言わぬが花
「おーっす」
「おはよう!」
冒険者組合リイン・カルナ支部。
いつもの静寂の中に、いつもの挨拶が響き渡る。
「あらお二人ともぉ、おはようございますぅ」
珍しくちゃんと受付席に座っていたポルカは軽く手を振ると、机に散らばっていた書類を一纏めにし、封筒に入れてあくびをひとつ。座ったまま体を捻って腕を伸ばし、後ろにある本や巻物状の書簡が積んである棚にある衝立に封筒を立て掛ける。
何をやっているのかは分からないが、ちゃんと仕事をしているなとアルスが感心していると、前に向き直ったポルカと目が合った。
「一週間も来れなくて悪かったな」
「いえいえぇ、冒険者は体が資本ですから、休む時はちゃんと休んでもらわないとぉ……。それで、怪我の具合はいかがですかぁ?」
「お陰さまで、もう痛みは引いたよ」
「そうですかぁ……それはよかったです。みなさんが血だらけで帰って来た時は、町中がパニックになりましたからねぇ……。あまり無茶はしないでくださいよぉ」
治癒魔法、薬草、魔法薬と、怪我人よりも青い顔をした町の住民達にあらゆる治療法を次々に行われ、やたらと慌ただしかったあの日を思い出してアルスは苦笑いする。
「……ところでレンさん。何だか機嫌がよさそうですねぇ?」
「えへへ、分かる?実はね……アルがマフラーをボクにくれたんだ」
レンは口元を隠すようにマフラーを少し持ち上げ、目元だけでも分かるほど嬉々とした笑顔を見せる。
そのマフラーは、元はアルスが何年か前に使っていた物。レンのマフラーは洗っても落ちないほどゴブリンの返り血で汚れてしまったため、なるべく似たデザインのものを渡したのだ。
言うなればアルスのお下がりである。しばらくは休養のために外出は控えていたので、また後日新しいものを買って渡そうとしたのだが、レンがこれが欲しいと強くねだったのでそのまま与えることにした。
「ほうほう……それはそれはぁ、アルスさんもなかなかやり手ですねぇ」
「何がだよ。あれ、もう結構古いやつだぞ。もう少し待ってくれれば、ちゃんとしたやつ買ってやったのに」
「いやいやこういうのはですねぇ、何にも代えられない大事な付加価値ってものがあるんですよぉ」
「はあ……?よく分からんが、そういうもんかねぇ……」
「――そういうものさ。特に、年頃の女の子にとってはね」
年長者が若者に教示するような声に振り返ると、そこにいたのはエトール。その側にはヴォルグとストラも付いていた。
遅れてやってきた三人の姿に、アルスは初めて合った時のことを思い浮かべる。あの時は危うく大喧嘩に発展するところだったが、今となっては一触即発の気配はなく、彼らからもあの時のような高圧的な態度は消えていた。
「おはよう、三人とも。エトールも無事で何よりだ。……もう怪我は平気なのか?」
「見ての通りもう大丈夫さ。痛みも引いたし、大分痣も薄くなってきた。まぁ、もう少し冒険者稼業は休むつもりだけどね」
エトールの体の節々に巻かれた包帯から、微かに薬草の匂いがした。
「僕が倒れている間のことはヴォルグ達から聞いたよ。足を引っ張ってしまって申し訳なかった。……いや、違うな。こういうときは謝罪よりも礼が先だね」
真面目な顔になり、エトールは頭を下げる。
「君達がいなかったら、僕達はあの洞窟で死んでいただろう。助けてくれてありがとう、アルス、レン」
「……私からもお礼を言わせて。ありがとう……二人とも」
ストラもエトールに続く。そして、二人の視線がもう一人のメンバーへと流れた。
「――あー……その、なんだ。な、なかなかやるじゃねえか、てめえら!」
乱雑に後頭部を掻きながら視線を泳がせるヴォルグに、エトールはため息をつく。
「まったく、子供じゃないんだからさぁ。素直になりなよ。いい歳して礼も言えないのかい?」
「わ、わぁってるよ!」
ヴォルグはわざとらしく咳払いをする。
「……あ、ありがとな。それと……悪かったな、雑用係とか半人前とか言っちまってよ」
「気にしないでくれ。こっちこそありがとうな。俺達だけじゃゴブリン・ロードは見つけられなかったし、いずれこの町もゴブリンに襲われていただろう。それを未然に防げたのはあんた達のおかげだ」
「……お、おう」
逆に礼を言われたことに驚きと照れで再び目を逸らすヴォルグに、ストラはフードの下で呆れ顔を作った。
「フフ……どっちが年長者なのか分かったもんじゃないわね……」
「だぁぁーっ、うるせえ!それよりも小僧!」
「いや、恩人相手を小僧呼びはどうなのさ……」
「ぐっ……ア、アルス、まだあの質問の答えを聞いてねえぞ」
「あの質問……?」
アルスは自分の記憶の中を漁る。数秒の間を経ても答えに行き着けないでいると、痺れを切らしたヴォルグがレンを指差す。
「そいつが何者だって話だよ!もしかしたら四星以上の実力、五星にすら届くかもしれねえ小むす……レンのでたらめな強さ、どう考えたって只もんじゃねえぞ」
「……実を言うと、私も気になっているのよ。レンもだけど、アルス……あなたもね。あんな死地のど真ん中にいて妙に冷静で落ち着いてたし……力と心がつりあって無いのよね……」
ストラはアルスの顔を見て、苦笑いを浮かべながら首を横に振る。
「ごめんなさい、悪く言ってるつもりじゃないのよ……。ただ……私たちと比べて、修羅場を潜り抜けてきた数の桁が違うみたいな……」
アルスは自分の心臓が跳ねたのを感じる。
五百年前の魔王大戦――それは毎日が修羅場だった。
魔王、その側近である魔将と呼ばれる者達、彼らに操られる凶暴化した魔物達――力は失えど、それらと戦い抜いた経験だけは自分の中に生きているらしい。洞窟内でゴブリンに囲まれても冷静でいることができたのはそのためだ。
多くの修羅場を潜り抜けてきたというのは間違いではない。だが、それを包み隠さず話していいのだろうか。
「……レン、なんて答えればいいと思う?」
納得のいく答えが出ず、アルスはヴォルグたちに聞こえないようにひそめた声でレンに助けを求める。
「えぇ!?ボ、ボクに聞かれても……。いっそのこと本当のこと言っちゃえば?」
「『自分は五英雄の生まれ代わりです』なんて言うやつ、変人以外の何者でもないだろ。それに万が一、万が一にも本当に五英雄だと信じられでもしてみろ。噂が噂を呼んで、もう自由気ままに冒険者なんてやってられなくなるぞ」
「それは……イヤだなぁ」
大きな力や権力というものにはそれ相応の責任が付きまとう。責任があるということは、自由を縛られるということでもある。王女という権力のある立場だったレンは特に身に染みているだろう。
「今の俺たちはもう英雄じゃないんだ。皆の期待を受けるには、この身じゃ重すぎる」
「……うん、そうだね」
人々の期待を背負うというのは力の源にもなるが、重荷にもなり得るのだ。力の無い【勇者】と癒しの力を失った【聖女】では、きっとその期待に答えることはできない。
それで失望されるのが自分だけならまだいい。だが、他の五英雄の仲間にまで飛び火するのだけは我慢できない。
ならば、そのことを知られないままのほうが気が楽だ。もう世界を救うなんて大層なことが望まれている時代では無いのだから。
今はただレンと交わした『平和な世界を共に歩いていく』という約束を果たせれば、それでいい。
(……でも誤魔化すにしても、どうやって誤魔化せばいいんだ)
咄嗟にうまい言葉が出てこずうんうん唸るアルスに訝しげな眼差しが集中する。
何か言わなければならないとは分かっているが、そう思うと逆に何も思い浮かばなくなるのが人間の心理というものだ。
アルスは額に冷や汗を滲ませる。魔物に囲まれた時よりも焦っているかもしれない。何を言ってもボロが出る予感しかしなかった。
「――まぁまぁ、みなさん、その辺にしておいてあげてくださいなぁ。冒険者の方には色んな事情を持った人がいるんですからぁ」
そんな時、救いの手を伸ばしてくれたのは端から見ていたポルカだった。
(よし、ナイスだポルカ!)
アルスは心の中でポルカに親指を突き立てる。
「……まぁ、確かにあまり詮索するのはよくねえかもしれねえな」
「……貴族とか領主の跡取りとか、元盗賊とか元奴隷とかざらにいるものね……」
「誰だって隠しておきたいことの一つや二つはあるだろうさ。悪かったね。この話は無かったことにしよう。今日ここに来たのはこんな話をするためじゃなくて、君たちにお別れを言うためなんだからね」
安堵の息を漏らす間もなく、アルスは「お別れ」という言葉に寂しさを覚える。
「もう帰るのか。せめて怪我が完治するまではゆっくりしていけばいいのに」
「元々、三日間の契約だったからね。それなのに一週間も面倒をかけてしまった。さすがにこれ以上世話になるわけにもいかないさ」
「そうか……。短い間だったけど、いざ別れるとなると寂しいな」
「何もこれが今生の別れって訳でもない。僕達は同じ世界、同じ業界に生きてるんだ。またどこかで会う機会があるさ」
「ああ、そうだな」
アルスは手を差し出す。その意図を最初に察したエトールも手を差し出し、握手をかわす。そうしてストラ、最後に少し照れくさそうなヴォルグの順に握手をかわした。
「……また会う日までに、私達も少しくらい強くなってないとね……」
「待ってろよ。次は俺様がてめえらにあっと言わせてやるからな」
「今度は慢心して足を掬われないようにな」
アルスはイタズラっぽく笑う。
「ぐっ……!おめえ『気にするな』とか言っといて、やっぱり怒ってんじゃねえか!勘弁してくれよ、悪かったって!」
「ハハハ、冗談だ冗談。また会える日を楽しみにしてるよ。それまでお互いに精進していこうな」




