最強の神を倒す
一年前、月光竜から予言を受けた場所。五年前から、レナと夜を共に過ごした場所。それと同じところに今夜、オレはひとりで腰を下ろして待っていた。
二月十九日。グランティスは温暖な国ではあるが、さすがにこの時期の夜歩きはそれなりの厚手の布地でないと厳しい。これから、命の限りを尽くした大立ち回りをしなきゃならねえって時に布地で体が重たいってのは難だなぁ。
一年前の今日は満月だったが、今年はかろうじて端っこが光ってるような、爪先の白いところかよっていう頼りなさだ。月明かりも町灯りも頼れねえ視界不良の中で、全力を尽くせるわけもない。
なんだか「待ち構えてます感」ありありでかっこ悪いが、こんな場合の備えとしてイルヒラが用意しておいてくれた松明を組んで地面に突き立て、火をつける。
分解した十文字槍を組み立てる。
「オレは多少の傷を負おうが、太陽竜との戦いでおまえに傷ひとつつけさせねえ。もし、オレが帰れなくてもおまえだけは、レナ達のところへ戻ってもらいてえからな」
おまえにこうやって声かけするのも、もしかしたらこれが最後かな。うっかりそう考えそうになって、首を振って追いだした。
左手には、レナから預かった魔法剣のトイトイ。教えてもらった呪文を詠唱して、形を現す。寸の長さはグラディウスに近くて、馴染みがある。エリシアが言うには、太陽竜の神器とも同等の長さだとか。
この世のどんなものでも切れるという特色の、太陽竜の神器。だが、魔法剣はそいつに接して切れたところで、すぐに形を再生する。物理的な武器とは違うからこそ、これは使いようによっちゃ大助かりなんじゃねえか? レナはそういう想像を働かせた上でこいつをオレに渡したわけじゃねえんだろうが、どっちにしろありがたく使わせてもらおうと思う。
オレがここに到着してひと通りの準備を終えて、日付が変わるまではあとどれくらいなんだろう。もし、太陽竜がここに現れるのが、「日付が変わってから」だとしたら、その時点でオレの命運は尽きる。奴との対面が「オレが傀儡竜に成る前」で、さらにそうなる前に太陽竜から神器を奪えなけりゃあ、この一年間の全てが無意味になっちまう。
最後の最後でまた、実力以外の「勝負運」が求められるわけだ。
ひとをこんな運命に生み出した慈悲なき神様よ、最後の神頼みくらいはオレに配慮してくれよな。なんて拝みたいところだが、これから戦う太陽竜本人がその、「この世界の最高神」だっつうんだよなぁ。それが今や人間と同じ土台で生きていて、神通力でも使って遠隔で傀儡竜を殺せるでもなく、律儀に自分のお手手で殺して回ってますっていうのはどういった道理でそうなったんだろうなぁ。まったくもって、意味が分からん。
かけがえのない最後の時間だっていうのに、信仰してるわけでもねえ神について考えるなんていう無駄遣いをしちまったことに、オレはそいつの姿を視界の先に認めて気が付いた。あ~あ、やっちまった、ってな。
駆けるよりも、歩くよりも、さらに鈍重な足取り。まるで地面から足を離さずに引きずってるように、一歩一歩が小さい。見ていてうんざりしてくるが、この時間を幸いにオレは心も体も準備を整える。
待ち時間の防寒のために着ていた皮の上着を脱いだ。きちんと畳んで持ち歩いていた鞄にそいつを収めて、長柄を振るのに松明をひっかけずに済むような場所を選んで移動する。馬鹿げたことに、そんな悠長に「準備」している時間のゆとりがあるくらいに、そいつはウスノロだったわけだ。
「……あんたが、太陽竜か?」
男は肯きもせず、オレを直視するでもなく、中途半端に地面に視線をやっている。
もし、こいつが太陽竜なのだとしても、「本当に?」と投げ返したい印象だった。
太陽を名に冠している癖に、熱というものを一切感じさせられなかったからだ。まあ、それを言ったら「我らの巨神竜様」ときたら、並みの男より小柄な女の体だったわけなんだが。
髪から身にまとう着物まで真っ白で、目は深く沈みこんだ海の底みてえな青い色。熱もなければ存在感もねえ。故郷のみすぼらしい骨董店入口に飾られていた、女の幽霊画みてえな趣だな。
「見せつけるような情報の流し方といい、グランティスに着いたら巨神竜か大隊が待ち受けて、僕を攻め滅ぼそうとでもしているのかと想像していたが。傀儡竜、君だけか」
「おうよ。グランティスの未来のために、太陽竜はオレが殺す。あんただって、オレを殺すのが目的で現れてんだ。それが正々堂々、対等な条件ってもんだろう」
宣戦布告ついでに右手だけで相棒を支え、まだ穂先の届かねえ距離にいる太陽竜の額へ差し向ける。
「太陽竜と傀儡竜が対等、か。巨神竜の助けを受けて辛うじて、ということならそうだろうが。限られた一生でどんなに鍛えようが、君と僕が対等になれるなど幻想だろう」
太陽竜の野郎は、オレとエリシア、イルヒラとの付き合いの深さなんざ知らねえだろう。だから、「巨神竜はそれを教えてくれなかったのか? 無駄な努力だと」なんてほざきやがる。
「あいつらが教えてくれたのは、敵う敵わないに関わらず立ち向かって、最後まで戦い抜いて死ぬことは、この国では誉れだっつうことさ」
「無駄な努力の果てに死ぬことが誉れなんて、体裁の良い洗脳みたいなものだ。……だが、彼ららしくもある。結果も危険性もお構いなしに、自分の『感情』の求めるままに行動することが正義だと。遥か昔から、そういう信条だったよ」
太陽竜は携えた剣を鞘から抜いて、オレからは目を離さずにゆっくりとしゃがんで、傍らに鞘を安置する。剣闘場の試合じゃねえんだから、この隙にさっさと動き出せって話なんだけどな。戦士の誇りをぶち上げた直後だからか、そういう気分じゃなかった。五年前のオレだったら躊躇いなく、その隙に突っ込んでたかもしれないな。
太陽竜の神器の刀身は、真っ赤だった。血痕を放置しているとかそういうわけではなく、素材そのものからの真紅。神器ってやつは普通の鋼とは違うんだろうか。エリシアの持つ戦斧は間近に見たら鋼でしかなかったんだが、神様が持つもんが人間のありふれた武器と同じ構造ではないだろうしなぁ。そこんところもちゃんと訊いておけば良かったかな。
太陽竜は右足を後ろに引いて半身を少し捻り、霞の構えを取った。刃を口のあたりで水平に位置取り、その向こうからオレを覗き込むようにしている。
オレが傀儡竜と成って太陽竜を殺そうと言う以上、奴にはオレの狙いがわかっているはずだ。どうにかして、自分から神器を奪う算段だと。だから、手首を守る構えにしたんだろう。
オレが真っ直ぐ槍を突き込んだとしたなら、上から刃を落として柄を真っ二つ。どんなものでも切れるとかいうインチキ性能の神器をお持ちだからこその戦略だな。
本来、剣と槍で戦った場合、槍の方が圧倒的に有利だと言われちゃいるんだよな。基本、剣で槍に勝つのは難しい。だが、そんな常識は剣闘場じゃあ通用しなかった。武器の有利不利なんか容易くひっくり返せる「最強」が、あそこには何人もいたっけな……。
……っと、今は過去の苦みを思い出してる場合じゃねえやな。これ以上、後ろ向きな感情に引っ張られたくない一心で、オレはなんとも無策に走り出していた。実際、膠着状態が続くほど、一方的にオレが不利になっていく。オレにとっての詰みの時間が、向こうにとっちゃあ勝利の確定なわけだから。
穂先が間合いの圏内に差し掛かった時、不意に、太陽竜の青いお目目を隠すように火球が発生した。待ちの時間の退屈しのぎでもしていたのか、無詠唱魔法とやらを準備していたのか。
幸い、エリシアから魔法の対策は叩きこまれたし、こっちは低姿勢の構えで突進するのには慣れてる。奴の目元から飛んできた火球を避けるついでに太陽竜の足元で地面を滑走して、十文字槍の穂先を左足の脛に引っかけようとした。
その動きを察した太陽竜は後方に跳躍して避けた。軽やかな動きだが、こちとら手の長い十文字槍だ。地面に膝を着けたままでも、神器を構える僅かな隙間に穂先を突き込める。
だが、今回は寸前で失敗した。オレの狙いに気付いた太陽竜は上から下に刃を振り落とし、相棒の柄を切り落とそうとした。思わず舌打ちが漏れるが、やむなく腕を目いっぱいに引いて、相棒を奴の圏外へ逃がす。
奴は振り下ろした直後、オレは身を引いた直後とあって、霞の構えで堅牢になっていた上半身と手首が空いた。こっちも苦しい体勢だが、この隙はどうにか、ものにしたい。
実戦として、殺す気全開で人を刺そうとした経験が、オレにはない。こうなると、本気で突き刺そうとした時に最も柔らかそうで、広く開いている胴体に目が吸い寄せられた。
腰を落として構え、真っ直ぐに穂先を突き入れようとした。その動きは先読みされていたのか、右へ一歩避けられて、長い柄に沿うような足取りで内側に入り込もうとする。しまった、と思う。こんな内側に入り込まれたら、長柄では反撃のしようがない。
オレが傀儡竜に成るまでは、太陽竜はオレを殺せない。だから、直接的にオレの体を狙うより、オレから得物を手放させる方を選ぶはずだ。可笑しなことに、そういう意味じゃああっちの方が、剣闘場流儀で動いてるみたいなもんだな。
太陽竜の神器はまた、長柄を切り落とすのを狙って振り下ろされた。オレは柄を右手だけの片手持ちに切り替えて、左足を軸にコマ周りのように半身を捻る。辛うじて、相棒を逃がす。
左手についていた魔法剣を破れかぶれに振ったら、太陽竜の頬を霞めることが出来た。右頬から鼻の上まで、一筋の赤い線が入る。
痛かった、とは思ってはいなさそうに、表情は微動だにしなかった。ただ、その時に、オレに対する侮りが消えたのかもしれない。
太陽竜は一歩退き、今度は守るためではなく霞の構えで、オレの右肩に神器を突き刺そうとした。アレを受けちまったら、普通の刀剣と違って確実に、肩の骨や神経ごと巻き込まれるだろう。そうなったら、相棒を持って振るうことも出来なくなる。
オレには、他に取るべき術が思いつかなかった。とっさに、すぐ間近で空いている腹に向かって、足を使って蹴りを入れた。顔を切られたくらいじゃあ何とも変わらなかった太陽竜のすまし顔が、歪む。
こんなに接近されて、相棒を両手に持ち替えて距離を取って、なんてやっていたら、絶好の機会を逃してしまう。断腸の思いで、オレは適当な距離に相棒を投げた。
太陽竜の神器は下段に下がっている。身を捻って太陽竜の胸板に右肩をぶつけるようにして入り込み、神器の柄を握る太陽竜の拳をその上から握り込んだ。可能な限り、肉に爪を立てて。
「ぐっ……」
「ごっ……のやろぉおお!」
オレの目的が神器を奪う事だと察した太陽竜は全力で抵抗するし、こっちも必死だ。お互いに力を入れるうちに、神器の刃先は天を向いていく。
そこでオレは手の力を抜いて、太陽竜の顔に力いっぱい反動をつけて、右肘を顔に叩きいれた。鼻の骨が折れたような、嫌な感触がした。それでも、太陽竜は神器を手放さなかったが、地面の草に足を滑らせるようにして後ろに倒れていく。
とっさにその動きを追いかけて振り返り、魔法剣の刃先を奴の心臓へ向ける。自分も一緒に倒れ込む覚悟で。
太陽竜の背中が地面に着いた時、ずぶずぶとそこに吸い込まれるように、黄色い光の帯が突き刺さっていった。地面にまで達した感触を察して、急ぎ、抜き放つ。盛大に血を吹きだすが、駄目押しに……首、両目と続いて刃を入れた。