魔人になってよ
サボりは許さない。魔人の子息を受け入れるに相応しい保健室にはめったに傷病人はいない。最近の来訪者は主に恋に悩める青少年。保健医は兼業であるカウンセラーとして彼の弱音を受け止めている。
「カナが、カナが、おっけーしてくれないじゃんかよー!」
「人間式でだめなら諦めなって言ったじゃない」
「やだ!諦めない!魔人はしつこいの!一途なの!カナぁー!うっうっうっ…」
しつこいと自認したうえで迫るのは潔いのか厄介なのか。呆れるミヨコに魔人の少年はぐじぐじと恋慕を吐き出す。絶対支配者階級の完璧超人である魔人の一方的恋愛アタックチャンスの開催や玉砕してしょぼくれた姿など見せられている周囲は大層動揺しているに違いない。ミヨコも学生時代に魔人ばかりの生徒会で彼らの雑用と世話に奔走しなければ、この少年のぐだぐだ具合は演技か冗談か夢幻か錯覚だと思っていただろう。
魔人が入学するのは数年ごとに幾人か、という程度で極レアなのだ。受け入れ校は先進国に一校あるかないか。魔人が興味のある国の学校を選ぶので、まだ受け入れたことのない受け入れ校もあるほど。日本はアニメ文化の所為か、宗教的寛容さの所為か、稀物好きの性か魔人への忌避感がとくに薄く選択されることが多い。
「ミヨコ先生はどうなの!?来たんでしょ!?」
なんで知っているのか。あの声量の所為か。顰めて腕を組んだミヨコ先生に少年は胸を張った。曰く、調べて俺がミヨコ先生の本意を伝えてあげましたよ、と。余計なことを、とますますミヨコの眉間は深く筋を刻む。
「あのね、六年も前なの。六年会ってない人は別人と一緒よ」
「は!?六年で別人になるわけないじゃん!人間の生態的にもそんな話は聞いたことないね!精々器の細胞が更新されてるくらいだわ!」
「あのね、空白の時間は虚無じゃない。日々出来事があって心も変わっていくの。先生はもう六年前の先生じゃないし、六年前の私が焦がれた人は六年前のあの人でしかないの」
「納得できませーん!ヴィーダはめっちゃミヨコ先生らぶみたいだし?諦めきれずに独身だし?俺めっちゃ感謝されたし!何?もうヴィーダのこと好きじゃないの!?ヴィーダそんな老けた!?もうまじ何も感じないの!?」
「な、何も感じないわけないじゃない!」
先日保健室に駆け込んできた闖入者は六年前の面影はもちろんあった。より精悍に逞しく大人の男に成長したヴィーダは未だに、そして新たにミヨコの心を捉えて離さない。
ミヨコは再会したヴィーダに再び恋をしたのだ。
「あんな益々カッコよくなっちゃって、色気ムンムンで、どう接したらいいのかわからないのよ…あんな色男、私の知ってるビーじゃないもの」
「もう魔人になっちゃえよ…ガチ恋じゃん…」
うだうだしはじめた保健医に少年は眉尻を下げながらその頭に手を伸ばす。頭をぽんぽんするも、ぐるぐる悩むミヨコはされるがまま。
「もう学生じゃないから何話していいかもわからないし、住む世界が違いすぎるし」
「そんなんお互いを知るのも恋愛のうちじゃん。住む世界違うから魔界に来いって誘うわけじゃん」
「誘いに乗ったら後戻りできない気がして…」
「後戻りしたいの?」
「交際と結婚は違うのよ。結婚は相手との擦り合わせでしょう。先生はビーとはなから釣り合ってないし、ビーに我慢させながら先生が無理して潰れる未来しか見えない」
「魔人の生活ってそんなハードじゃないけどなぁ」
自分たちが異界から来たものだから次の来訪者に対する警戒と鍛練、居着いた居場所を守る決意は標準装備。労働はしたいやつがすればいいし、金銭は魔人族は皆予備兵士扱いでベーシックインカムに等しい。少年が頭を捻っているとミヨコが復活した。
「そうよ、お付き合いだわ。結婚を迫るから重すぎて逃げるのよ!まずはお付き合いからはじめたらいいじゃないの!」
「校外での交流ならやってるよ?」
「なん、ですって…」
「逆に先生してなかったの!?」
「君はカナちゃんとすでに恋人同士なの?」
「…恋人って何?まだ番じゃないから求婚してるんだけど…?」
魔人族には友人と伴侶の境目がないらしい。恋人として付き合うなかで相性を確認し、手を繋いだりキスをしたり身体を重ねたりするのだと説明していると少年が悲鳴をあげる。真っ赤になって破廉恥だと叫ぶ少年に可愛いなとミヨコは笑った。
恋人と番の違いを問われ、浮気の違法性の有無や別れの容易さだとミヨコが解説すると少年は今度は青くなる。
「恋人じゃ強い個体にいつ掻っ攫われるかわかったもんじゃないじゃん!」
曰く、魔人は同時に懸想した場合強い方が先に求婚する権利があり、一度番うと立場も強さも関係なく横恋慕はご法度なのだとか。基本的に魂や本質に惹かれる魔人はよっぽどのことがない限り心変わりはしない。ならば好いたが吉日番ってしまえ、となるらしい。
「人間はたとえ結婚していても略奪したりされたりするわよ?」
「やっぱり魔界で番わないとだめじゃん!」
目移りを許容する人間と、許さない魔人の考え方の違い。もっといい人がいるかもしれないという人間と、心に決めた一人を囲い込みたい魔人。
「魔人ってロマンチックね」
「魔人は心変わりしないもん!だからミヨコ先生も観念しちゃいなよ…」
「でも先生、私が恋焦がれたビーは六年前のビーであって貴方じゃないって言っちゃった」
「ミヨコ先生ひっどい!!」
「ビーは頽れて打ち拉がれてたしもう来ないわ」
「ミヨコ先生の鬼畜!」
「だから君はまずカナちゃんと恋人やんなさい」
「ううう!覚えてろよ先生!!うわーん!」
後日、少年は嬉しさ半分悔しさ半分不安マックスな心境を吐露すべく保健室に向かっていた。わやくちゃな心は次第に好奇心に取って代わり、逸る足が段々と早く忍び足になるのは、この学校に現在自分一人しかいないはずの魔人の気配が目的地より発せられているから。普段自粛している気配遮断と浮遊行動の特殊能力を発動して保健室の引き戸脇に佇んだ。聴力強化をかけずとも声は拾える。
「__だからごめんって。本音がよくわからないのはお互い様じゃないの。種族が違うんだから仕方ないでしょう」
「やはり俺が魔人だから駄目だっていうのか」
「ダメだって言ってるんじゃないの。考え方が違うんだから捉え方も違うし、愛し方も違うって言ってるの」
そーっと扉の隙間から視覚粒子を保健室に入れて少年は不完全ではあるが視界を確保する。おそらく魔人は気付いているだろうが恩があるので見逃してくれるだろう。
「俺は他の誰よりミヨコを大事にするし空白の変化も絶対受け入れる。番ってくれよ。俺が惚れたんだぞ俺の他にも惚れる奴が出てくるに決まってる。俺より強い魔人が見初めたら俺には成す術がないんだぞ。なぁミヨコ…」
「本当に、本当にまだ私のことが好きなの?」
「…好きだよ。魔人の心変わりはそうそうないし、番ったら相手をひたすら愛して受け入れるだけだ。なぁ、六年前の俺のこと好いてくれてたんなら今の俺にもチャ___」
言い募るヴィーダに近づくミヨコ。少年は第二の視界で目撃した『ほっぺにチュー』なる男女がやるには刺激的すぎる光景に血が沸騰しているのではないかというほど全身を真っ赤に染めてドタバタと空中で暴れて羞恥に悶えた。両手で顔を覆い目も閉じて転げまわってはいるが、第二の視界にがっつりと意識を向けている。
ミヨコ先生に頬チューされたヴィーダは真っ赤になって全身をカチンコチンに硬直させていた。
「恋人に操たてないような女に惚れたつもりないんでしょ。なら付き合ってよ、恋人から始めさせて。私の知らないビーを教えて。ビーの知らない私を知って…それからにしよ?」
保健室の外では声なき声を上げ物音一つ立てずにぐるんぐるん悶えまわる少年が見守っている。もうヤっちまえ、番ってしまえ、そう思っているのは少年だけではないはずだ。
「人間のいう恋人という関係はどこまで、その、できるんだ?」
はい、きたよ。これきたよ!と、顔を覆った指の隙間から少年は刮目する。俺知ってるよ!全部だよ全部!だからもう番っちまえ!ミヨコ先生は気付かないよ絶対!と少年は心中で同胞に声援を送った。
「__はぁ!?そんなことまで!?いいいいいいいいのか!?」
「まぁ、人間の夫婦と恋人の違いは契約書類を役所に届けているか否か、みたいなものだから」
少年は集中治療室前の身内のように落ち着きなく歩き回る。浮遊しているので音は出ないしついでに野暮が入らないよう不可侵の結界まで張ってしまっていた。そしてついに、お付き合いを了承した二人の姿が重なる。少年は覗き見ながらいっけぇー!と心中絶叫する。
「いいんだな?俺たちは今から恋人で、恋愛関係にあって、ミヨコを好きにできる権利が俺にあるんだな。いいんだな!?ほんとにキスするぞ!?逃げるなよ!?」
「逃げないよ。ここ職場だからそれ以上はさすがにできないからね。それだけわかってくれてれば」
言い終わるや否やヴィーダがミヨコと唇を重ねる。それが深いものに変わる前に少年が侵入させた視覚粒子は干渉され散らされた。少年はアダルティな雰囲気に耐えられずきゃあきゃあと顔を押さえながら保健室から遠ざかるが、自分が張った結界にぶつかって正気に返り、さらに我を失って保健室の方へ走り出す。
同胞の魔力が別の器に注がれている。その気配を感知して少年は歓喜したのだ。少年が保健室前に着いた瞬間、眷属化が終わった。
ヴィーダが番った!それが人間にとってただの大人な深いだけの口づけだとしても!ミヨコ先生は求婚者の魔力を好意的に受け入れた!番った!ヤりやがった!おめでとう!
少年はかけた勢いのまま膝でスライディングし両手を天に掲げ力強く握った。それは渾身のゴールを決めたサッカー選手のように。
「俺を受け入れてくれてありがとうミヨコ。また来る」
「連絡先とか交換できない?特権階級の魔人様とはいえ私は人間だから頻繁に職場に来られるとちょっと…」
「じゃあミヨコが校外にいるときに会いに行く」
「わかるの!?」
「…わかる」
「魔人てほんとになんでもできるのね」
先生!番ったからですよ!と心中で突っ込みつつ、少年は今日の相談を諦め部活動に精を出すカナを眺めながら待って家まで送ろうと屋上へ向かう。次は俺が遂げるぜ!と心意気新たに揚々と結界を散らし去っていった。
「このさき仮に結婚を決めたとして、魔人になるとどうなるの?私、魔人化したりするの?」
「いや、見た目は変わらない。人間と番うときは魔人が人間を眷属化するから寿命が求婚者と揃う。俺が死ぬまでミヨコも生き続けるし、老化も俺に準じる」
「なにそれめっちゃいいじゃん!」
「ふふん。だろう?他の魔人がミヨコに手を出すこともない。しかし、人間は関係ないだろうな」
「魔人と番ったら長寿になって人間と浮気もできちゃうのか。魔人に寄って来る女の人が多いわけだわ」
「殺すからな」
「ん?」
「ミヨコが他の人間と浮気したら、その浮気相手は殺す」
「しないけど。私はどうするの?」
「魔人は番を離さないし殺さない」
「ひぇ」
魔人の愛の重さに戦慄するミヨコに対し、ヴィーダは覗き見ていた同胞に感謝しながらほくそ笑んでいた。眷属化による番は魔人の一方的な所有に等しい。ミヨコが番われたと気付くきっかけは進まぬ老化に違和感を感じるときくらいのものだ。その前に仲を深めて魔界に連れていく。
「ミヨコ、また」
「うん。待ってる」
ミヨコに軽く口付けたヴィーダは今度こそ退散するらしく保健室の引き戸を開けた。見送るミヨコに振り返り、ミヨコが受け止めるには甘すぎる視線に言葉を乗せる。
「ミヨコ、俺と一緒に魔界へ上がろう。俺の世話をずっと焼いてくれ。魔人になってくれ」
「…そのうちね」
卒業時の言葉の意味を知っているミヨコは恥ずかしそうに視線を外してはぐらかすが、ヴィーダにはそれで十分だった。くしゃりと笑ったヴィーダは六年前と何も変わらなくて、ミヨコもふにゃりと笑った。
ヴィーと発音できないミヨコ先生と、発音できないミヨコも可愛くて仕方ないヴィーダ。
そして少年は少年のまま。