その12
山道を急いで駆け上がった敬太とワンべえは、上り坂と下り坂の境目のところまでやってきました。山道の周りには、大きな木々が数えきれないほど茂っています。
「ぼくがいつも入るのは右側だから、おっかあが言った山の真向かいというのは左側かな?」
敬太はおせいの言葉を思い出しながら、ワンべえといっしょに左側の入口から山の中へ入って行きました。そこには、オオバコやミョウガといった夏の山菜があちらこちらに生えています。
「うわ~っ、いろんなところに山菜が生えているね」
「敬太くん、いっしょにみんなを探そうワン」
「もしかしたら、奥のほうへ行ったかもしれないぞ」
敬太たちは、男の子たちを探すために山奥のほうへ進んで行きました。そのとき、大きな木々の木陰から獣人らしき怪しい影が現れました。
獣人は、山奥へ行った敬太たちを木陰から気づかれないように見ています。
「あのチビめ、やっぱりこの山へ入ってきたか。おめえの友達思いなところが大きな仇になるとも知らずに…。ふはははは! ふはははは!」
獣人は、まるで敬太の末路を知っているかのような口ぶりで不気味な笑みを浮かべています。
「ぼくに自慢したいものがあるから、奥のほうまで行って探しているのかなあ」
これだけ山菜が周りにあれば、短い時間で山菜採りを済ませてお寺のほうへ戻るはずです。そう考えると、男の子たちに何かあったと考えてもおかしくありません。
ワンべえは、地面をクンクンとにおいをかぎながら進んでいます。すると、ワンべえは何かを感じ取るとすぐに山の斜面を駆け上がりました。
「ワンべえくん、どうしたの?」
「敬太くん、ぼくの後をついてきてほしいワン!」
敬太とワンべえは、傾斜のきつい斜面を駆け上りながら山奥へ向かって行きました。少し奥へ進むと、敬太は夢の中に登場したあの場所を見つけました。
「ワンべえくん、こっちを見て! 夢の中に出てきた便所が……」
その便所は、敬太が見た夢の中に出てきたのと全く同じです。これを見た敬太は、何かを思い出したように急に腹掛けの下を押さえ始めました。
「敬太くん、もしかしておしっこワン?」
「お、おしっこがもれそう……」
敬太は、急いで便所の中へ入りました。そこは、板張りの床の真ん中に穴が開けられたポットン便所です。
「もうガマンできない、ガマンできないよ……」
敬太は、すぐに穴の開いたところにしゃがみ込もうとしました。しかし、便所の周りを見渡すと、敬太は何やら殺気のようなものを感じました。
「ふはははは! 自分から死ぬためにやってくるとは、いい度胸をしているなあ」
「獣人め、どうしてここに……。うわっ! うわわっ!」
薄暗い便所の中にいきなり現れたのは、不気味な笑いを浮かべる獣人の姿です。獣人はいきなり敬太の両足を持つと、そのまま逆さ吊りにしました。
「このチビめ、逆さ吊りになった気分はどうだ! ほれほれ、かわいいのが丸見えになっているぞ。ふはははは!」
「おちんちんが見えたって、ぼくは恥ずかしくないもん!」
「そんなこと言っていいのかなあ。おめえが、いつもお布団におねしょを欠かさずにやってしまうのをおれは知っているぞ」
逆さ吊りになった敬太は、赤い腹掛けが下にめくれておちんちんが丸見えになってしまいました。それでも、敬太は思わず顔を赤らめながらも堂々とした表情を見せています。
これを見た獣人は、毎日のように繰り返すおねしょ癖のことを敬太に向かって言い放ちました。
その間にも、敬太は必死におしっこのガマンをし続けています。しかし、そのガマンもついに限界に達したそのときのことです。
「どうしたのかなあ? ずっとガマンしている顔をして……。うわっ、うわわわっ!」
「ジョパジョパ、ジョパジョパジョパ、ジョジョジョジョジョ~ッ」
敬太は、獣人の顔にめがけておしっこの噴水を勢いよく命中させています。いきなりのおしっこ命中に、獣人はあわてふためいています。
「わわわっ! よくもおしっこをぶっかけやがって! やめろ、やめろ!」
「ぼくの攻撃はこれで終わったわけじゃないぞ! えいえいっ! え~いっ!」
敬太は獣人が離したのを見計らうと、板張りの床に両手をついて逆立ちで着地をしました。そして、敬太は後方で倒立しながら、獣人に両足で強い蹴りを食らわしました。
「いててっ、いててててっ……」
「ここまでおいで、ここまでおいで、ベロベロベ~ッ」
強烈な蹴りを何度も食らった獣人は、便所の壁にもたれかかるように倒れ込みました。獣人は、顔をゆがめるほどの痛々しい表情を見せています。
敬太は獣人に向かって、自分のお尻をペンペン叩いて挑発しながら便所から出ました。獣人はこれを見て怒りをあらわにすると、痛みをこらえながら立ち上がりました。
「よくも、おれの顔におしっこをぶっかけやがって……。この場でおめえを叩き殺してやるからな……」
獣人は便所の外へ出ると、敬太に向かって素早く突進してきました。しかし、敬太は真正面から獣人の胴体を両手でつかんで突進を食い止めました。
「んぐぐぐっ、んぐぐぐぐっ!」
「このチビめ、おれの突進を……。うわっ、うわああっ!」
敬太は獣人を真上まで持ち上げると、間髪入れずにそのまま後方へ投げ飛ばしました。
「グエエエッ、グエグエッ……」
「どんなに強い獣人であっても、ぼくは絶対に負けないぞ!」
地面に叩きつけられた獣人を見て、敬太はとどめを刺すために獣人の胴体にまたがりました。そして、敬太はすぐさま獣人の着物をつかみました。
「おい! 何をするつもりだ……。うぐぐっ、うぐぐぐぐっ、苦しい……」
「獣人め、ぼくの絞め技はこんなにすごいぞ! えいっ、ええいっ!」
敬太は、獣人の奥襟を握りながら両手締めの体勢に入りました。絞め技をかけられた獣人は、息ができないほどの苦しい表情となっています。
「息ができない……。うぐぐぐっ、うぐぐぐっ……」
「これでとどめだ! え~いっ! ええ~いっ!」
敬太は、獣人の首を両手で強く絞め続けながらとどめを刺そうとします。しかし、そんな敬太の耳に入ってきたのは、別の獣人らしき不気味な笑い声です。
「ふはははは! おめえの友達であるこの子犬がどうなってもいいのかな?」
「うええええ~ん! 敬太くん、早く助けてほしいワン!」
敬太の目の前には、もう1人の獣人がワンべえをわしづかみしながら立ち塞がっています。獣人に捕まってしまったワンべえは、大声で泣き叫びながら助けを求めています。
「獣人め、ワンべえくんをどうするつもりだ!」
この様子を見た敬太は、獣人に対する怒りで体が震えています。しかし、敬太が戦っている相手はもう1人の獣人のほうです。獣人は、敬太が自分への攻撃を緩めている一瞬の隙を逃しません。
獣人はいきなり起き上がると、敬太の体を右手で無理やりつかみました。敬太は手足をバタバタさせながら抵抗しますが、獣人はその様子に目をやることはありません。
「ふはははは! 戦う相手を間違ったら困るぜ! おりゃあっ! おりゃあっ!」
「うわっ! うわわっ! うわわあっ!」
獣人は今までのお返しと言わんばかりに、敬太を地面に何度も強く叩きつけました。これには、さすがの敬太も痛々しい表情を見せています。
「いててっ、いてててっ……。獣人め、いきなり叩きつけやがって……」
敬太は背中の痛みをこらえながら、何とか起き上がろうとしています。そのとき、獣人たちは敬太に現実をつきつけようと不気味な声で言い始めました。
「ちっ、しぶといやつだな。そんなおめえに今からいいものを見せてやろうかな」
「おめえがこれを見てどう思うのか、今から楽しみだなあ。ふはははは!」
獣人たちが不気味な笑い声で敬太を見下すように言うと、さらにもう1人の獣人が背後から現れました。
そこに現れた獣人は頭領格であり、その顔からは冷酷さがにじみ出ています。頭領格の獣人のそばいるのは、大きな泣き声を上げている男の子たちです。
「獣人め……。よくも、ぼくの大切なお友達に何をしたんだ!」
「何をしたかだと? ふっ、便所へ入ったときにたっぷりとかわいがってやったのさ」
敬太にとって、同じ屋根の下で暮らす男の子たちは兄弟同然の存在です。だからこそ、敬太は獣人たちへの怒りで体が震えています。
しかし、頭領格の獣人は冷酷な表情を変える気など毛頭ありません。
「何度もいたぶって泣き続けるチビどもは、わしらにとって楽しみでたまらないぞ。わしらの前でおしっこをおもらしするとはなあ、ふはははは!」
「普段からおねしょばかりしているようだし、恥ずかしいといったらありゃしないわ」
男の子たちは、周りにいる獣人たちにおびえながら泣き続けています。よく見ると、地面には小さい水たまりらしきものがいくつもあります。どうやら、男の子たちは獣人たちのあまりの恐怖におもらしをしてしまったそうです。
「敬太くんに自慢しようと、ここで山菜採りをしようとしたばかりに……」
「敬太くん、おしっこガマンできずにおもらししてしまった……。うえええ~んっ!」
男の子たちは、自分たちを探しにきた敬太へ涙声で訴えかけています。その言葉は、敬太の耳にも伝わりました。
そのとき、頭領格の獣人は男の子たちを鋭い目つきでにらみつけました。あまりにも恐ろしい獣人たちを目にして、男の子たちは足がすくんで立ち上がることができません。
「ふはははは! わしらに攻撃を加えようものなら、ここにいるおめえの大切な友達の命はないぜ!」
「うぐぐぐぐ……」
頭領格の獣人は、真後ろでおびえている男の子たちを人質に取っています。そして、獣人たちは指をポキポキと鳴らしながら敬太を威嚇しています。
不気味な笑みを浮かべる獣人たちに、敬太は歯を食いしばりながらも怒りをあらわにしています。しかし、獣人に手を出そうものなら、男の子たちの命の保証はありません。
敬太は、何とか男の子たちとワンべえを救い出そうとある方法を思い立ちました。
「ぼくが代わりに人質になるから、男の子たちとワンべえくんを放せ!」
「ぼうぼう、おめえが友達の身代わりになるつもりか。チビのくせに、いい度胸をしているなあ」
敬太は自分が人質になることで、男の子たちとワンべえを何とか助けたいという強い思いを伝えようとしています。すると、獣人たちは怪訝そうな目つきで敬太をにらみつけました。
「身代わりになるのならこっちへこい!」
「おめえの友達に代わって、おれたちの人質になったことを示さないといけないからなあ、ふはははは!」
敬太は、自らの意思で人質になるために獣人たちのそばへやってきました。それと入れ替わる形で、男の子たちとワンべえは人質から解放されることになりました。
けれども、入れ替わりで人質になった敬太の姿を見て、男の子たちは心配そうな顔つきになっています。
「ぼくたちのために人質になるなんて……」
「どうして人質になるの……」「うえええ~ん! うええええ~ん!」
「敬太くん、敬太くん……。うえええええ~ん!」
男の子たちやワンべえは、自分たちを助けるために身代わりになった敬太を見ながら泣き声を上げています。それでも、獣人たちはそんな男の子たちの叫び声に耳を傾けようとしません。
獣人たちは敬太の両腕を後ろ手に縄でしばり上げると、大きな木の太い枝に吊るしました。そして、頭領格の獣人は何か言いたげな顔つきで前へ出ました。
「ふはははは! これかおめえらの身代わりになった敬太の姿だぜ」
「よくも、ぼくたちの大切な友達にこんなことを……」
頭領格の獣人は不気味な笑みを浮かべながら、敬太の姿を男の子たちに見せました。吊るし責めになったその姿に、男の子たちの周りには重苦しい雰囲気が漂っています。
大事な友達のしばられた姿を見て、ワンべえは黙っているわけではありません。
「敬太くんを早く放すんだワン! 早く放すんだワン!」
「そんなことなんか知るか! うりゃあっ!」
ワンべえは怒りの表情を見せながら、頭領格の獣人に向かって飛び掛かりました。しかし、頭領格の獣人はそのワンべえを右手でつかむと、そのまま地面に叩きつけました。
「敬太はだな、自分で人質になることを選んだのさ。おめえらの身代わりとしてな」
「おめえらが始末されなかっただけでもありがたく思うんだな。ふはははは!」
獣人たちは人質になった敬太を指さしながら、冷酷な口ぶりで男の子たちに向かって言い放ちました。これを聞いた男の子たちは敬太を見て大泣きしたり、獣人たちへの強い怒りを見せたりしています。
しかし、頭領格の獣人は男の子たちにさらに追い打ちをかけようと、ある重大なことを言い出しました。
「ふはははは! よく聞け! この敬太はおめえらと同じように人間の姿をしているけど、本当は獣人の子供なんだよ!」
突如として頭領格の獣人が言い出したのを聞いて、男の子たちは驚きと戸惑いを隠せません。なぜなら、敬太は大家族の小さいお兄ちゃん的存在であるからです。
「敬太くんが、獣人の子供って……」
「おっとうとおっかあを殺したやつと、人質になっている敬太くんが同じ獣人……」
獣人によってお父さんやお母さんを皆殺しされたことを、今でも男の子たちの脳裏に残っています。
皆殺しの限りを尽くした獣人の子供が敬太という事実……。これは、男の子たちにとって最も受け入れがたいことです。
すると、男の子たちの心の中では、明るくて元気いっぱいの敬太の日常生活を思い浮かべています。そこには、みんなといっしょに畑仕事に励む敬太の姿があります。
あるときはまさかりで木を切り倒したり、またあるときはお相撲や水遊びでみんなと遊んだりと思い出のシーンが次々と浮かんできます。おねしょやうんちをしたときに、みんなの前で元気な笑顔を見せるのもいつもの日常風景です。
「獣人であっても、敬太くんは敬太くんだよ」
「例え獣人の子供であっても、ぼくは敬太くんのことを信じるからね」
敬太との思い出が次々と浮かぶにつれて、男の子たちは改めて敬太のことを見つめ直しました。そして、敬太が獣人の子供であっても、お互いの信頼関係に変わりないことをみんなで確認しました。
そのとき、敬太は男の子たちに向かって大きな声で叫ぶように言いました。
「みんな、獣人たちから早く逃げて! 早くここから逃げて!」
敬太の声を聞いた男の子たちですが、身代わりとして人質になった敬太を残したまま逃げることへのためらいがあります。
その様子を見た敬太は、もう一度大声で叫びました。
「ぼくは大丈夫だから、急いで逃げて! 急いで逃げて!」
男の子たちやワンべえは、敬太の声を聞くと急いで山道の方向へ急ぎ足で走り出しました。もちろん、本心としては敬太を置き去りにしたままで逃げたいわけではありません。
「敬太くん、ごめんね……」「うええええ~ん!」
「敬太くん、死んでほしくないワン……」
男の子たちは、敬太が無事であることを祈りながらお寺のほうへ向かって行きました。




