第12話「冒険者たち」
ファイアストーム作戦が失敗してから、二日が経っていた。
政府は再攻撃の方針を協議中だったが、結論は出ていない。巣の構造が短期間で変化すること、既存の装備では兵隊蟻に対処困難であること、そして何より——一度の作戦で50名近い死者・行方不明者を出したという事実が、次の一手を躊躇させていた。
廃工場跡地の周囲には黄色い規制テープが張り巡らされ、「立入禁止」「危険区域」の看板が等間隔に並んでいる。だが警備は手薄だった。自衛隊は撤退し、警察は失血死事件と徘徊者の対応で手一杯で、廃工場跡地には交代制の警察官が2名配置されているだけだ。しかもその2名も、日没後は「危険手当が出ない」という理由で引き上げてしまう。
夜になれば、ここは無人だった。
そして——その情報は、SNSを通じて既に広まり始めていた。
午後5時。日没直前。
廃工場跡地から200メートルほど離れたコインパーキングに、四人の若い男が集まっていた。
リーダー格の小林拓也、22歳。都内の私立大学に通う4年生だが、就職活動は全滅に近い。奨学金の返済額は400万円を超えており、コンビニバイトの時給では利息を払うのが精一杯だ。実家は地方の母子家庭で、仕送りは望めない。
田村健太、22歳。小林の同級生で、同じシェアハウスに住んでいる。小林とは逆に体格がよく、高校時代はラグビー部だった。奨学金は300万円。現在は居酒屋のバイトで食いつないでいるが、失血死事件の影響で夜の客足が減り、シフトを削られている。
佐藤誠、21歳。一学年下の後輩。温厚な性格だが、計画性があり、四人の中では最も慎重な人間だ。親の事業が失敗して仕送りが途絶え、学費の支払いが滞っている。
鈴木亮太、21歳。佐藤と同学年。四人の中で最もノリが軽く、SNSでの情報収集が得意。ツニッターのフォロワーは3,000人ほどで、日頃からトレンドを追いかけている。借金はないが、貯金もない。
四人は同じシェアハウスの住人であり、六畳一間に布団を並べて暮らしている。金がないという一点で結束した、貧乏大学生の共同体だった。
「……マジで行くのか?」
田村が、不安そうに呟いた。コインパーキングの柵に寄りかかり、腕を組んでいる。体格のいい身体が、緊張で強張っていた。
「自衛隊が50人近くやられたんだぞ。火炎放射器とか持ってた連中がだ。俺たちなんて、素人じゃん」
小林は、スマホの画面から顔を上げた。
「だからこそ、チャンスなんだよ」
「は?」
「自衛隊は1,000人で突っ込んだ。装甲車に戦車にヘリまで持ち込んで、それで失敗した。なんでだと思う?」
「蟻が強すぎたからだろ」
「違う。デカすぎたんだよ、規模が」
小林がスマホを掲げた。画面には、匿名掲示板のスレッドが表示されている。ファイアストーム作戦の分析を、軍事マニアたちが行っているスレッドだ。
「ここに書いてある。自衛隊が損害を受けたのは主に地下20メートル以深だ。浅い層では働き蟻しかいなくて、小銃で普通に倒せてる。ヤバいのは深層の兵隊蟻で、こいつらは銃弾も弾くし、罠もある。でも——浅い層だけなら、銃がなくても対処できる可能性がある」
「可能性って……」
「もう一つ」
小林が画面をスワイプする。別のスレッドが表示された。
「自衛隊の生還者の証言。宝箱があったっていう話。中に謎の液体が入ってたって。それを飲んだ隊員が超人的な力を出して、それで錯乱した。ニュースでもやってた」
「だから危ねぇって話だろ」
「液体は、深い層にあったんだ。地下30メートル。浅い層にもあるかは分からないけど、宝箱自体は浅い層にもある可能性がある。液体以外にも何か入ってるかもしれないだろ」
田村が黙り込んだ。
小林が後ろを親指で指した。シェアハウスのあるボロアパートの方角だ。
「奨学金の返済。バイト代じゃ全然足りない。就活もうまくいかない。このままじゃ、俺たち詰んでるんだよ。4年間大学に通って、得たものが400万の借金と『お祈りメール』だ。この先どうする? コンビニのバイトを10年続けるか?」
誰も答えなかった。答えられなかった。
「あのダンジョンには未知のものがある。自衛隊が回収したあの液体だけでも、研究機関が取り合いになってるって話だ。俺たちが何か持って帰れれば——」
「いくらで売れるんだ」
鈴木が食いついた。
「わからない。でも、世界に存在しない物質だぞ。人間の既存技術じゃ作れない何かだ。値段なんかつけられない」
四人は顔を見合わせた。恐怖はある。だがそれ以上に、背に腹は代えられないという切迫感があった。もうすぐ大学を卒業する。卒業すれば奨学金の返済が始まる。まともな就職先もない。このまま社会に放り出されれば、借金を抱えたままフリーターとして消耗していくだけだ。
人生を変えるチャンスが、目の前にある。
「……行くか」
田村が小さく頷いた。佐藤も。鈴木も。
「よし。装備チェック」
四人がバッグの中身を確認する。
装備は、決して十分とは言えなかった。だが、限られた予算の中で最善を尽くしたつもりだ。
防刃ベスト——中古の警備員用。ネットオークションで1着3,000円だった。蟻の大顎にどこまで耐えるかは未知数だが、ないよりはましだ。
工事用ヘルメット——ホームセンターで購入。1個2,000円。頭部の保護。
火炎瓶——ガラス瓶にガソリンを入れ、布を詰めたもの。一人2本、計8本。自衛隊の報告で火炎が蟻に有効であることは確認されている。
催涙スプレー——護身用。蟻の複眼に効くかどうかは賭けだが、逃走の時間を稼げるかもしれない。
懐中電灯——ホームセンターの普通品。予備の電池も持参。
登山用ロープ——30メートル。唯一まともな装備。田村が山岳サークル時代に使っていたものだ。
金属バット——鈴木が持参。蟻の外骨格を叩き割れるかどうかは不明だが、最後の武器として。
「総額、一人あたり1万円くらいか」
佐藤が苦笑する。
「自衛隊は何十億円の装備で負けたのにな」
「金じゃないんだよ。知恵と度胸だ」
小林が冗談めかして言ったが、声が僅かに震えていた。
午後6時半。日没。
四人は暗くなるのを待ってから、廃工場跡地に向かった。
警察官の姿は既にない。予想通り、夜間は無人だった。フェンスには鉄条網が追加されていたが、田村が持参したワイヤーカッターで切断し、一人ずつ敷地内に入る。
廃工場の建物が、闇の中に影を落としている。懐中電灯の光が、崩れた壁と割れた窓を照らし出した。地面には自衛隊が使用した進入口がそのまま残っている。ロープも梯子も放置されたままだ。
「自衛隊のロープが残ってる。これ使おう」
小林が進入口の縁に立ち、懐中電灯で中を照らした。深さ約5メートル。底に横穴が見える。ニュースで見た映像と同じだ。
心臓が早鳴りする。ここから先は、50人近い人間が死んだり行方不明になったりした場所だ。
「降りるぞ」
小林が最初に降りた。自衛隊の残置ロープを使い、ゆっくりと降下する。足が地面についた瞬間、湿った空気が全身を包んだ。酸っぱいような、甘ったるいような——生物特有の匂い。地上とはまったく異なる空気。ここはもう、人間の世界ではない。
続いて田村、佐藤、鈴木が降りてくる。
四人が地下に揃った。
「よし。ルールを確認する」
小林が声を低くして言った。
「一、単独行動しない。常に四人一緒。二、兵隊蟻に遭遇したら即撤退。戦わない。三、30分で地上に戻る。深追いしない。いいな」
「了解」「おう」「わかった」
四人が通路を進み始めた。
地下10メートル付近。
通路は入口から10メートルほどで急に広がり、大人が立って歩ける高さになった。壁面は琥珀色の物質でコーティングされており、懐中電灯の光を受けてぬらぬらと鈍く光る。触ると硬い。樹脂のような質感。
「気持ち悪ぃな……」
鈴木が顔をしかめる。
「喋るな。音を立てるな」
小林が囁く。
通路は分岐していた。正面と左に道が分かれている。
「どっちだ」
「正面が広いから、正面でいこう」
50メートルほど進んだところで、カサカサという音が前方から聞こえた。
四人が立ち止まる。懐中電灯の光が、動く影を捉えた。
黒い外骨格。六本の脚。揺れる触角。
働き蟻だった。体長20センチほどの個体が、壁面を這っている。
「う、うわっ……」
田村が後ずさりかけたが、小林が腕を掴んで止めた。
蟻は四人に気づいていた。触角をこちらに向けて、匂いを嗅いでいる。
数秒間の沈黙。
蟻は——襲ってこなかった。触角を動かしたまま、ゆっくりと通路の奥へ消えていく。
「……行った?」
「ああ」
小林が息を吐いた。心臓がうるさい。
「ニュースの映像で見たのより小さいな。あれが働き蟻ってやつか」
「自衛隊が戦ったのは、もっとデカい兵隊蟻だ。あいつらは浅い層にはいないはずだ」
佐藤がスマホのメモを確認する。掲示板で得た情報をまとめたものだ。
「とにかく進もう。深入りはしない」
さらに通路を進むと、空間が開けた。天井の高さが3メートル以上ある、部屋のような空間。壁面には小さな窪みが等間隔に並んでおり、そこから微かに甘い匂いが漂っている。
そして——部屋の隅に、何かが置かれていた。
「あれ……」
小林が懐中電灯で照らす。
箱だった。蟻の唾液素材で形成された、50センチほどの箱状の容器。上面に蝶番のような構造があり、前面に留め金のような突起がある。形状は明らかに——人間が「箱」と認識する形をしている。
「宝箱だ……!」
鈴木が声を上げかけて、慌てて口を押さえた。
四人が宝箱に駆け寄る。小林が膝をつき、周囲に罠がないか確認する。天井、壁、床。異常はない。
留め金を外し、蓋を開けた。
中には——ペンが入っていた。
金属製の軸で、見た目は量産品のボールペンに似ている。だが質感が違う。表面に微かな光沢があり、手に取ると妙に馴染む。重さのバランスが市販のどのペンとも違った。
「……ペン?」
「宝箱の中身がペンって……」
鈴木が拍子抜けした顔をしたが、とりあえず壁面のコーティングの上にペンを走らせてみた。
「……すげぇ」
ペン先が壁面を滑る感触が、信じられないほど滑らかだった。力を入れなくても、文字が均一に、美しく刻まれていく。
「今まで使ったどのペンよりも書きやすい。圧倒的に」
「マジか。見せろ」
田村がペンを受け取り、自分の手の甲にメモを書いてみる。
「……ホントだ。なんだこれ。ペン先が紙の上を滑るってこういうことか」
「ニュースで言ってた『謎の液体』とは違うけど……これはこれですごくないか?」
小林がペンをバッグに仕舞った。
「他にもないか探そう」
部屋の反対側に、もう一つ宝箱があった。鈴木が開ける。中にはもう一本、同じようなペン。
さらに部屋の奥の通路を少し進むと、別の小部屋があり、宝箱がもう一つ。中身は——絆創膏だった。数枚の、白い絆創膏。
「絆創膏……?」
「普通の絆創膏じゃん」
だが田村がふと思いついた。
「ペンも見た目は普通だったのに、使ったらすごかったんだろ? これもそうかもしれないぞ」
小林が、火炎瓶の準備をしている時にできた手の擦り傷に、絆創膏を貼ってみた。
傷が、みるみる塞がっていった。赤く腫れていた皮膚が元に戻り、痛みが消える。5秒もかからなかった。
「……うそだろ」
「マジで?」
「傷が……治った。一瞬で」
四人が絆創膏を見つめる。沈黙が落ちた。
自衛隊が見つけたのは「謎の液体」だった。だが宝箱の中身はそれだけではなかった。ペン。絆創膏。見た目は日常品なのに、常識を超えた性能を持つアイテム。
「これ、ヤバいぞ」
小林が呟いた。
「よし。予定通り30分で戻——」
「待って。あっちにも通路がある」
田村が下り坂になった通路を指差した。さらに深部へ続いている。
「もうちょっとだけ。あと10分」
「……5分だ。5分だけ」
小林は自分で決めたルールを曲げた。宝箱を見つけた興奮が、慎重さを上回っていた。
四人は下り坂の通路を進んだ。地下15メートル付近。通路の構造が変わり始める。分岐が増え、行き止まりが現れる。迷路の気配が濃くなる。
別の部屋に出た。前の部屋より広い。天井は5メートル以上。
宝箱が二つ並んでいた。
一つ目:包丁。刃渡り15センチほどの小型のナイフに近い形状。蟻の唾液素材と金属を組み合わせたような、不思議な質感の刃。試しに壁面を削ってみると、琥珀色のコーティングが豆腐のように切れた。市販のどんな包丁でも、こんな切れ味はありえない。
二つ目:小さなお香のような棒が数本。匂いを嗅ぐと、心が穏やかになる。さっきまでの緊張が嘘のように溶けていく。
「すげぇ……リラックス効果がハンパない」
「ペン、絆創膏、包丁、お香……全部、見た目は普通なのに性能がおかしい」
「これで帰ろう。十分すぎる」
佐藤が促した。四人も同意し、来た道を戻り始めた。
その帰路で、事件が起きた。
通路の分岐点を曲がった瞬間、前方に黒い影が立ちはだかっていた。
体長50センチ。頭部が幅広く、大顎が人間の前腕ほどの長さがある。黒褐色の外骨格に鈍い金属光沢。
兵隊蟻だった。
浅い層にはいないはずの——兵隊蟻。
「やべぇ……!」
4匹。通路を塞ぐように並んでいる。
兵隊蟻の複眼が、一斉に懐中電灯の光源を向いた。大顎がゆっくりと開く。
「火炎瓶!」
小林が叫んだ。田村が即座にバッグから火炎瓶を取り出し、ライターで布に火をつけて投擲した。
ガラスが割れ、ガソリンが飛散し、炎が通路に広がった。先頭の兵隊蟻が炎に包まれる。甲高い音——外骨格が熱で割れる音——を立てて、蟻がのたうち回った。
効いた。自衛隊の報告通り、火炎は有効だ。
だが残りの3匹は炎を避けて壁面に張りつき、天井を伝って迂回してきた。
「上! 天井!」
佐藤が叫ぶ。頭上から兵隊蟻が落下してくる。
鈴木が金属バットを全力で振った。バットの先端が兵隊蟻の腹部に直撃する。衝撃で蟻が吹き飛び、壁に叩きつけられた。だが——すぐに起き上がる。外骨格にひびが入っているが、致命傷ではない。
「硬ぇ! バットが効かねぇ!」
「もう一本!」
田村が二本目の火炎瓶を投げた。今度は通路の床に叩きつけ、炎の壁を作る。兵隊蟻が炎の前で止まった。
「今だ、走れ!」
四人が通路を駆け戻る。火炎瓶で倒れた一匹目の兵隊蟻の脇を駆け抜けた時、砕けた外骨格から体液が飛び散った。
甘い匂いが、爆発的に濃くなった。通路に漂っていた微かな匂いとは桁違いの濃度。四人はそれを直接吸い込んだ——マスクもなしに。
だが、錯乱は起きなかった。ニュースで報じられていた「隊員の錯乱」は、小瓶の中身を丸ごと飲んだケースだ。体液の飛散による曝露は、それとは濃度が桁違いに低い。
代わりに——別のことが起きていた。
走りながら、小林は気づいた。
足が軽い。
さっきまで息が切れていたのに、今は呼吸が楽だ。脚に力が漲り、通路を駆ける速度が明らかに上がっている。
田村も気づいていた。佐藤も。鈴木も。
だが今はそれどころではない。背後から蟻の足音が追ってくる。
通路を駆け上がる。分岐点を曲がり、最初の部屋を通過し、入口の横穴に飛び込む。縦穴のロープを掴んで一気に登る。
地上に出た。
穴の縁でしばらく息を整え、四人は互いの顔を見た。
「……全員、無事か」
「ああ」「なんとか」「生きてる」
「追ってきてないな」
穴の中を覗き込む。暗闇の奥に蟻の姿はない。
田村が地面に座り込んだ。
「やべぇ……マジで死ぬかと思った」
「火炎瓶が効いたのは良かった。二本使ったけど」
「バットは全然ダメだ。外骨格が硬すぎる」
「……なぁ」
小林が自分の手を見つめた。握って、開いて、また握る。
「身体が、軽くないか?」
全員が同じことを感じていた。
走った直後だというのに、疲労がない。むしろ、身体の奥から力が湧いてくる感覚がある。呼吸は整い、筋肉は軽く、視界は妙にクリアだ。
「蟻を倒した時……体液が飛び散っただろ。あの甘い匂い」
「吸ったよな、思いっきり」
「ニュースで言ってた、宝箱の中の液体で隊員の身体能力が上がったって話……あれと同じ物質が、蟻の体液にも含まれてるんじゃないか?」
小林が拳を握った。確かに、今の自分の握力は、さっきまでとは違う。
「蟻を倒すと……強くなる?」
「マジでRPGじゃん。経験値みたいなもんか」
鈴木が笑った。緊張の反動で、妙にハイになっている。
「宝箱からはアイテムが出る。蟻を倒せば身体が強くなる。深い層ほど強い蟻がいて、きっといい宝箱もある。ニュースの液体だって、深い層に行けば見つかるかもしれない」
小林がバッグの中身を確認した。ペン2本。絆創膏。包丁。お香。すべて無事だ。
「帰ろう。今日のところは十分だ」
ロープを残したままフェンスに戻り、ワイヤーカッターで開けた穴から敷地外に出る。誰にも見つかっていない。
コインパーキングまで戻ると、四人はしばらく無言で立ち尽くした。
生き延びた。そして——戦利品がある。
午後9時。シェアハウス。
六畳一間のボロ部屋に、缶ビールの空き缶が転がっている。四人はテーブル代わりの段ボール箱の上に戦利品を並べ、スマホで情報を集めていた。
「問題は、これをどう売るかだ」
小林が言った。
「見た目は普通のペンと包丁と絆創膏とお香だ。フリマに出しても、普通の値段にしかならない」
「じゃあ、これが『ダンジョンで見つけた特別なアイテム』だって証明しないと」
佐藤が言った。
田村がスマホを取り出した。
「先に実況する。ツニッターに、ダンジョンに潜って宝箱を見つけたって投稿する。写真も動画もある。アイテムの性能を実演してみせれば、バズる。それから売れば値段が跳ね上がる」
「天才か、お前」
小林が笑った。
田村がツニッターを開き、投稿を作成し始めた。写真を選び、文章を推敲する。佐藤が横からアドバイスし、鈴木がハッシュタグを提案する。
動画も撮った。包丁でペットボトルを切断する動画(水が入ったペットボトルが、力を入れずにスパッと切れる)。絆創膏で擦り傷が5秒で治る動画。ペンで文字を書く動画(同じ人間が書いたとは思えない美しさ)。
そして——投稿された。
@tamura_kenta_23
【拡散希望】
東京ダンジョンに潜ってきた。マジで宝箱あった。
中身は謎の液体じゃなかった。ペン、包丁、絆創膏、お香。
見た目は普通だけど性能がヤバい。
包丁→ペットボトルが紙みたいに切れる(動画)
絆創膏→傷が5秒で治る(動画)
ペン→誰が書いても達筆になる(動画)
あと蟻倒したら体が軽くなった。マジで。
#東京ダンジョン #ダンジョン攻略 #宝箱
投稿から10分で1,000いいね。
30分で1万いいね。
1時間で10万いいねを超えた。
動画の再生回数は一晩で500万回に達した。特に絆創膏の治癒動画は衝撃的で、医療関係者を中心に議論が爆発的に広がった。
リプライが殺到する。
@gamer_taro
マジ? 嘘くさいけど動画見たらガチっぽい
@nurse_miki
絆創膏の治癒効果、医療従事者として信じがたい。検証させてもらえませんか?
@military_nerd_99
浅い層なら民間人でも生存可能ということか。自衛隊は深層で被害を出している
@freelancer_yuki
いくらで売るの?
@news_watcher
これ立入禁止区域への不法侵入では……
@adventure_seeker
俺も行きたい! 装備は何持ってった?
@economist_tanaka
傷を瞬時に治す絆創膏の経済的価値は計り知れない。医療費削減の観点から言えば…
テレビ局からのDMが3件。週刊誌の記者からの取材依頼が2件。NewTuberからのコラボ依頼が7件。
そしてフリマアプリに出品したアイテムが、瞬時に売れていった。
ペン:10万円。出品から30秒で売れた。
ペン(2本目):15万円。1分で売れた。
包丁:80万円。3分で売れた。
お香(数本セット):30万円。5分で売れた。
絆創膏は佐藤の提案で出品を見送った。「医療系の買い手に直接交渉した方が高い」という判断だ。
総売上、135万円。絆創膏を除いてこの金額だ。絆創膏を適正な相手に売れば、さらに跳ね上がる。
「うそ……マジかよ」
小林がスマホの売上画面を見つめた。
「135万……一晩で135万……」
「一人あたり33万以上だ」
「バイト4ヶ月分じゃん……」
田村が呆然と呟く。
「明日も行くぞ」
小林が立ち上がった。
「装備を買い足そう。防刃ベストのまともなやつ。火炎瓶ももっと作る。それから——深い層を目指す。浅い層でこれなら、深い層にはもっといいアイテムがあるはずだ。ニュースの液体だって、深層にあるかもしれない」
「行くなら人数増やした方がいい」
佐藤が言った。
「情報も足りない。巣の地図がないと、毎回手探りだ」
「攻略情報を共有するコミュニティが必要ってことか」
鈴木がスマホを叩いた。
「もうある。掲示板に攻略スレが立ってる」
その夜のうちに、匿名掲示板に新しいスレッドが立っていた。
東京ダンジョン攻略スレ Part 1
1:名無しの冒険者
東京・江東区の廃工場跡地にできたダンジョンについて語るスレ。
情報交換よろしく。
23:名無しの冒険者
さっきツニッターで見た大学生グループ、マジですごいな。
一日で135万稼いだらしい。
45:名無しの冒険者
>>23
夢ありすぎ。俺も行きたい。
でも自衛隊が負けたんだよな?
67:名無しの冒険者
大学生は浅い層(地下15mくらい)で引き返してる。
自衛隊が損害出したのは地下20m以深。
浅い層は働き蟻しかいないから、素人でもワンチャンある。
89:名無しの冒険者
火炎瓶が効くってマジ?
112:名無しの冒険者
マジ。自衛隊の報告でも火炎は有効って書いてある。
問題は兵隊蟻だけど、浅い層にはほぼいない。
大学生は帰りに4匹遭遇したらしいが、火炎瓶2本で逃げ切ったとのこと。
134:名無しの冒険者
蟻倒したら体が軽くなったって証言があったな。
蟻の体液に何か入ってるんじゃね?
156:名無しの冒険者
>>134
自衛隊の報告にもあった。ニュースで言ってた「謎の液体」と同じ物質が蟻の体液にも含まれてるんだと思う。
宝箱の中身は高濃度、蟻の体液は低濃度、みたいな。
178:名無しの冒険者
低濃度でも身体能力上がるってことは、蟻倒せば倒すほど強くなれるんじゃね?
201:名無しの冒険者
自衛隊の報告では「不可逆的な変化」って表現されてた。
一回上がったら下がらない。恒久的な強化。
223:名無しの冒険者
つまり蟻を倒せば倒すほど強くなって、元には戻らない。
マジでレベルアップシステムじゃん。
245:名無しの冒険者
ところで宝箱から出るアイテム、何て呼ぶ?
ニュースじゃ「謎の液体」としか言ってないけど、液体以外にもペンとか包丁とか出るんだろ?
267:名無しの冒険者
魔法のアイテム?
289:名無しの冒険者
「アーティファクト」はどう?
遺物って意味だし、ゲームっぽくてそれっぽい。
312:名無しの冒険者
いいな。じゃあ今後はアーティファクトで統一な。
334:名無しの冒険者
攻略情報まとめ(暫定版)
【階層】
・地下0-10m:入口付近。働き蟻少数。比較的安全
・地下10-15m:宝箱出現。働き蟻増加。まだ対処可能
・地下15-20m:兵隊蟻遭遇の可能性あり。要注意
・地下20m以深:自衛隊が壊滅した領域。絶対に行くな
【有効な装備】
・火炎瓶、ライター(蟻の外骨格は燃える。最重要)
・金属バット、鉄パイプ(働き蟻には有効。兵隊蟻には力不足)
・防刃ベスト(気休め程度。兵隊蟻の顎は防げない)
・マスク(蟻の体液の吸引量を抑えたい場合。ただし吸った方が強くなれる)
【宝箱の中身(確認済み)】
・ペン(異常な書き心地。文字が美しくなる)
・包丁(異常な切れ味。ペットボトルが紙のように切れる)
・絆創膏(傷を瞬時に治癒。医療革命レベル)
・お香(極度のリラックス効果)
※ ニュースで報じられた「謎の液体」は深層の宝箱にあったもの。浅い層では未確認
※ 宝箱から出るアイテムを総称して「アーティファクト」と呼ぶ
【レベルアップ】
・蟻を倒すと体液が飛散。吸引すると身体能力が恒久的に向上
・倒すほど強くなる。不可逆的な変化
・注意:高濃度の液体を直接飲むと錯乱する(自衛隊の事例)
356:名無しの冒険者
>>334
テンプレ乙。保存した。
378:名無しの冒険者
明日、俺も行くわ。
一人だと怖いから、誰か一緒に行かね?
401:名無しの冒険者
>>378
行く。時間合わせよう。
423:名無しの冒険者
俺も。三人なら心強い。
445:名無しの冒険者
お前ら命知らずだな。
でも正直、俺もちょっと行きたい。
467:名無しの冒険者
深い層に行けばニュースの液体もあるのか?
あれ飲んだら壁に穴開けるほどの力が出るんだろ?
489:名無しの冒険者
>>467
飲んだら錯乱して射殺されたらしいって話あっただろ。
ヤバイから吸うだけにしとけ。
512:名無しの冒険者
てか深い層って、アーティファクトの性能も上がるんじゃね?
浅い層のペンと包丁でこれなら、深い層のアーティファクトはもっとヤバいのでは。
534:名無しの冒険者
>>512
それな。
深い層に行くほどレアなアイテムが出るって、まんまRPGの法則じゃん。
スレッドは、一晩で1,000レスを超えた。Part 2が立ち、Part 3が立ち、翌朝にはPart 5に達していた。
情報が情報を呼び、興味が興味を加速させていく。
命の危険がある。だが、その先には——金があり、力がある。
就職氷河期の再来と言われる経済状況。失血死事件と徘徊者による社会不安。「普通に生きていても未来がない」と感じている若者たち。
彼らにとって、ダンジョンは絶望の象徴ではなく、希望の入口だった。
翌日——廃工場跡地の周辺に、十数名の若者が集まっていた。
その翌日には、30人を超えた。
さらにその翌日には——100人を超えた。
警察が排除しようとしたが、追いつかなかった。フェンスは次々と切断され、夜になれば無数の懐中電灯の光が地下へと消えていく。
死者も出た。浅い層で油断した者が、不意に現れた兵隊蟻に殺された。深層に踏み込んで罠にかかった者もいた。
だが、それでも人は来た。
死の恐怖よりも、貧困の恐怖の方が大きかったから。
遠い未来の死よりも、今月の家賃の方が切実だったから。
ダンジョンは、冒険者たちを飲み込み始めた。
そのニュースを、真央はベッドの上で眺めていた。
「へぇ……もう人が入ってるのか」
スマホの画面には、ダンジョンに潜入した民間人の実況ツイートが流れている。宝箱の写真。アーティファクトの性能検証動画。攻略情報のまとめサイト。
真央は笑った。
「アーティファクト、ね。いい名前じゃん」
自分が宝箱に入れた魔道具が、見知らぬ人間たちの手に渡り、名前をつけられ、売買されている。ダンジョンに潜る人間が蟻を倒し、身体が強くなり、もっと深く潜ろうとしている。
ゲームみたいだ。
もちろん、真央はそれ以上のことは知らない。自分が置いた魔道具が女王蟻に摂食されたことも、スミス・アントという新種が生まれたことも、劣化版の魔道具が量産されて宝箱に配置されていることも。
真央はただ、自分が置いた魔道具がそのまま見つかったと思っている。
だが——ダンジョンの地下深くで、女王蟻は新たな来訪者たちを歓迎していた。
浅い層の弱い蟻を犠牲にし、体液のフェロモンで人間を強化し、アーティファクトで報酬を与え、より深い層へと導いていく。成長の快感で中毒にし、やがて——最深部のエリート兵隊蟻の餌にする。
飼育。強化。収穫。
人間の側はそれを「冒険」と呼び、蟻の側はそれを「牧畜」と呼ぶ。
どちらが正しいのか、答えが出るのはまだ先の話だった。




