4 笑み
その日、女王は一年ぶりに外へ出る支度をしていました。
やってきた竜の男を送り届けるついでに、行きたい場所ができたのです。
地味なドレスに、姿を隠すマント。馬のいない馬車。
そして透明な丸い水晶を、首にかけました。
これは、女王が不在の間でも魔力だけをこの城の送り続けるための特別な魔石です。
透明度の高い魔石ほど高価であると言われており、この水晶だけでも特別に高価なものだということが分かります。
「…そうしていると、ただの小娘のようだな 」
「えぇ、私はただの小娘なのですよ 」
そう言って微笑みながらも、氷のような瞳は決して笑っていませんでした。
女王の一般的なこげ茶の髪とは対照的に、その瞳の色は滅多にないアイスブルーでした。
瞳は、この国の氷のように、相手を冷ややかに射抜きます。その姿は、まさに国を背負う王の瞳でした。
己の失言に気づいた男は、小さく謝罪しました。そんな言葉に少しだけ驚いた様子を見せる女王。
「非があれば、詫びるのは道理だ 」
恥じたように瞳を伏せる男に、女王はどこか懐かしさを感じて微笑んでいました。
あぁ、やはりエドと同じ一族なのですね。
それが、ただ嬉しくて、女王は涙を落としそうになっていました。
今は遠く、そして愛おしい存在がすぐ傍にあるようで、たまらなくなったのです。
女王が馬車の御者の席に乗り込めば、氷の馬が生成され手綱が女王の手に収まりました。
「貴方は、後ろに乗ってください 」
「いや、来た時のように戻れば問題はない 」
「…いえ、貴方のように魔力の高い者は容易にここから出ることはならないでしょう 」
「それは、どういうことだ 」
話すべきかと考えてから、女王は戸惑いがちに答えました。
この国は、ゲートの役割であると同時に、網でもあるのです。
魔法の国へ向かうのは人ですが、その多くは魔力持ちの者であり魔法使い候補です。
魔力は使わなければ弱ってゆきます。鍛えなければ、身体機能のように衰えてゆきます。
本来ならば、人にあるはずのない力だからでしょうか。
だから、魔力を持つ彼らは己の才能を磨くべく、この国にやってくる。小さな原石を磨いて、宝石とするべく。
しかし、中にはずば抜けた才能を持つ者もいます。それこそ、魔力が桁外れに強い者が。
魔力は制御しなければ体から漏れてゆきます。そしてその魔力は、ただの人にとっては有害です。
中毒を引き起こし、精神にも異常をきたします。
そんな者を、人の世界に戻すわけにはいかないのです。
居るだけで有害な生き物を見つけるための網。それも、この「北の国」なのです。
「だから、入るのは容易くとも、出るのは困難なのですよ 」
「人とは、酷く面倒なことをするのだな 」
呆れたように呟く男に、女王は曖昧に微笑んで頷きました。
天を駆ける氷の馬は、東へと向かいます。
男を送り届ける先を東の大きな湖までとしたからです。
そして、そこは女王の目的の地でもありました。
美しい子どもを見つけた場所。
そこで、かすかでも懐かしい思い出にふれたいと思ったのです。
「礼を言おう、氷の魔女 」
「いえ、元は私のしでかしたことです。願わくば、彼が早く貴方たちと共にありますように 」
女王の言葉に、男は苦しげな表情で頷きました。なぜという問いの答えを持つ者は、今この場にはいません。
優しい子どもだったエド。それがなぜ同じ一族のドラゴンに害をなすのか。女王には、その理由がまったくわかりませんでした。
もしかしたら、知らないうちに自分が何かしたのかもしれない。そう考え出すと、何もかもが疑わしく思えてきました。
そもそも、自分の身勝手で手を触れてしまった。それがなければ、子どもはこんなことにならなかったのではないか。
ならば、自分は最後まで責任を持たなくてはならない。
「また、お会いできますか。あの子のことを、教えてください 」
気がつけば、そんな言葉が女王の口から出ていました。
「…それは 」
戸惑ったように、言いよどむ男に、なお詰め寄る女王。その瞳は必死でした。
「私は、最後まで見届ける責任がある。だけど、私は国を長く離れられません 」
できるならば、自分で子どもの元へ行きたい。だけど、自分が行ってしまえば、また子どもを攫ってしまうかもしれません。
それこそ、今度は誰にも知られず氷に閉ざして隠してしまうかもしれません。
そんな自分が、女王は恐ろしいのです。しかし、それ以上に子どもの事を知りたいと思ってしまう自分もいるのです。
「貴方しか、頼れないのです 」
そっと頭を下げれば、はるか上から小さなため息が聞こえました。
「わかった。だから、顔をあげろ。魔女が頼みごとなど、恐ろしくて声も出せん 」
顔を上げれば、呆れた顔の男がいました。しかし、その表情はどこか優しいものも含まれていました。
「彼の者のことは、我々一族にとっても重要なことだ 」
「…ありがとうございます 」
そうして、女王は子どもがいなくなって初めて笑ったのでした。




