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第59話 汚染地帯 2

 ケイは、いつしか、草原の端で立ち止まった。


 鼻先を、ゆっくりと空気に向ける。


 匂いが、違った。


 生き物は本能で避ける、だが人間には見えない"死の気配"。


 首輪の表示が、跳ね上がる。


 首輪には放射線の線量計が組み込んである。


 ―― 5μSv/h

 ―― 20。

 ―― 80。


 異常値を示していた。


 ケイの耳が、伏せられる。


 本能が、脳の奥で叫んでいた。


 ここから先には進むのは危険だ……、と


 その時、遠くで、かすかな悲鳴が上がった。


「……っ!」


 紅音だった。


 草葉の陰から、人影が複数の人影が、紅音の前に飛び出した。


 男たち。


 覆面。


 無言。


 言葉はない。手順だけがある。


 紅音の腕が掴まれる。


「――!」


 抵抗は、一瞬で封じられた。


 関節を押さえ、重心を崩し、声を出す暇を与えない。


 ケイが、吠えた。


 ――ワンッ!!


 だが、前に踏み出した瞬間、首輪が、鋭く鳴り響いた。


 乾いた電子音。規則的で、冷たい音。


 普段は鳴らない。鳴ってはならない警告音


 ―― 150。

 ―― 300。


 視界が、一瞬、白くなる。


 高濃度の放射線が 辺りを取り巻いていた。


 ケイの身体がそれを理解する前に、体内のDNAが拒絶した。


 細胞が、「ここにいるな」と警告する。


 これ以上、近づけば――


 己の遺伝子は壊れる。


 ケイにはそれが判った。


 ケイは、地面に伏せた。


 これ以上は吠えられない。


 追えない。


 守れない。


 車のドアが閉まる音が聞こえる。重い金属音。


 エンジンがかかり、振動が遠ざかっていく。


 紅音の気配が、闇の彼方にへ消えた。


 ケイは、歯を食いしばり、夜空に向かって、


 低く鳴いた。


 それは、


 敗北の叫びであった。


 数分後。


 ケイは、別荘へ戻った。


 足取りは、明らかに重い。


 玄関に飛び込み、阿羅業の前で、


 崩れるように座り込む。


 首輪の線量計のメモリー値が、異常域を示している。


「……何だ、これは」


 阿羅業が、即座に覗き込む。


 数値を見た瞬間、表情が変わった。


 医者の顔になる。


「……高線量の放射線だ」


 炎琳が、画面を覗き、歯を食いしばる。


「……ただの自然放射線の強さじゃない」


 龍雅が、息を呑む。


 胸の奥で、嫌な予感が形になる。


「……紅音は?」


 答えは、誰もが分かっていた。


 ケイが、顎と震える前足で、外を指した。


 阿羅業は、即座に立ち上がる。


「防護服を出せ」


 声が、低くなる。


「この先に……、放射能汚染地帯が広がってるってことだ」


 炎琳が、即座に動く。


 迷いがない。


「追うのね?」


「当たり前だ」


 阿羅業は、一切迷わなかった。


「おそらくそこには患者がいる。紅音も……」


 それは、医者としての答えだった。


 ケイは、ゆっくりと顔を上げた。


 目に、悔しさが宿っている。


 阿羅業は、その頭を、強く撫でた。


「……よく知らせてくれた」


 それだけ言った。


 責めない。


 慰めない。


 評価する。


 龍雅が、静かに言う。


「……x3000は、まだ試作段階です」


 阿羅業は、短く頷いた。


「だからよ……、机上の理論はいい、いきなりの実戦でモノを極めるって手もある」


 別荘の地下で、放射線防護装備の準備を始めた。


 線量計。防護マスク。


 鉛入りのブレストプレート。


 準備は、無言で進む。


 ケイは、入口で、じっと見ていた。


 ケイは行けない。


 だが、知らせてくれた。


 それでいい。


 この夜、ケイは初めて、守れないものがあることを知った。


 そして――医者たちは動く。


 まだ見ぬ、そこにいるであろう、放射線被害者を救うために。


 夜は、まだ深い。


 だが、線量計の音が、道標になっていた。


 乾いた電子音。規則的で、冷たい音の響きが目的地を示していた。


 紅音を攫い、音の先で、待つものは何者か……。




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