5 雪解け
悪魔と呼ばれる生き物はこの世界にはいません。
竜のように幻に近い生き物という類でなく、「悪魔」はこの世界でも空想の生き物であるのです。
遠い昔に、魔族と呼ばれる種族はいましたが、今ではその存在は伝説となっています。
しかし、この世界で、魔法使いたちの間で密やかに悪魔と呼ばれる者がいました。
魔法使いということ以外、何一つ知らされていない悪魔と呼ばれる者。
魔法国ワールズから追放された魔法使いは幾人もいますが、罪人として追われる立場になり、逃げおおせている者はその悪魔だけでした。
「聞いてしまった以上、貴女に伝えなくてはならないから 」
「…ありがとう。神出鬼没だとは思っていたけれど、まさかドラゴンにまでちょっかいかけていたなんて 」
頭を抱えるのは、赤い魔女です。彼女の名にふさわしい真っ赤な瞳は、今は悩ましげに伏せられています。
「実際に、存在していたなんて驚きました 」
存在として知っていても、やはり悪魔も幻やおとぎ話の類に近い存在でした。
そもそも、悪魔とは一体どのような人物なのか?それすらも、分からなければ見つけようがありません。
「殺しても、死なない。悪魔みたいに人の心を弄ぶだけの、嫌な奴よ 」
そう呟く魔女の表情は苦悩に満ちたものでしたが、どこか声色だけは優しい響きを帯びていました。
その違和感に、女王は気づかないふりをして紅茶のおかわりを注ぎました。
「そういえば、ファイアドラゴンと接触しているんだって? 」
「はい。少しでも情報を得ることができたらと思いまして… 」
あの日から、女王はまた外へ出るようになりました。行き先は決まって、東の湖です。
そこで、時折あの時のファイアドラゴンと会っては、子どもの情報を得ているのです。
「エドが呪いをかけられたのがあと少しで成体として認められるという時期だったそうです 」
「竜一匹の成体を阻止して、一体何になるのかしら 」
ぶつぶつと考え事を始める魔女に対して、女王はうっすらと微笑みました。
そんな表情を見て、考え事をしていた魔女は驚きの声をあげました。
氷のように冷たい無表情、それが女王のいつもの顔でありそれ以外の顔を魔女は今までみたことがありませんでした。
「かわったわね… 」
「…はい。最近やっと思えたのです。私は、運命に従って良かった、と 」
ただの小娘だったならば、出会うことも触れ合うこともならなかった。
今のこの地位が、力があってこそ、初めて最愛の子どもを見つけることができたのだ。
「だから、私は、この国を、己の意思で守ってゆこうと決めました 」
なりたくてなったわけじゃない。だから、今までは流されるがまま役割を果たしてきた。
意味もなく、ただ淡々を過ごしてきた日々に何の価値もない。
だけど、子どもに「へいか」と呼ばれただけで、今までの私にも意味はあった、とそう思えた。
大切なものを見つけた今、その全てを受け入れて女王として生きてゆきたい、とはっきりと思うことができた。
「これは、まぎれもない、私の意思なのです 」
「…役割から、抜け出すことができたのね 」
そう言った赤い魔女は、ただの娘のように喜びを隠すことなく笑いました。
その笑みに、今度は女王が驚かされる番でした。
「あなたこそ、 」
と、言ったところで、ドォンと響くような振動が城を揺らしました。
これは、魔法障壁が攻撃を受けている証です。音は鳴りやむことなく、続きます。
女王が、必死で立ち上がり窓から障壁の外を見ると、そこは一面赤い炎で埋め尽くされていました。
白銀の世界だったはずの周囲は、一転して赤く燃えていました。取り巻く炎は意思を持つかのように、国を覆い害そうとしていました。
「なにが、おきているの…? 」
「わかりません。ただ、この国を害するならば、それは阻止しなくてなりません 」
そう言うと、女王はスッと背筋を伸ばし、空中にスペルを描きだしました。
全ての手の指を使い、舞う様に部屋中をスペルで埋め尽くしてゆく女王。
杖も使わず、スペルを描いていく様は、神選ばれた者である証。まぎれもない、氷の魔法使いの力でした。
「貴方の魔法は、とてもきれいだわ 」
「ありがとうございます。そう言ってくれるのは、貴女と、もう一人だけです 」
女王が手を上げれば、部屋は空中に描かれたスペルがまばゆく輝きだしました。
飛散してく光は障壁へと向かい、その直後轟音はやみました。
魔女に一礼して部屋から出てゆく女王の顔は、もう迷っていませんでした。




