に入り、わたくしを起こしました。時刻は、冬の夜明け間もなくのこと。些か冷たい朝の陽射しが入って、薄ぼんやりと煙っているかのようでした。
どちらが勝つにしても、シホが二十歳になってすぐに、結果は出ます。イルヒラ様と、夢幻竜のコウ様、母神竜のイリサ様は、すぐに駆けつけられるように深夜にはグランティスの街で待機していたのだそうです。
そして、未明。シホと太陽竜のところへ駆けつけて……シホの力尽きた亡骸を発見したと。三人はまだその場にいた太陽竜と会話して顛末を聞き、今後のことを話し合ったりもしたのだそうですが……正直に申し上げて、後者はわたくしにとっては他人事のようでした。上の空で、適当な相槌を打ちながら聞いていて、後に思い出そうとしても全く記憶出来ていませんでした。
シホの亡骸はイルヒラ様の指示で、すでにその場に埋葬されてしまったのだそうです。もし自分が助からなかった場合は、わたくしに見せずに隠して欲しい。シホからの希望だったそうです。神罰を受けて苦悶に満ちた表情をしているかもしれないから……。
本日も剣闘場では試合がありますが、エリシア様が特例で、今回のことを観衆に報告するとのこと。わたくしも、開場時間前には主賓室に来るようにと指示されました。伝令は剣闘場までわたくしに付き添うので、時間まで店主に場所をお借りして別室に待機しています。
「レナ様。この度は、ご愁傷様です……」
「いえ……彼もわたくしも、あなたには大変にお世話になりました」
わたくしはここに通うにあたって、ご主人にだけはシホとの関係を打ち明けて、口外しないようにお願いしていました。
「儂もこのように、侘しい独り身なものでして。シホ君がここに滞在するようになってからは、まるで孫と暮らしているみたいな気持ちになりましてね。感謝しているのはこちらの方なんですよ」
ご主人はこのように続けます。以前から、自分の訃報を聞いたら、部屋の荷物はご主人に全て処分して欲しいと頼まれていた。出来れば、わたくしには内緒で、と。迷いながらも、ご主人はわたくしにそれを教えてくださいました。
「申し訳ありませんが、わたくしに、荷物をまとめさせていただけないでしょうか」
「ええ……シホ君には悪いが、そうした方がよろしいんではないかと」
ご主人は気を遣って、部屋を出てくださいました。わたくしはじわじわとした悪阻の気配、吐き気を堪えながら、寝台を下ります。壁にかかっていたほんの数着の服を、畳みます。これも、わたくしとこのような関係にならなければ、シホはただ廃棄するつもりだったのでしょう。彼は望まないかもしれませんが、わたくしは後生大事に保管してしまうと思います。
宿の設備ではありますが、三面鏡の引き出しに私物が入っているかもしれないので、開けさせていただきます。一番上の引き出しには、お財布などの貴重品が入っていました。
二番目の引き出しには……。
「剣闘場の試合の、賭け札……?」
もしやと思って、確認しました……。全てが、わたくしの、予選会での試合での賭けでした。毎回必ず、百硬貨。片手で余るほどにしか勝利したことのないわたくしですが、勝利した回であっても、賭け金の交換を申し出なかったみたいです。ポーラとの試合では、ひとりで総取りが出来たはずなのに。交換したら、賭け札が手元からなくなってしまうからなのでしょうか……。
影ながら応援していてくれた証を発見して、もちろん、嬉しかったです。ですが、それと同時に……自分勝手ですが、四割くらいの憤りを感じてしまったのも事実です。
「応援してくれているのなら……どうして、わたくしに教えてくれないのよ……。言葉にして、直接に言ってくれなかったから……わたくしは、あなたに『ありがとう』を、言えなかったじゃないの……っ!」
本当の気持ちを教えてくれない。最後の姿を見せてくれない。堂々と応援してくれない。「他の方に言えることでも、わたくしにだけは言えない」みたいなことも多々ありましたし。思い返せば、彼は案外、わたくしに対して秘密主義でしたね……。
後に、ご主人が教えてくださいました。彼も疑問に思って、訊ねたことがあったのだそうです。「どうして、レナ様の試合に賭けてることを本人に言わないんだい? 喜んでくださるんじゃないのかねぇ」、と。
「なんでなんだろうねぇ……直接に言ったら喜ぶってわかってるのに。どうにも照れ臭いっていうか。『応援してやってるんだぞ』って主張するみてぇで、押しつけがましく感じちまうのかな」
一言で言えば、シホ君は恥ずかしかったんだと思うよ。言葉だけではなく、話している時の何とも言えない表情を見ていて、ご主人はそう感じたのだとか。
それでもわたくしは、いつまでもいつまでも、根に持っているのです。恥ずかしがっていたという彼の顔を想像して、しょうがないなぁ、と。愛しく思う気持ちと同時に、なのですけどね。




