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COYOTE New[19]
「そう! ならお願い。助かるわ」
ホリーの喜びに、少年は満面の笑みを浮かべ、三脚に触れた。はしゃいでいたのか、彼は火照りを逃がそうと、キャップを脱ぐ。湿った黒い短髪が風に吹かれ、気持ちがよいのか、頬が擽られたように持ち上がった。
「ねぇ。このカメラ、僕のところのと同じだよ。フォトグラフの勉強をしてるんだ。よかったら、僕がシャッター押していい?」
撮影スポットにいたステファンは腰を上げると、三脚を囲む2人に近づいた。彼は、ふらりと現れた少年に笑いかけると、固定したカメラを外し、その手に優しく預ける。そして、そのまま妻の腰に手を回した。
「凄い縁だ。こんな頼もしいカメラマンに出会えるなんて」
少年は目を輝かせると、手慣れたようにボタンを弄りはじめる。彼は何度も、景色と画面表示に視線を往復させた。その時間は少し長かったが、そこから真剣なこだわりを強く感じ、夫婦は互いを見ながら彼に夢中になる。
「いいよ。そこの岩だよね。気をつけて座って」
少年は、脇に挟んでいたキャップをパンツの腰に挟み直すと、知識に沿って、丁寧にカメラを構えた。
その様子が可愛らしく、夫婦は微笑みが絶えない。
するとステファンは、妻を肩から大きく抱き寄せる。その不意な動作に、ホリーは目を見張ると、視界を遮ろうとする髪を耳にかけながら、滲み出る照れを振り払う。そして、噛み締めた――肩に広がる夫の感触を。熱すぎる温度を。自分にしか分からない香りを。野鳥のように使い分ける声を。
少年のカウントが聞こえると、ホリーは俯き気味だったところ、急いで顔を上げた。天然のスポットライトが射したと同時に、手際のいいシャッター音がした。
その後、夫婦は少年が差し出した画面に、口をあんぐりさせる。
「やだ、そんな設定があったの!?」
ホリーは、買ってしばらく経つカメラの機能に、つい声を上げてしまう。
「知らないの? 普通に撮ったやつもあるよ。でもデザインが変わると、また違うと思って。こっちはモノクロ」
ステファンは、最後に見せられたその1枚にこそ、声を失くした。ただ白と黒だけで写されていても、笑顔や接触、風に躍る髪で、生きた美が引き立てられている。そして改めて、妻の美しさに瞼を失くした。
「……君はいいプロだよ」
「大事にするわ。ありがとう」
少年はキャップを被ると、半ば下ろした鍔の影に恥ずかしさを隠しては、走り去ってしまった。
あっさりとした別れで、夫婦は彼の名前を聞く間もなかった。彼は随分、小さくなってしまった。
「あんなに離れてるのに……私、そんなに目立つ困り方してた?」
「こういう所で過ごす子なんだ。五感が鋭いのかもしれない。だとすると、君の願いを引き継いでいそうだな」
夫の言葉を聞くと、ホリーは、遥か遠くの少年を眺めた。ほんの一瞬だったが、彼の背丈や仕草が焼きついており、それをじっくりと振り返ってしまう。
「貴方の目に似てた」
妻の呟きに、ステファンは目だけで驚く。
「鼻の形なんかは君だった」
「髪色は私で、スタイルは貴方ってところね」
他の家族の子だというのにと、2人はころころと笑った。その賑わいに、ケトルの蓋の音が合わさる。
ホリーは慌てて焚火台に駆け寄ると、用意していた紅茶のポットに湯を注いでいく。そのまま、いつからかうずうずしていた口が、ふと開いた。
「私達の子は、どんな風に生きていくかしら」
ホリーは、鼓動が僅かに焚火の音を上回るのを感じた。子どもは好きだが、出産に少し不安を抱いていた。仕方がないとはいえ、つい夫に、怖いと口にしたことがある。それからは、あまり子どもの話ができていなかった。
それを意識し過ぎたあまり、今朝のように気楽には話せず、夫に背を向けたまま動けなくなった。
ステファンは、どこか縮んだように見える妻の背中に触れると、その顔を覗き込む。
「動物好きと医者なら、獣医にでもなるんじゃないか?」
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