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第178話:静かに消え始めた“本物”

平成元年。


晩夏。


朝。


蝉の声が少し減ってきた。


真夏の勢いは残っている。


だが。


風の中に少しだけ秋が混じり始めている。


窓を開ける。


商店街。


車。


人。


いつもの景色。


テレビでは経済ニュース。


「地価上昇率は過去最高水準――」


「平成景気は本格拡大局面へ――」


(まだ行くか)


恒一は新聞を広げる。


見出しは全部同じ。


上昇。


成長。


拡大。


楽観。


(誰も止まらないな)


未来を知っている。


だから分かる。


こういう時代は。


止まらない。


止められない。


皆が正しいと思っているから。


母が言う。


「最近どこ行っても土地の話ね」


父も苦笑する。


「会社の若いのなんか、本業より株の話ばっかりだ」


(未来通りだ)


昭和五十年。


最初に戻ってきた頃。


皆。


仕事をしていた。


工場を動かしていた。


店を開いていた。


汗を流していた。


だが今は違う。


土地。


株。


投資。


資産。


それが主役。


机へ向かう。


大学ノート。


全国地方再生ネットワーク。


第一都市。


第二都市。


第三都市。


第四工場都市。


第五物流都市。


第六観光都市。


第七産業都市。


全国へ広がった。


そして。


その全てが成功している。


(成功しすぎた)


そこが問題だった。


再生は成功した。


だが。


成功が熱狂を生んだ。


熱狂が投機を生んだ。


投機が幻想を生んだ。


ノートへ書く。


・成功体験の拡大再生産

・実需と投機の混在

・本物と偽物の境界消失


(ここだ)


今の日本は。


本物と偽物の区別が消え始めている。


学校。


昼休み。


男子達が騒いでいる。


「うちの親、また土地買った」


「どこ?」


「よく分からん」


「でも上がるらしい」


笑い声。


誰も場所を知らない。


誰も価値を知らない。


ただ。


上がるから買う。


(完全に来てるな)


未来でもそうだった。


最後は。


価値ではなく。


期待を買う。


放課後。


恒一は第四工場都市へ向かった。


ここは違う。


第一都市とは。


空気が。


駅を降りる。


工場。


煙突。


トラック。


作業員。


フォークリフト。


汗。


油。


騒音。


(やっぱり落ち着くな)


ここには。


幻想が少ない。


工場は嘘をつかない。


受注が無ければ終わる。


生産できなければ終わる。


利益が出なければ終わる。


単純だ。


だから強い。


会館へ向かう。


中へ入る。


商工会。


銀行。


地元企業。


工場経営者。


いつもの面々。


だが。


今日は空気が違った。


少し重い。


会長が言う。


「最近な」


「人が来ない」


(来たか)


工場社長も頷く。


「若い奴が集まらん」


「面接しても来ない」


別の社長も言う。


「来てもすぐ辞める」


(始まったな)


未来でもあった。


技術者不足。


職人不足。


製造業離れ。


その始まり。


都市銀行の男が苦笑する。


「今は投資の方が人気ですからね」


(違う)


恒一は思う。


人気じゃない。


危険信号だ。


その時。


一人の社長が言った。


「最近、息子にも言われた」


「工場なんか継がずに不動産やれって」


会館が静かになる。


誰も笑わない。


皆。


少しだけ分かっている。


おかしいと。


だが。


どうしようもない。


熱狂は止まらない。


その時。


会長が恒一を見る。


「お前はどう思う?」


恒一は窓の外を見る。


工場。


トラック。


作業員。


全部動いている。


だから街が動く。


だから経済が動く。


だから生活がある。


そして言った。


「工場消えたら終わる」


静かになる。


「物流も」


「技術も」


「職人も」


さらに。


「誰か作らないと」


沈黙。


銀行員も。


証券会社も。


反論しない。


反論できない。


本当だから。


夕方。


工場地帯を歩く。


鉄の匂い。


油の匂い。


溶接の光。


(ここは残る)


未来を知っている。


だから分かる。


バブルが崩壊しても。


本当に残るのは。


こういう場所だ。


派手じゃない。


目立たない。


テレビにも出ない。


だが。


必要だ。


その時。


若い作業員達の会話が聞こえる。


「同期また辞めたらしい」


「マジ?」


「株で食ってくとか」


笑い声。


だが。


どこか寂しい。


(そうなる)


未来でも。


皆。


そう言った。


そして。


後で後悔した。


夜。


帰宅。


机へ向かう。


大学ノートを開く。


新しいページ。


・平成元年晩夏

・技術者不足開始

・職人離れ拡大

・製造業軽視進行


さらに。


・静かに消え始めた本物


書き込む。


本物。


それは何か。


土地じゃない。


株じゃない。


投資じゃない。


人だ。


技術だ。


物流だ。


工場だ。


生活だ。


そこが消えれば。


どれだけ資産があっても意味がない。


未来を知っているから。


分かる。


バブル崩壊後。


最後に残ったのは。


本物だけだった。


布団へ入る。


目を閉じる。


全国地方再生ネットワーク。


第一都市。


第二都市。


第三都市。


全部浮かぶ。


成功している。


本当に成功している。


だが。


その裏側で。


誰にも見えない場所で。


少しずつ。


本物が減り始めている。


技術者。


職人。


工場。


物流。


それを支える人間。


誰も見ない。


誰も評価しない。


だから。


静かに消えていく。


恒一だけが。


その危険を見ていた。


そして知っている。


本物が消え始めた時。


社会は一番脆くなるのだと。

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