平和な世
イルゴニアの中央広場。
街に住む住民や街を訪れた旅人の憩いの場となっているこの広場からは、街を囲うカレイコルス山脈の雄大な姿を眺めることができる。中心には石像が置かれ、街の住民にとっての定番の待ち合わせ場所としても機能していた。
この石像は名高い芸術家が製作した有名な石像と言われているが、芸術というものに疎いアルスはその良さが分からず、ただ縦長の黒岩の輪郭にくびれを彫り、不均等に穴を開けたものという認識しかできなかった。
そんな石像をぼんやりと眺めながら、アルスは公園に置かれた石造りの椅子の一つに腰かけていた。
空を見上げれば眺めるだけで晴れやかになるような蒼天の中を白い雲が泳ぎ、周囲に目を向ければ様々な露店商が広場に活気を生んでいる。
その活気につられるように青年が串焼きの肉を買い、女性がアクセサリーを品定めし、髭面の土精族の男性が新たな葉巻を手に取る。
「……平和だねぇ」
そんな光景を見て、アルスの隣で座っていたレンが微笑ましいものを見るような顔をする。
「あの頃は、みんな魔王や魔王軍に怯えながら生きるのが精一杯だったのにね」
「あれから五百年も経ってるんだ。そんな時代があったなんてことは、もう歴史的な書物や文献や知識として残ってるくらいなんだろうな」
「こうやってゆっくり平和な光景を眺めてると、本当に魔王はいなくなったんだなって実感できるよ。英雄なんて呼ばれるの、ボクはまだ恥ずかしいけど」
「キョウカの話を聞いてるときなんて、いつも顔真っ赤だしな」
無類の【五英雄】好きの【聖女】推しの少女の名前を聞き、レンは困り顔を見せる。
「キョウカはちょっと憧れが強すぎるよ。……本当の昔のボクなんかみんなと違って戦うこともできない。自分の身も自分で守れない。いつもみんなの影に隠れてるだけの、世間知らずな名ばかりの王女だったのに」
【聖女】は戦いというものが苦手だった。
剣を振れば自身が振り回され、槍で突こうとすれば重心を持っていかれて転び、戦斧はそもそも持つことすらできない。攻撃系の魔法も使えず、攻撃手段は皆無といってもよかった。唯一ダメージを与えられるのは、治癒魔法がダメージになるアンデッドを相手にした時くらいである。
そんな【聖女】は、戦闘になると攻撃が及ばないよう仲間の後ろに隠れるので精一杯だった。
それだけ聞けば、何もできない臆病者にも聞こえるかもしれない
だが――
「そんな自分を卑下するなよ。お前がいてくれたから、俺たちは安心して戦えたんだんだ。お前がいなかったら、きっと魔王を倒す前にどこかでのたれ死んでただろうな」
自分が傷つくことは怖くなかった。だが、それは耐えられるという意味ではない。
いくら傷つけられようと、毒を受けようと火傷を負おうと瞬時に治してくれる。そんな治癒魔法の使い手が後ろに控えてくれているだけでどれほど心強かったことか。
「ありがとう、そう言ってくれて嬉しいよ。でもボク、時々思ってたんだ。傷ついたみんなを癒すだけじゃなくて、傷つかないように守れたらいいなって。……無い物ねだりなのは分かってたけど、怪我をして痛そうな顔をするみんなを見て、そう考えずにはいられなかったんだ」
「……それが、生まれ変わってから剣術を磨いた理由か?」
レンは頷く。
「そうか……お前は偉いな。俺なんか記憶を取り戻したのはつい最近だし、それまで特に強くなりたい理由なんて無かったからなぁ。ただのんびり暮らして生きていければいいと思ってた」
アルスは頭を掻きながら「まぁ、それは今も変わらないんだけど」と付け足し、更に続ける。
「だけどゴブリン・ロードなんてものが出てきて、戦って、平和になっても人を脅かす脅威ってのは身近にあるんだって分かった。世界を救うなんて大それた思想はもう必要なくても、せめて手の届く範囲にある脅威くらいは退けられるようになりたいと思うよ。『平和になった素敵な世界を一緒に歩く』。この約束のためにもな」
アルスはその約束を交わした少女の頭を撫でる。レンは一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに嬉しそうな笑みに切り替わった。
「――さて、そろそろ戻るか。もう一時間くらい経ってるだろ」
「色々と街も見て回ったからね。そろそろ今日の宿も取っておこうよ」
「そうだな。頼んだものを受け取ったら、まず宿を探すか」
「うん。じゃあ戻ろう」
アルスは立ち上がり、鍛冶屋の方面に向かって歩き出す。
その後ろをついていこうとしたレンは一歩踏み出し、そこで何か怪訝そうな顔をして再び立ち止まった。
「……どうした?」
「……いや、今何か変な……鳴き声?みたいなのが聞こえた気がしたんだけど……」
周囲を見回すレン。しかし特に異常は見当たらなかったのか、広場に視線を一周させて止めた。
「ごめん、ただの空耳だったかも。行こう、アル」
ここは多くの人が往き来する中央広場だ。聞き慣れない音が鳴ることもあるだろう。それが偶然レンの耳に飛び込んできたのかもしれない。
そう判断したアルスは特にそれを追及せず、再び鍛冶屋に向かって歩き出した。




