第三章 高校生時代 続き
この頃の私の専らの趣味と言えば、AIが製作した絵画を漁ることだった。
大抵のAI作品には、親と呼んで悪いなら、原作と呼ぶべきものがある。
その人の、その作品の画風をAIがディープラーニングによって獲得し模倣するというものだ。
ディープラーニングとは、例えば猫の絵を認識させるとき、単にプログラムするだけでは膨大な時間がかかる。
しかし沢山の猫の絵を見せ、猫の特徴を獲得させることにより、そのAIは猫を識別することができるようになるという技術のことだ。
つまり、厳密には違うが、ほとんど人間と同じように認知することができる。
これを絵にアウトプットするのがAI絵画だ。
例えば元の作品がモネの睡蓮ならば、時間によって変化していく光を印象派独特の筆さばきで描いてくれる、といった具合に。
たしか私が見た中では、都会の摩天楼で経時的変化を再現している作品があった。
それを実際にやろうとするには、時間も場所もないだろう。
都会の喧騒の中では落ち着いて芸術に励むこともできない。
私は絵画を、AI作品なのか原作なのかを見分けることができ、その頃のちょっとした自慢だった。
しかしこれは私の虚栄心を満たすための特技だった。
つまり、ただ自慢するための特技だったということだ。
私が真に価値があると思っていたのは、原作を持たないAI絵画だ。
AIがその内部にため込んだ莫大な情報量(例えば映像、写真、絵画の情報)から絞り出された絵画は、人間では到底たどり着けない神秘の領域を私達に示してくれる。
私には理解できぬことばかりであったが、理解できぬからこそ、そこに人生において最も重要な命題が隠されているのだと思っていた。
この世の神秘的な美しさ、人間がこぞって求める憧憬。
人間の素晴らしさや愚かさ、惨めさ。
人生に付随する苦悩や喜び。
そういったものが、そこには含まれているのだと思っていた。
現在その技術がどうなったかは、私は詳しく知らない。
ここで少し本筋から逸れた与太話をしよう。
AI芸術の分野は音楽の模倣から始まった。
AIに譜面を学習させることによって、ベートーベンらしさやショパンらしさを再現させたのだ。
これを民衆に聞かせたところ、彼等は本物とAI作品を区別することができなかった。
このときからすでに、AIは芸術において人間を凌駕し始めていたが、とうとう絵画の分野に波及してくるに至った。
始めはよくわからない絵が多かったが、発展していくにつれ人間の感性を学習したのか、高い評価を受ける作品が増えていった。
今では人間と同じくらいとまではいかないが、かなり作品が増えている。
これは多くの人間に画家の道を諦めさせることとなった。
それでも一部の天才たちは評価され続けたが、芸術界での棄却域が増えたとでもいうべきだろうか、多くの芸術作品は評価に値しなくなった。
そんなAI芸術を批判するものも少なからずいた。
その絵には生命が感じられない、こんなものは芸術ではない、と。
しかし私は、それは彼らの作品が評価されなくなったことに対する僻みだと思っている。
人間にせよAIにせよ、人を感動させることができる。それは疑いようもない。彼らは両者とも、人の感情を知っているから。
本題に戻るとしよう。
部活は、県大会ベスト八、といえば聞こえはいいが、部活としてはもっと上を目指していたから、肩透かしを食らったようなものだった。
それでも人並みには悔しかったし、月並みの涙は流して見せた。
ここでもまた、私の努力が否定されたような気がして悔しかったが、私より努力していた人が泣いていなかったので私は涙を抑えようとした。
私の勉学の具合はというと、社会系の科目を除けばまずまずの出来であった。
社会系だけはどうにもうまくゆかず、いつしか半ば諦めるようになっていた。
受験もこれではうまく捌くことはできないだろう、と漫然とした妥協の心を抱えていた。
いつしか他人の頑張っている姿を見ているのがつらくなっていた。
私は努力していい大学へ進学するんですよ、あなたはどうですか、頑張っていますか、と問いかけられているような気がしたから。
そして、努力はしなくてはなりませんよ、努力こそが自分の道を切り開くのですから、と語りかけられている気がしたから。
受験勉強は人並みに苦労したと思う。
なんといっても半ば諦めた中からの開始だったため、勉強への姿勢を組み立てるところから始めなければならなかったからだ。
しかし周囲からの、良い大学へ進学すれば将来困らないぞ、とか、今は学歴社会だから、という声を原動力に、私は勉強に励むことができた。
今となれば、それは良い大学に行ったことのない両親たちのステレオタイプだった気がする。
良い大学に行ったところで、そこでの努力を怠ればまったく無意味なのだ。
だが私はそれに啓発されて、謳歌すべきだと吹聴される青春というマジョリティを投げうって、勉強に身を捧げてしまった。
ある意味これも一種の青春なのかもしれないが。
幸いなことに、最大限努力しなさいと急き立てる人はいなかったため、私は自分のペースで勉強を進められた。
センター試験の日は幸運にも雲一つない快晴だった。
しかし私はセンター試験という日本の悪しき習慣は大嫌いだ。
まるでそれが人生において一番重要なことだと言わんばかりに皆が良い点を取れとうるさいからだ。
果たしてそれが人生における最重要事項なのだろうか。
少なくとも私には、もっと重要なことがあると思う。
そんな心で挑んだセンター試験は失敗に終わったが、むしろ私はそれを良しとした。
あんなもので自分を図られたくなかったからだ。
そして私立大学の受験は精を出して勉強した。
失敗した大学もあったが、第一志望では満足に受験を終わることができ、無事に進学が決まった。




