1-3-1 第二十一話 富士屋強襲
視点:律 Position
天文十八年七月上旬 正午 場所:甲斐国 甲府 富士屋横の自宅
甲府の町は、武田家家臣団の屋敷がまず館付近の北側にあり、その南に下級の武士や農民町民などの混在する地域があった。
さらにその南に寺と職人・商人の町が形成されて、
城下のはずれに街道と結ばれた市場があり、商業地となっていた。
あれから約二ヵ月、韮崎馬場での競馬以来、富士屋の評判は上々だ。馬借の評判のみならず、味噌や油の評判が高まっているのも良い兆しと言えるだろう。
競馬にかかった費用も少なくは無いが、宣伝効果と思えば結果オーライ。問題ない。
その日は良く晴れた日だった。
?「茶を所望!」
突然家に入ってきたのは、謎の姫武者である。
京四郎「いや、ウチは茶店じゃないんですが……」
店じゃなくて、わざわざこっちの家に来たのだ。確信犯じゃない?
?「いや、失礼!京四郎殿と律殿がこちらにおられると聞いたのでな。あの大勝負の勝ち方は見事でござった」
律「いや~、なんだか照れますねェ~。上手だったでしょう?あの見事な馬さばき!」
急な誉め言葉に思わず、恥ずかしくて照れる。
?「あの作戦!田忌の競馬のものであろう。いやぁ……書籍に学ぶと言っても、それをいざ実践するとなると簡単には、いかん物だ。見事!見事っ!」
あっ、そっち?そっちですか……
京四郎「実は昔から『史記』[1]とか『三国志』とか好きで色々と読み漁ってたんですよ!」
?「そうか!お主はどの武将が好きか?」
京四郎「そうですね……、ワタシとしては……(以下略)」
こうなると、京四郎はオタクトーク全開である。
学校の図書室で全六十巻の漫画三国志を何周もしているだけあって語ることは長い。
勘違いしていたアタシは、すっかり置いてけぼりである。
ドタドタと足音がしたかと思うと、もう一人家を訪ねてきた。
??「ごめんください。こちらに来ていないかと思いまして……。」
遅れて入って来たのは護衛の人だろうか。
顔が整っていて化粧はほぼ無く、凛としている。
瞳は黒と紫が混じり合って整っている。
一言で言えば美人である。
??「あ、申し遅れました。わたくしは、高坂昌信。武田家に仕えております。」
律「えっ!?こ、高坂昌信!?ほ、本当に本人ですか?偽者とかではなく?」
高坂「失敬な……。わたくしは正真正銘の高坂昌信です!」
高坂さんは刀の柄に手をかける。
律「ご、ゴメンナサイ。人違いです!」
だ、だって……。高坂昌信と言えば、武田信玄とのアッー‼(自粛)な関係で知られている武将なのだ。高×信は歴オタ界隈では鉄板の組み合わせなのだ。
「他の近習に夢中になっていないよ!本命は君なんだよ!」と信玄の弁明が残っているレベルなのだ[2]。
それが……、それが……。女!?
あー、でも某女性だけの歌劇集団で、男役をやっていそうなビジュアルだもんなぁ。
高坂「あっ、ちょっと、貴方!智様に近づきすぎです!もっと離れてください!」
そう言って、ずかずかと家に上がると京四郎を引っぺがして家の外へと放り出した。
「やりすぎじゃない?」と思ったものの、たまには良い薬と思い直して放置していた。
ところが、さすがに足蹴にし始めたので慌てて止めに入った。
ヒートアップしていた高坂さんもようやく落ち着いたようだ。
高坂「こんな有様では、晴信様に申し訳が立ちませぬ!もう!」
智と呼ばれた女性「待て待て、虎。今日は、こちらの方から店に寄ったのだ。責めるでない」
高坂「まぁ、智様がそう申されるなら……」
高坂さんにもお茶を出して、冷静さを取り戻したところで、
智「そう言えば、名乗っていなかったな。叡智の智の字で《《とも》》と呼んでくれ」
律「ご、ご丁寧にどうも……。ところで《《えいち》》って叡智?英知?」
智「あっ、書かないとわかりづらいな。下に日の字がある方だ。」
律「あ~、仁義礼智の方ですね。」
智「そうそれだ。実は今日富士屋に来たのは歴史談義したかったからではない」
京四郎「えっ!違うんですか!」
京四郎が露骨にショックを受けて肩を落としている。
智「いや、話したかったのは事実だ。それは認める」
今度は高坂さんが呆れ顔である。
智「おぬし等に尋ねたい。今の武田家の強化に何が必要だと思うか?」
智さんは真剣な表情で、問いかける。
ついさっきまで、自分の推し武将を語るオタクと化していたその人は、一瞬で取調室の刑事の顔つきになっていた。
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[1]史記:古代中国の歴史書。前漢の学者、司馬遷によって記された。作家司馬遼太郎はこの司馬遷に由来する。
[2]1546年に高坂昌信送られた書状で、現物が東京大学史料編纂所に所蔵されている。
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