覚え無き洞窟へ
ヴォルグが洞窟の前へたどり着いた時は、何者の姿もそこにはなかった。
代わりに残っていたのは幾重にも重なった足跡と戦いの跡。
あちこちに刺さっている矢と途切れ途切れに落ちている血痕は、エトールの必死の抵抗の跡だろう。ストラを逃がすためにこの場で魔物を足止めすることに全力を注いだのだ。
エトールの姿がないのは適当なところで逃げたか、魔物を全滅させて隠れているからだ――そう、ヴォルグは思いたかった。
「……畜生が!!」
洞窟内へと続く何かが引きずられたような跡を見つけ、ヴォルグは激しく地団駄を踏む。それをなぞるように数かに血の線が引かれていた。
――死んではいない。まだ捕まっただけだ。あいつがそう簡単にくたばってたまるか。
女にだらしないところもあるが、エトールは信頼できる仲間だ。前線でヴォルグが思いっきり暴れられるのはエトールが的確に援護してくれるからだ。そんな実力者である三星級冒険者が、そう簡単に死ぬはずはない。
ヴォルグはそう言い聞かせることで精神の安定化を謀ろうとする。しかし、仲間を失うかもしれないという不安感と、それを塗りつぶす魔物の対する怒りが心を支配していくのを止められなかった。
「……ヴォルグ待って!一人で行くのは危ないわ……!」
ストラが後ろから追い付いてくる。その後ろから更に追いかけてきたのは二星の二人組だ。
ヴォルグの顔が苛立ちに歪む。
「バカ野郎!なんで後ろの二人まで連れてきやがった!」
「知らない!勝手についてきたのよ!」
「チッ……!おい、てめえら何しに来やがった!さっさと帰りやがれ!」
エトールとストラの二人でも片方を囮に逃げるしか無かった相手だ。この中では更に過酷な状況が待ち受けているだろう。そんな中で半人前二人が加わったところで何になるというのか。
「その中に仲間が連れ込まれたんだろ?だったら俺たちも手伝う」
「余計なお世話だ!こっから消えろ!」
「たった二人でどうにかなる問題かよ!ここはみんなで力を合わせるべきだ!」
「こっから先はてめえらごときじゃどうにもならねえんだよ!本気で死ぬぞ!」
「それでも助けたいんだよ!あんたの仲間を!このまま放っておくなんてできるわけないだろっ!!」
一歩も引かぬ、力のこもった眼差しが輝く。
エトールのことをまるで自分の仲間かのように言い放つアルスの迫力に、ヴォルグはたじろいだ。
「……大丈夫だ、足手まといにはならない。俺だって冒険者だ。覚悟はできてる。最悪、囮にでも使ってくれればいいさ。それに――」
アルスはレンの方へ向き、その頭に優しく手を乗せる。
「――こっちにも、頼りになる仲間がいることだしな」
自信有りげにアルスは笑い、頼られて嬉しそうにレンは笑う。
何を根拠にそんな自信を持てるのか、死地へと続いているかもしれない場所の前でどうして笑えるのか――どうして自分を邪険にした男の連れを助けるために命をかけられるのか、ヴォルグには分からなかった。
「……勝手にしやがれ。てめえらの面倒まで見きれねえからな。自分の身は自分で守れ」
だが、そんなアルスの決意がヴォルグの心境を変化させる。何となくではあるが、二人の力を信じてみようという気持ちにさせられた。
アルスは一言「ああ」と返事をして頷く。
「……余計な時間をくっちまった。待ってろよエトール!まだくたばるんじゃねえぞ!」
ヴォルグが突撃したのを皮切りに、他の三人もまた洞窟へと足を踏み入れた。
***
洞窟の中は冷たい空気が流れ、かびと埃の臭いが漂っている。それ以上に亜人系の魔物が放つ獣臭さと生臭さが充満し、魔物の臭いに慣れているはずの四人ですら顔をしかめるほどだった。
だが、仲間を救いに来た四人に躊躇う暇などない。ストラの〈灯火石〉の魔法で周囲を照らしながら、駆け足で奥へと進んでいく。
洞窟内は大きな本道が下に向かう坂道になっており、いくつもの道に枝分かれしているような構造をしていた。
自然に作られたにしては不自然に感じる。やはり何者かが掘り進めたのだろう。状況から察するに、ゴブリンがやったと思われる。
エトールと思わしきものが引きずられた跡は本道をまっすぐ進んでおり、おかげで迷うことはなかった。
「エトール……」
〈灯火石〉で作り出された光源を手に浮かべながら、ストラは不安を露に呟く。フードで影になっている顔がどういう表情をしているのか、想像するのが難しくなかった。エトールを囮に逃げてしまったことに負い目を感じているのだろう。見捨ててしまったような気持ちになっているのかもしれない。
だが、それは間違いだ。ストラが逃げなければ二人とも魔物の餌食になっていた。そして、そのことを知らないままヴォルグが遅れて洞窟に来ていれば、また犠牲者が一人増えていた。それが分かっていたからエトールは囮になったのだ。
ストラの判断は間違っていない。間違っていたとすれば――
「――俺が角なんか採ってなけりゃ……」
ヴォルグは憤怒に歯を食い縛る。誰に対してではなく、愚かな判断をした自分自身に。
所詮はゴブリンだと侮っていた。自分は三星級だからと油断していた。常に三人で行動していればこんな事態になることは防げたかもしれない。
不測の事態に備え、あらゆる場面を想定して行動する。冒険者の基本中の基本だというのに。
「……今は過ぎたことを悔やむより、これからの状況を良くするために冷静になった方がいい」
アルスの言葉が静かな洞窟にこだまする。
「分かってんだよ、そんなこたぁ……!」
ヴォルグは前方から視線を逸らさないまま答える。冷淡にも聞こえる発言だが、言っていることは何も間違っていない。
「……ヴォルグ……!あそこ……!」
ストラの〈灯火石〉が浮かんだ右手が前に突き出される。それが示す方向には揺らめく光に照らされた空間があった。
四人はそこに足を踏み入れる。あちこちに松明のようなものが突き刺さっているおかげで〈灯火石〉が無くとも視界を確保することはできた。
奥の方まで光が届いておらず、どこが壁なのか視認することができないが、それほどかなり広い空間だということが分かる。
「こんな場所をゴブリンが掘ったってのか……?」
「いやまさか……!元々あったこの空間に偶然繋がっただけだろう。それにしても広いな……」
感嘆混じりに吐息を漏らすヴォルグとアルス。
「……!」
その時、ストラが何かに気づいて前方を示す。そこに横たわっているもの――いや、人物を見て、ヴォルグは目を見開いた。
「……エトール!!」




