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後編

 川幅が広くなり始めたあたりで、ロミオに言われて川岸にボートを寄せた。どうにか川岸に下り、ボートは一応ロープで近くの木につないでおく。

 私は仮面をつけたまま、まだ暗い荒れ地をとぼとぼと歩き始めた。疲れた……特にボート漕いでたせいか上半身が。


 やがて、あたりの岩や藪の輪郭がはっきり見えだし、はっと顔を上げた。遠くの山々の向こうが明るくなっている。朝が来たんだ。

 こんな状況だけど、薄紫の空はとても綺麗だった。そして、進行方向に茶色い建物がいくつも見えた。

「あそこ、町みたい」

 私は言ったが、返事がない。

「……ロミオ?」

 私はぎょっとして声を大きくした。

 この仮面がただの仮面になっちゃったら、私、一人で放り出されることに……

「ロミオ、町が見えたんだけど。ねえっ」

『あ、ああ、悪い』

 耳元でくぐもったハスキーボイスがして、私はほっとした。まさかとは思うけど、寝てたの? 仮面も寝るのかな。

 私がそれを尋ねる前に、ロミオは言った。  

『ガルネティの町だ』


 ガルネティはひなびた町だったけど、馬車の停留所みたいなところに屋台があって、温かい食事ができたのがありがたかった。片面に焼き色がついたパンは、もう片面はぷくぷく膨れていてもっちりしてて、裂いてスープに浸して食べる。スープはたぶん豆スープで、煮くずれてどろっとなっているのが美味しかった。

 それから、お金を払って乗り合い馬車に乗る。いわゆる幌馬車だった。マントを着ている私に芸を要求してくる人はいなかったし、誰もが黙っていたので、またもや緊張が緩んできて……もう眠気には勝てなかった。

 次に目が覚めたときには、もうジャハルジア直前だと仮面が教えてくれた。馬車の前、幌の開いたところから、御者さんの身体越しに高い塔がいくつも見える。東京ほどではないけど、都会らしい雰囲気。

 慣れない馬車で体中ギシギシだったけど、これでひとまずは安全になるはず……と思うと嬉しかった。


 後から考えてみたら──

 いくら私を助けてくれたからって、どうして、ロミオの言うことをうのみにしちゃったんだろう。

 ジャハルジアが安全だなんて、仮面がそう言っただけで何の証拠もなかったのに。



 馬車を降りたところは広場になっていた。茶色い煉瓦壁に赤い屋根の店がいくつも軒を連ね、夕暮れの光に照らされている。色鮮やかな布を使って飾り付けてあるその様子は、なかなかおしゃれかも。

「もう、目を隠さなくてもいいの?」

 私は伸びをして身体をほぐしてから、マントに顎を埋め、口元を隠しつつロミオに聞いた。独り言を言ってるみたいで恥ずかしいからだ。

『少し待て。身分証明を得てからの方が安心だろう』

 仮面は答える。

「じゃあ、役所とか、行けばいいのかな?」

『いや。まずは、俺のことを知ってる奴のところに行く』

「え、そんな人が?」

『言う通りに進め。大通りをまっすぐ行ったら右側に酒瓶の看板があるから、そこを曲がれ』

 はいはい。 

 私はその通りに進んだ。


 酒瓶の看板が出ているところを曲がると、雰囲気が少し変わった。古いたたずまいの店が増え、化粧の濃い女の人が裏路地を横切り──足を見せた服装をしている──、道ばたの樽の上でカードゲームをしながら大騒ぎしている男の人たちもいる。

 なんか、女子高生が来るところじゃないような……

 ちらちらとあたりに目を走らせていた私は、ふと視線を止めた。


 細い道が十字路になったところが少しだけ広くなっていて、井戸がある。水を汲んだ中年の女性が去っていくところで、入れ替わりに違う方向から別の女性が桶を持ってきて、水を汲み始めた。

「ねえ、あそこ、誰でも使っていいの?」

 聞くと、ロミオは答えた。

『ああ。共同井戸だ』

「じゃあ、ちょっと顔を洗わせてよ。ずっと仮面つけっぱなしで、蒸れて気持ち悪い」

 ほんとはお風呂に入りたいけど、無理そうだってことくらいわかってる。顔だけでも洗えるなら洗いたい。

『……急げよ』

 ロミオの許可をもらい、私は井戸に近づいた。さっきの女性がこちらを見たので、何となく会釈すると、ちらりと微笑みを見せてから去っていく。

 井戸で水を汲むなんて、初めてだ。脇の台にロープの結ばれた桶があり、ロープは滑車につながっている。

 桶を井戸の中に放り込むと、ぱしゃんと水音。ロープを握って引っ張って……うっ、重い。これ、水が必要なときは毎回?

 日本に帰れなかったら、私もこうやって暮らすんだろうか。他にも何もかも、変わってしまうんだ。そう思うと落ち込んでしまうので、私は目の前のことに集中する。 


 ようやく引き上げた桶を台に載せると、頭の後ろに手を回して紐をほどき、仮面を外した。ああ、顔が涼しい!

 仮面を井戸の縁に置こうとして、ふとためらった。これ革製だもん、濡れたらまずそうだ。あっ、それどころか、万が一井戸の中にでも落としたら……怖っ!

「顔洗う間、ちょっとここ入ってて」

 私は仮面をマントの中に突っ込んだ。内ポケットがあるのだ。なんだかんだで、ロミオにはまだ私の顔を見せてないなぁ。

 ようやく、私は両手を器にして、桶の水で顔を洗った。冷たい! でも、しゃっきりとする。気持ちいい。

 あっ。そういえば、拭くものがない……うーん、ま、こういう状況だし仕方ないか。私は着ていたニットカーディガンの裾を引っ張り上げて、ぽんぽん、と顔を押さえるように水気を取った。


『……暗い……』

 かすかにロミオの声。あっ、もしかして、ずっと閉じこめられてたせいで暗いところが苦手になっちゃった?

 急いで取り出そうとして、身体をひねった時――


 視界の隅に、見覚えのある顔が映った。

 無意識にそちらに目を向けると、向こうも足を止めてこちらを見た。


 服装はまるで軍服のようだったけど、その筋肉モリモリの身体と、つながった眉は忘れられない。

 捕まっていた屋敷の、門番だった。

 

 門番は無表情のまま、こちらに近づいてきた。

 私は後ずさった。だって、この人はあの屋敷の人間だ。見つかったら連れ戻される。


 何でこの人が、ここに……?

 後をつけてきたとは思えない。だって、私は川をボートで……

 ……先回りしていた? どうやって行き先を知ったの? ここが人身売買を禁じている都市だから、私がここに行くだろうと目星をつけて……ううん、そんなわけない!

 私は愕然とした。

 異世界から呼ばれた私は、安全な都市なんて知らない。ジャハルジアという名前さえ知らなかった。普通なら向かえる訳がないって、彼らも知ってるはず。

 教えてくれたのは、ロミオだ。ロミオが私をここへ……


 そうか。今、わかった。


 門番とロミオはグルだ。門番は私が異世界人だと気づいていながら裏門を通し、そしてあの屋敷を離れてジャハルジアに先回りした。後はロミオが私をジャハルジアに連れてきて門番が捕まえて……どこかで売ればいい。そうだよ、この都市が安全だってこと自体、嘘かもしれないんだから。

 こいつらは、屋敷から【黒】を横取りして儲けようとしていたんだ!


『おい、ナミナ? どうした』

 マントの中からかすかに声が聞こえた。

 私は我に返り、身を翻して走り出した。

「待てっ」

 後ろから野太い声が聞こえたけど、待つわけないでしょ!

 路地をめちゃくちゃに駆け、門番をどうにか撒こうとする。

 そうだ、ロミオ。魔法が使えるくらいだもん、今や真相を知ってしまった私に、何かするかもしれない。すぐに捨てなくちゃ。でも、ジャハルジアが安全だっていうのが嘘だとしたら、黒い瞳を晒すことに……ええい、フードを深く被ってればすぐにはバレない、後で他の手を考えよう!


 高い塔の合間の、陸橋みたいになっている場所に出た。橋の下を馬車が通っている。

 私は急いで仮面を取り出すと、下の道に向かって振りかぶり──


『ちょっと待てえええ!』

 ロミオの声が飛んだ。

『我、徴す!〈ポーン〉!』


 いきなり、私の手から仮面が弾かれて宙を舞った。あっ、と目で追うと、仮面は橋の向こうで誰かの手に受け止められた。 


「こらこら、これ捨てちゃダメだよ」

 聞き覚えのある、中性的な声。


 橋をこちらに進みながら微笑んでいたのは、見たこともない細身の男だった。赤い髪に赤い目、白いラインの入った黒の長い上着に黒いズボンは門番と同じ服装。二十代後半くらいに見える。

 とにかく逃げようと身を翻したら、橋の向こうから門番が来るのが見えた。い、いつの間に回り込んで……!


 ええい、〈ガーギ〉だの〈ポーン〉だの、つまりそれって『アレ』じゃないの!? 橋の上で挟まれたら逃げられない、こうなったら私もやってやる! 間違えたって構うもんか!


 私は橋の手すりによじ登った。赤髪と門番が慌てたようにこちらへ走り出すのを横目に、私は叫んだ。


「我、徴す!〈フーワ〉!」


 そして、跳んだ。


 身体が不思議な空気をまとった。ふわふわ、ゆっくりと、私の身体は下へ降りていく。よしっ、思った通りだ!

 怪我することなく着地した私は、走ってくる馬車を避けながら逃げだそうとして──


 上から、ロミオの声が聞こえた。

『くそっ、我、徴す!〈クータ〉!』


 急に左の膝に力が入らなくなり、私はつんのめった。下の道の壁に捕まりながら逃げようとしたけど、右足だけじゃ……!

 足音がして、橋の横の階段を駆け降りてきた赤髪と門番が私の前に立ちふさがった。

「驚いたな、徴し言葉を使うなんて」

 赤髪の感心したような声に続いて、門番が言う。

「とにかく、急いでアジトに。……おい、暴れると怪我するぞ」

 私は、門番の肩にかつぎ上げられた。


 悲鳴を上げようとしたけど、誰かが助けてくれたところで何になるだろう。その誰かがまた私を売るだけじゃ……

 もうダメだ。

 抵抗をあきらめ、私は目を閉じた。ぽろり、と涙がこぼれた。



 路地にはあちこち抜け道のような場所があり、私はそこを運ばれて行った。階段を降り、地下道に入り、別の建物の裏手に出て……

 何がなんだかわからなくなった頃、どこかの建物の中に入った。板張りの廊下を進み、階段を上り、部屋に入ったところで扉の閉まる音。


 ああ、また閉じこめられる。

 そう思ったとたん、柔らかいものの上に下ろされた。

 ソファ……?

 急に、左膝の力が戻った。私はぱっと顔を上げた。

 ソファの両脇には赤髪と門番……逃げられるとは思えない。


 そして私の目の前、一人掛けのソファに、もう一人の人物が座っていた。

 恐怖を感じながらも、私はつい、その人をまじまじと見つめてしまった。


 男の子だ。私より少し年下に見える。綺麗な銀髪、他の二人と同じく黒の軍服(?)で、足下はごついブーツ。

 しかし何より目を引いたのは、彼の顔だった。なぜか閉じられている目の回り、鼻の上や耳のあたりまで、一面に黒い蔦みたいな模様が描かれている。

 何……何かで描いた? 入れ墨? それにしても、この模様、どこかで。


「あ」

 振り向くと赤髪の男が、仮面・ロミオを手に銀髪の彼に近づくところだった。

 そうだ、仮面の金属部分の透かし彫り模様が、この人の目の周りの模様と同じ……


 赤髪は静かに、中性的な声で言った。

「ようやく、戻ってきたね」

 銀髪が初めて、口を開く。


「ああ。半年ぶりだ」


 そのハスキーボイスに、私は目を見開いた。


 ロミオの声だった。いつもこもって聞こえたあの声が、今は明瞭に。


 銀髪は目を閉じたまま、両手を出した。赤髪がそこに仮面を載せると、彼は仮面の耳のあたりを持って、自分の顔に近づける。紐は結ばず、ぴったりと自分の顔に当てた。まるで、何かの儀式のように。

 ふわっ、と仮面が光を放った。

 光が消えると、銀髪はそっと仮面を顔から離した。不思議なことに、彼の目の周りにあった模様が全部消えている。気の強そうな眉毛。

 彼はゆっくりと、目を開けた。明るい琥珀色の瞳が現れる。


「……よし!」

 彼は嬉しそうに自分の身体を見下ろし、そして立ち上がると赤髪と門番の顔を交互に見て言った。

「ちゃんと元通りに見える!」

「良かったな」

 赤髪は、なぜか目を潤ませながら銀髪の肩をたたき、門番もいつの間にか銀髪のそばに立っていて、

「おめでとう」

と祝っている。

 ぽかーん、とソファからその様子を見上げていた私を、銀髪がまっすぐに見た。射抜かれるようなその視線に思わず身体を縮めると、銀髪は私に近づいて来て見下ろす。

「やっと顔を拝めたぜ、ナミナ」


「ロ……ロミオ?」

「『仮面』の名はそれでもいいけどな、『俺』の名はサリギス」

 彼は右手に持った仮面を、軽く持ち上げて見せた。

「この仮面に、呪術で俺の目を移していた。あと、耳の機能も半分な」

 呪術? 目を、移してた?

「じゃあ、ロミオは目が見えてたけど、サ、サリギス? は、見えなくなっちゃってたの?」

「そういうこと」

 にっ、とサリギスは笑う。

「お前が捕まってたあの屋敷な。俺は子どもの頃、あそこで奴隷同然に働かされていたことがあるんだ。だから内部に詳しい代わりに、面が割れてる。その屋敷に内偵が入ることになったんで、呪術で目と耳を貸したんだ。仮面を着けた内偵者が見たものを、俺はそのまま見ることができる。耳の機能は半分残ってるから、俺がこっちでしゃべった声が俺の耳を通して仮面に届く。そうやって、こっちからも指示を出していた」

 それで、声が遠かったのか。ロミオがしゃべってたんじゃなくて、サリギスがしゃべった声がサリギスの耳に聞こえ、そしてロミオの耳の部分から私の耳に伝わるっていう過程があったから。


 目を取り戻して嬉しいのか、笑顔で話しているサリギスは、ごく普通の人間だ。ふと、明け方に一度返事をしなかったことを思い出す……そりゃ、人間なら眠くもなったよね。


 私は恐る恐る、赤髪さんの方を見た。

「こ、この人の声も、聞き覚えがあるような気がするんだけど」

 彼はふんわりと笑った。

「バレてた? 僕はミリアン。ナミナが寝ている隙に、ここでサリギスとちょっと会話したのが聞こえたんだな。ナミナが起きている時はナミナに聞こえないように、筆談したり手のひらに指で文字を書いたり、他の手段で話してたんだけど。僕はここで、サリギスの補助をしてた」

 つながり眉の門番が口を開いた。

「俺はバグラト。門番としてもぐり込み、仮面を助けようとした。が、妙に監視が厳しくなって、牢のある建物に入り込めなくなった」

 赤髪ミリアンが呆れた風に言う。

「その建物で、異世界からの召喚が行われるせいだったんだな。でもナミナ、内部から(・・・・)現れた君が、サリギスの目を連れ出してくれたってわけ。ついでに、アルヴァシ家の不可解な政治資金の出所がこれではっきりした。ありがとう」


「な……な……何でそれを先に」

 言ってくれないんだよぉ、怖かったじゃん!

 私が涙目になっていると、三人の男性たちは視線を交わし合い、そしてサリギスが私に言った。

「俺たち三人は、ジャハルジア領主直属の諜報部隊だ。あまり細かいことをナミナにしゃべっちまうと、逃げる途中にナミナがあっちの手に落ちた時に困る。拷問されたらしゃべるだろ、お前」

 しゃべる。洗いざらいしゃべる。

 首をカクカクと縦に振る私に、ミリアンが吹き出す。

「正直だね! まあ、ここまで来れば大丈夫だから教えた。で、君は? どうして『徴し詠唱』ができたの?」


 私はぼそぼそと教える。

「私の世界で、普段使ってる言葉っぽかったから……」


サリギスの『徴し』の呪文を聞いたとき、何か馴染みがあると思ったら、日本で言う『オノマトペ』……擬音語や擬態語に近いんだ。〈ガーギ〉は物が壊れる音、〈ポーン〉は何かが飛び跳ねる音に聞こえた。変わった抑揚はついてたけど。

 それで橋から飛び降りるとき、ふわふわと降りられないかと思って、抑揚をつけて〈フーワ〉って唱えてみたらできちゃったわけ。


「『徴し』とは、音や状態を『象徴する』言葉を、詠唱者がイメージをのせながら独特の抑揚をつけて唱えることで発動する。ナミナは普段からその言葉を使っていたのか」

 感心したようにうなずくミリアンの横で、サリギスが私をじっとにらむ。

「くっそ、簡単に詠唱しやがって……ムカつく。まあいい。ナミナ、わかってるよな?」

「な、何を?」

 ぎょっとして身を縮めると、サリギスは私の座っているソファの肘掛けに片手をかけ、顔をのぞき込んできた。

「ナミナはもう、知っちまったんだよ。俺たちの仕事を。ちょうど人手が欲しかったんだ、ジャハルジア諜報部隊へようこそ」


 何だよそれー!!




 それから、一年。

 元の世界に戻る方法を探しながら、私はジャハルジア諜報部隊の備品管理と経理の仕事をしていた。

 この隊は、諜報任務がない時は普通に町の警備隊として、他の警備部隊の人たちと交代で仕事をしていた。支給された女性用の隊服はなかなか可愛くて、膝上まであるAラインの上着に細身のズボン。ジャハルジアが人身売買禁止というのは嘘ではなかったので、私もこの町の中でなら普通に働き、そして出歩くことができた。


「ナミナ」

 椅子に座っている私の耳のすぐ側で、ハスキーボイス。仮面ロミオをつけてた時みたいに。

「何っ」

 ばっ、と身体を横にずらしなら振り向くと、サリギスが後ろから見下ろしている。いかにもやんちゃそうなこいつは、私より二つ年下なんだって。

「いい加減教えてくれよ。あのコイン出すやつ、どうやってやるんだ?」

「うるさいなぁ、暇なら『(しる)し詠唱』の訓練しなよ。まだほんの少ししか使えないんだから」

 私は姿勢を元に戻し、書類書き作業を再開する。サリギスってば、頭は良さそうなのに何でコインのアレはわからないんだか。

「俺は元々『徴し詠唱』の素質がないんだっ。それをどうにか、訓練でいくつか使えるところまで持ってきたんだぞ!」

「それはそれは、お疲れ様です」

 私は冷たく返事をしたけど、本当は赤髪の隊長ミリアンから聞いて知ってる。視力を失っている間、サリギスが必死で訓練してたこと。鍵を壊す徴しを最初から覚えてれば、内偵者も自分もすぐに逃げられたのにって、後悔して頑張ったこと。


「……ヒント」

 私はぽそっと言った。

「ロミオがいないと、あのコイン出すやつはできませんでした」

「えええ? 俺?」

 ますますサリギスは首をひねっている。

 ほんとにわかんないのかなぁ。仮面ロミオが後頭部で紐を結ぶタイプだったから、できたんだけど。

 私はこっそり笑いながら、棚の上に飾ってある仮面を見上げた。

 ロミオからは見えなかったもんね、手品のタネを仕込むところは。


「何でそんな秘密主義なんだよっ。ムカつく」

 つっかかってくるサリギスに、私はそっぽを向いて答える。

「いいじゃん、サリギスもミリアンもバグラトもこっちの世界の人で、何もかも知ってるんだから。私のことくらい、知らなくたって」

 サリギスはむっつりと言う。

「……知りたいから聞いてんだろ……」

 珍しく素直な彼に、私はウッと詰まった。ちょっと後ろめたい気分になったのだ。


 声がハスキーになっちゃうほど、サリギスが必死で特訓してようやくいくつか徴しを使えるようになったのに、私は最初からわりと自由にそれを操ることができた。日本語はオノマトペが豊かな言語なもんだからイメージをのせやすかったらしい。

 特に、音を消す徴し言葉〈シーン〉を私が試して見せた時には、ミリアンが「静寂を表現できるなんて……!」と仰天していた。


 一生懸命なサリギスにせめて、手品の種くらい教えてあげようか。

「じゃあ、教えてあげる。コインの手品の種明かし」

 ちょっと視線を逸らしながら言うと、なぜかサリギスがうろたえた。

「な、何だよ急に」

「知りたいって言ったじゃん」

「お、おう。いや、コインのことだけじゃなくて、お前のことをもっと」

 言いかけたサリギスが、はっ! と横を向いたので、そっちを見てみたら。


 隊長ミリアン──彼はサリギスの目を仮面に移した呪術師でもある──と、つながり眉のバグラト──実は眉毛はつながってなくて、骨格の関係で陰になって見えただけだった──が、じーっとこっちを見ていた。バグラトは無表情だけど、ミリアンは露骨にニヤついている。


「ナミナっ、俺巡回があるから後でな!」

 サリギスはいきなり、外へ飛び出していってしまった。


「大丈夫、ナミナ?」

「何かあったら言え、助けるぞ」

 近づいてきたミリアンとバグラトに、私はにっこりと微笑んだ。

「じゃあ、助けて下さい。今月赤字です、色々と節約して下さいね!」



【トリッパーズ・ギミック! おしまい】

あらすじにギミックの意味を2つ載せましたが、両方の意味を含めたつもりです。楽しんでいただけたら嬉しいです!


※手品につきましては、種明かしを望まない方もいらっしゃるかもと思ったので、本文中では書きませんでした。コインマジックを検索すればすぐに出て来るような手品ですが、以下、知りたい方だけお読み下さい。



波奈は最初にこっそり左手でポケットからコインを出し、すぐに左の肘を用心棒たちに突き出し視線を集めました。その隙に、後頭部で結んでいた仮面の紐にコインを挟んでおきます。両手に何も持っていないことを用心棒たちに見せておいてから、今度は右の肘を見せ、肘に視線を集めた隙に右手でコインを取りました。最後に、拳に息を吹きかけてから、披露。本来は服の襟にコインを挟む手品なのですが、波奈はボートネックの服だったので、仮面の紐に挟んだのです。

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