2-9 第五十二話 面白き女
天文十九年四月上旬某日 正午 場所:甲斐国 甲府 富士屋店内
視点:律Position
内藤「どうだ?米は集められそうか?」
卯月の晴れたある日、店先にぶらりと現れたのは内藤昌豊である。
律「急に仕事を依頼しておいて、その言い草ですか!?もう少し感謝してくださいよ。アタシだって、やりたいことを諦めて最優先でやっているんですから」
皮肉を込めて内藤様に返す。
内藤「いや、すまんすまん。だが富士屋ならば、急な頼み事でも引き受けてくれると思ったから来たんだよ」
普通ならば素直に誉め言葉として受け止めたいところだが……、
律「他の店に頼みに行くのが面倒くさかったんですね?」
内藤「フフッ、律殿は鋭いな」
内藤様は苦笑いをする。
そもそも御用商人であれば、急な用立てがあると坂田屋さんから聞いていた。
今回のケースも、前もって決めてあった緊急の収集ルートを使っただけのことである。
今川家が大規模な軍事行動を取っていなかったこともあって、駿河の米を甲斐へと馬借衆を使って運び込めたのも幸いだった。
京四郎「今、戻ったぞ」
智様の偵察指令から約一週間、アイツが無事に戻ってきた。
律「あら、おかえり」
反射的にさらっと返す。
内藤「いいね、なんだか。お互いを信頼しているってのが伝わってくるよ。まるで夫婦みたいだ」
京四郎・律「「夫婦じゃありません!!」
内藤「ほら~、言葉が被る!」
さっきの意趣返しとばかりに、内藤様がやり返してくる。
律「内藤様なんか、嫌いです!」
照れ隠しとばかりに、お茶をグイっと飲み干す。
内藤「おやおや、嫌われてしまったな。」
内藤様は明らかに、アタシのリアクションを見て楽しんでいる。
京四郎「そういえば、ここに戻る途中に武田の軍勢とすれ違いました。虎……高坂様が言うには花菱の家紋、馬場様の軍勢だと」
内藤「お主も見たか」
内藤様の顔が真面目な顔に戻る。
内藤「馬場様を筆頭に、穴山様・板垣様・秋山殿・原虎胤殿・諸角[1]様の軍勢がご出立された」
京四郎「やはり小笠原攻めですか?」
内藤「村上が攻めて来ない限りだな」
内藤様は、寝っ転がりながら返事をする。
律「内藤様の家じゃないんですから、くつろがないでくださいよ」
現代で言えば、他人の家のソファで横になる感覚だ。
内藤「だって富士屋の店先には畳があるからな。畳の上で寝るの気持ちいいだろ?」
それは否定できない……。
そもそもウチの店に畳を敷いたのも、床板の冷えを伝わりにくくするためだ。
これが、意外とお金がかかった。
諦めても良かったのだが、京四郎が「時代劇では町民も敷いているから大丈夫!」と押し切ってしまったのである。
京四郎「智様直々に、ご出陣はあるのですか?」
律「あ、それはアタシも気になります」
すかさず、アタシも相槌を打つ。
内藤「どうだろうな……様子見しながらだと思うが……」
どうやら智様は、あまり乗り気ではない口ぶりだ。
内藤「ここだけの話だぞ」
律「まささん、ちょっと外してもらえる?」
まさ「はい」
後ろで控えていた、まささんを人払いする。
内藤様が、わざわざ前置きをして話す。重要な案件なのだろう。
内藤「実は……、駿河の義元様に嫁いでおられる恵[2]様のご容態が思わしくないのだ。智様も姉上様のことが気がかりなのであろう」
義元の奥さん……ってことは氏真さんの母親ってことか。
内藤「智様は、諏訪に嫁がれた禰々《ねね》[3]姉様も亡くされている。お辛いことだろう」
普段、気丈に振舞っている智様も中々に重い家庭環境の持ち主だ。
内藤「どうだ、京四郎。小笠原の反攻はありそうか?」
京四郎「断言はできませんが、可能性は低いと思います。諏訪の御寮人様も同じ意見でした」
諏訪の御寮人?ああ、勝頼のお母さんのことね。
内藤「おお、諏訪の御寮人様にも会ったのか。面白い方であっただろう?」
京四郎「ええ。いと面白きギャルでした」
内藤様にギャルは通じる訳ないでしょ。
内藤「お方様(三条夫人)と、また違った気質の方で面白き方だろう」
京四郎「はい。まさに『おもしれー女』って感じでした」
内藤「ふはははっはは!『おもしれー女』!いい表現だね!今度から使おう」
どうやら、戦国時代にも『おもしれー女』概念は伝わるらしい。
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[1]諸角:諸角虎定のこと。史料により名前の表記にブレがあるが、本作では前述の名前とさせていただきます。生年不明。
[2]恵:今川義元の正室にして武田晴信の姉。定恵院のこと。名前を恵としているのは、法名からそのまま取っています。1519年生まれ。
[3]禰々:諏訪頼重の正室。故人。【閑話 逃げられない諏訪家解説】で説明した信虎の娘はこの人。1528年生まれ、1543年没。
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