その11
真夜中で暗闇に覆われている中、山奥にポツンとある便所から敬太の叫び声が聞こえてきました。
「放して! 放してよ! おしっこ、おしっこがもれる……」
「ふはははは! 便所へ誰がくるのかと思って待ち伏せしたら、やっぱりおめえだったのか」
敬太は夜中におしっこがしたくなって便所へ入った途端、獣人にいきなりその場で捕まってしまいました。両足をバタバタさせながら大声で叫んでいますが、獣人はその訴えに耳を傾けるつもりはありません。
「おめえは7歳になっても、お布団へのおねしょがまだ治っていないそうだな」
「おねしょぐらい、元気な子供だったら当たり前のことだい!」
毎日のように元気なおねしょをお布団にしちゃう敬太ですが、どんなに獣人からおねしょのことを言われても全く気にしません。
敬太は便所の板張りの壁を見ると、この不利な状況から一気に形勢逆転を狙おうと試みます。おしっこのガマンで苦しい表情を見せながらも、敬太は両足を交互に大きく振り上げました。
そして、敬太は板張りの壁に左足を踏み込むと、そのまま1回転しながら獣人の頭に思い切り蹴り上げました。
「どんなことがあっても、ぼくは負けないぞ! えいえ~いっ! とりゃあっ!」
「いてててっ、いきなりおれの頭を蹴りやがって……。うわっ、うわわわわ~っ!」
敬太に頭部を強く蹴られた獣人は、バランスを崩して扉のない便所の外へ投げ出されるように倒れ込みました。敬太はこれを見ると、おしっこをするために竹張りの床の真ん中にある便所に急いでしゃがみ込みました。
「も、もうおしっこがガマン、ガマンできない……」
敬太がしゃがんでおしっこをしようとしたとき、後方からは怒りをにじませた獣人の声が聞こえてきました。獣人は、後ろからいきなり敬太の右肩をつかもうとしました。
「よくも、よくもやってくれたな……。ここからおめえを帰らせるわけにはいかないぞ」
「うわわっ! 獣人め、いきなり何をするつもりだ!」
獣人の気配に気づいた敬太は、すぐに便所から出ようと後ろを振り向きながら立ち上がりました。そして、敬太は強烈な体当たりで獣人を突き飛ばすと、その勢いで獣人は便所の出入り口から飛び出すようにドシンと倒れました。
「いててててっ! 思い切り突き飛ばしやがって……」
「おしっこがもれそう……。ガマンができない……」
敬太は、おしっこを必死にガマンしながら便所から出ると、走りながら目の前に倒れたままの獣人をジャンプしようとしました。しかし、その動きを獣人が見逃すはずはありません。
「え~い……。うわっ、うわわっ!」
「おめえごときのチビなんぞにやられるおれじゃないぜ! うりゃあっ! うりゃあっ!」
「いてててっ、いててててっ!」
獣人は、自分をまたぐようにジャンプしようとした敬太の右足をつかむと、地面へそのまま叩きつけました。これを見た獣人は、敬太の背中を右足で何度も強く踏みつけました。
「ふはははは! おめえみたいなチビはここで墓場へ送ってやるわ! うりゃあっ……」
獣人による攻撃をどんなに食らっても、敬太はここでくじけるような子供ではありません。敬太はこの状況から脱しようと、うつ伏せ状態から仰向けにしようと素早く半回転しました。
「このチビめ……。あれだけ痛めつけても、まだ力が残っているとは……」
「んぐぐぐっ……。獣人なんかに、絶対に負けるものか……」
仰向けになった敬太は、自分を踏みつけようとした獣人の右足を両手で辛うじて食い止めました。そして、敬太はありったけの力を振り絞って獣人の右足を持ち上げました。
これには、敬太をあと一歩で倒す寸前だった獣人も驚きを隠せません。
「え~いっ! これでどうだ!」
「うわっ、うわっ! うわわっ! やめてくれ、やめてくれ! わわわっ……」
獣人が片足立ちでふらつく状態を見て、敬太は形勢逆転のチャンスを見逃すはずがありません。敬太はすかさず両腕に力こぶを入れて獣人の右足を強く押すと、獣人はあっという間に地面へ押し倒されました。
しかし、獣人を押し倒したときの弾みで敬太は獣人の上を飛び越えると、そのまま背中から地面に強く叩きつけられました。
「いててっ、いてててっ……」
「ふはははは! おめえが形勢逆転を図っておれを押し倒すも、その弾みで自ら墓穴を掘るとはなあ……」
敬太は背中を強打しながらも、痛みをこらえて何とか上半身を起こそうとします。しかし、目の前には獣人が不気味な笑い声を上げながら敬太に迫ってきました。
獣人は、敬太を逃げ出さないように両手で無理やりつかむと、そのまま自分の顔の手前まで持ち上げました。
「獣人め、ぼくに何をするつもりだ! 放してよ! 放してよ!」
「おめえがどんなことを言おうと…。うわっ、おれの顔をいきなり蹴りやがって……」
敬太は大声で叫びながら、両足を大きくバタバタさせて獣人の顔面に次々と蹴りを食らわせています。しかし、敬太の顔つきを見ると、何かを必死にガマンしているような苦しい表情となっています。
「いててっ! おれの顔に何度も…。いててっ、いてててっ! やめろ! やめろ!」
「もう、おしっこが…。ガマンできない……」
敬太が足をバタバタしていた理由は、おしっこがもうガマンできないと訴えかけるためです。敬太は苦しい表情で体を震わせながらも、獣人の頭部を手で押さえました。
そして、敬太が獣人の顔の目の前で大股開きをした、そのときのことです。
「ジョバジョバジョバッ、ジョバジョバジョジョジョ~ッ、ジョジョジョジョ~ッ」
「うわうわっ! おれの顔にいきなり小便をしやがって! 早くやめろ!」
敬太は、ずっとガマンし続けていた大量のおしっこを、獣人の顔面に勢いよくぶっかけています。そのおしっこの勢いは、敬太の元気さをそのまま示しています。
さすがの獣人も、真正面からのおしっこ噴水になすすべもありません。その間も、敬太は大股開きになったままでおしっこを出し続けています。
「ジョバジョバジョジョジョジョ~ッ、ジョバジョバジョジョジョジョジョ~ッ」
「今までガマンしていたおしっこが、こんなにいっぱい出てすっきりしたぞ!」
敬太はおしっこが出てすっきりすると、いつもの子供らしい明るい笑顔に戻りました。すると、敬太の目の前の風景が一瞬真っ暗になりました。
「あっ、今まで見ていたのは夢の中のことだったのか」
敬太が目を開けると、お布団の中でずっと寝ていたことに気づきました。庫裏の外からは、朝になったことを伝えようとセミがミンミン鳴き続けています。
すると、敬太は自分のお尻がぬれていることに気づきました。これに気づいた敬太は、おせいにすぐ見せようと自分で掛け布団をめくりました。
「おっかあ、今日の朝もこんなにいっぱいおねしょしちゃったよ!」
「敬太くん、今日もいっぱいおねしょが出ちゃったね。お布団へのおねしょは、敬太くんがいつも元気いっぱいの男の子である証拠だもの」
敬太は、お布団の上でいつものように元気な笑顔を見せています。そのお布団には、敬太が見事にやってしまったおねしょがベッチョリと描かれています。
獣人の顔におしっこを命中させるまでの出来事は、すべて敬太が見た夢の中のことでした。お布団に描かれたおねしょは、敬太の元気さの証拠といえるものです。
これを見たおせいも、いつもの敬太の元気さに目を細めています。元気な男の子だったら、おねしょをするのは当たり前のことだからです。
「夢の中でおしっこがガマンできなくなったから、獣人の顔にそのまま命中させちゃったよ!」
「ふふふ、夢の中でも敬太くんは元気いっぱいだから、こんなに見事なおねしょをしちゃったのね」
おせいは、おねしょしても元気いっぱいの敬太の頭をなでなでしています。敬太も、おせいからおねしょを褒められるのでうれしそうです。
他の男の子たちも、次々と布団から起き上がりました。しかし、敬太と違って何かにおびえている様子です。
「みんな、どうしたの?」
「敬太くん……。夢の中で便所に行こうとしたら、いきなり獣人に襲われそうに……」
「ぼくも同じ夢だったの……」「ぼくの夢でも、獣人がいきなり……」
男の子たちが見た夢は、いずれも山奥にある便所でいきなり獣人に襲われたというものです。その証拠として、男の子たちはお布団に見事なおねしょの地図を描いてしまいました。
「今日もやっちゃった……」
「獣人が恐くておしっこをもらしたと思ったら、お布団におねしょをしちゃった……」
男の子たちは顔を赤らめながら、おねしょをしちゃったことにしょんぼりしています。そんな男の子たちに、敬太は元気な声で励まそうとしています。
「そんなにしょんぼりしなくても大丈夫だよ! ぼくだって、いつもお布団と腹掛けに元気なおねしょをしちゃうけど、そんなことぐらい全然平気だよ!」
敬太の励ましで、他の男の子たちも次第に笑顔を取り戻しました。そして、敬太たちは自分のおねしょ布団を持って庭の物干しのところへ行きました。
お寺の庭には、敬太たちのおねしょ布団がずらりと並んでいます。おせいは、お布団に描かれたかわいいおねしょを見ながら微笑んでいます。
「ふふふ、みんなそろって元気いっぱいのおねしょ布団が並んだね。それでも、おねしょの大きさではやっぱり敬太くんにかなわないなあ」
「おっかあ、これからもお布団にでっかいおねしょを描くようにがんばるよ!」
敬太は笑顔を見せながら、自分のおねしょ布団の横に仁王立ちで立っています。お布団にベッチョリ描かれたおねしょは、敬太の元気さをそのまま表しています。
そこへ、庫裏から出てきたワンべえが敬太の左足にへばりつきました。ワンべえは、いつものようにやってしまった敬太のおねしょ布団をじっと眺めています。
「敬太くん、今日もこんなにでっかいおねしょをしちゃったんだワン!」
「でへへ、お布団に元気なおねしょをやっちゃったよ!」
敬太は、ワンべえにおねしょ布団を見られて思わず照れ笑いを見せています。
そんな中にあって、敬太はどうしても気になることがあります。それは、敬太たちが見た夢の内容が似ていたからです。
「ぼくだけでなく、他のみんなも獣人に襲われる夢を見たけど……。どうして似たような夢を見るのかなあ……」
「そんなことで気にしていたら、敬太くんらしくないよ。だって、敬太くんはいつも元気なのが取り柄だもの」
「そうだった、でへへ。おっかあの言う通りだね」
敬太は気持ちを切り替えると、いつもの明るい笑顔で近くの大きな畑へワンべえといっしょに向かいました。
朝から暑い中、敬太は腹掛け1枚だけの姿で畑仕事に励んでいます。大きなサトイモや野菜を掘り出すときも、敬太は自分の力で行います。
そこへ、牛小屋から出てきた牛助がやってきました。牛助は、敬太の仕事ぶりを感心しながら見入っています。
「こんなに暑いときであっても、敬太はちゃんと畑仕事をしているのか」
「だって、ここにあるイモだって、野菜だってみんなが食べるものだもん!」
「はっはっは! 敬太がこんなに強いのは、いつも好き嫌いをしないで何でも食べるおかげだものね」
敬太は無邪気な表情をしながら、掘り出したばかりの親イモや野菜を牛助に見せようとしています。これらの作物は、晩ご飯のときにみんなで食べるものです。
これを見た牛助は、凄まじい力を出すことができる敬太の秘密を改めて垣間見ることができました。
「それはそうと、いつもなら男の子たちもここにいるはずなんだが」
「みんながどこへ行ったか、おっかあに聞いてみるからね」
いつもなら、敬太といっしょにいるはずの男の子たちがここにはいません。敬太とワンべえは、掘り出したばかりの作物を両手で抱えながらお寺のほうへ戻りました。
敬太は、本堂の前にいるおせいを見ると急いで駆け寄りました。おせいは桑吉をおんぶしながら、津根吉を大事そうに抱っこしています。
「おっかあ、これを見て見て! 今日も、こんなに大きなイモや野菜を掘り出すことができたよ!」
「ふふふ、これだけあれば今日の晩ご飯も困ることはないね。敬太くん、いつもありがとうね」
敬太はとれたての作物をおせいに見せると、すぐに庫裏の入口のところへ置きました。これを見たおせいも、いつも畑仕事をしてくれる敬太に感謝しました。
「おっかあ、みんなはどこへ行ったのかなあ?」
「それだったら、山の中へ山菜採りに行ったわよ。敬太くんにはないしょにしてほしいと言って出かけたけど……」
男の子たちは、敬太にないしょで山菜を採りに出かけています。敬太に何も言わずに出かけたのは、自分たちで採った山菜を敬太に自慢したいためです。
「それなら、ぼくはその間に大きな木を切り倒しに行ってくるからね!」
「ぼくも、敬太くんといっしょに行くワン!」
「敬太くん、くれぐれも気をつけて行くのよ」
敬太はまさかりを持つと、ワンべえとともに山の中へ向かって駆け足で走って行きました。
しばらくすると、敬太が丸太を背負いながらお寺へ戻ってきました。これだけの丸太があれば、晩ご飯を作るときに必要な薪に困ることはなさそうです。
「敬太くんのおかげでいつも助かるわ。これだけあれば大丈夫だよ」
「いつもやっていることだし、ぼくだったらこれくらい当たり前のことだもん!」
敬太は、手慣れた様子で丸太を切り分けています。おせいとワンべえは、小さい体でがんばる敬太の姿にやさしい眼差しで見入っています。
すると、おせいは空を見上げながら何かつぶやくように言い出しました。
「お昼もだいぶ過ぎたけど、まだ帰ってこないね。どうしたのかしら」
「なっぱくんたちがまだ帰ってこないの?」
「すぐに戻ってくると言って出かけたけど……」
おせいは、男の子たちが山菜採りに行ったまま帰ってこないので心配そうな表情になってきました。これを見た敬太は、いても立ってもいられない様子ですぐに立ち上がりました。
「おっかあ、これからみんなを探しに行ってみるからね! なっぱくんたちはどこまで行ったの?」
「山道で、上り坂から下り坂に差し掛かるところがあるでしょ。そこから左側の山のほうへ入って行ったわ。敬太くんが入った山の真向かいのところよ」
「おっかあ、教えてくれてありがとう!」
おせいは、男の子たちが山菜採りへ行った場所を敬太に伝えました。敬太はこれを聞くと、急ぎ足でお寺から飛び出して行きました。これを見たワンべえも、あわててその後を駆け足でついていきました。
「敬太くん、ぼくを置いて行かないでほしいワン!」
おせいは、お寺の入口に立ちながら敬太たちを見送りました。敬太のあまりの元気さには、おせいも少し心配そうな表情を見せています。
「敬太くん、マムシやスズメバチがいるかもしれないから気をつけて行くのよ」
おせいは、敬太がマムシの毒でひん死の状態で運ばれたときのことを思い出しました。いつもやさしい愛情を注いでいるからこそ、敬太が危険な目に遭うかもしれないと思うと心配でなりません。
そんなおせいの心配をよそに、敬太とワンべえはみんなを探すために山道を駆け上がって行きました。




