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第57話 再起動

 やがて、車は速度を落とした。


 舗装された道が途切れ、幾重かのけものみちをかき分けて細い私道に入った。


 両脇は、杉と檜の林。


 だんだんと海の匂いが、微かに混じってくる。


 その奥に――相洲院景山の別荘があった。


 豪奢ではないが、軽々しくもなかった。


 石と木で組まれた建物は、この土地に元からあったかのように、山の斜面に馴染んでいた。


 門は、静かに開いた。


 警備員の姿は見えない。


 ここは、隠れる場所ではない。


 x3000の完成を守るための場所だった。


 リムジンが停まる。


 ドアが開き、山の冷気が流れ込んできた。


 龍雅は、固定された腕を庇いながら、ゆっくりと降りた。


 足元の石畳は、よく整備されている。


 つまずく要素が、一つもない。


(……迷うな、ということか)


 玄関先に、相洲院景山が立っていた。


 七十歳、巨漢。


 杖を持ち、背筋を伸ばし、


 朝の光を正面から受けている。


「来たか」


 それだけだった。


 だが、その一言に、長い準備の重みがあった。


「中へ」


 景山は、振り返り、歩き出す。


 廊下を抜け、地下へ向かう扉の前で立ち止まる。


「……急ぐのだろうな」


 龍雅は、即座に頷いた。


「一刻も、無駄にできません」


 景山は、わずかに笑った。


「若いな」


 否定の意味ではなかった。


 扉が開く。


 地下は、すでに作業場だった。


 無菌灯。


 モジュール化された機材。


 予備電源。


 解析用端末。


 すべてが揃っている。


 龍雅は、一歩踏み出し、その光景を見回した。


 胸の奥で、絡まっていた何かがほどけた。


 ここなら――間に合う。


 相洲院景山は、龍雅の背中を見て、低く言った。


「ここでは、命の優先順位を問わず……」


「救うべき命をを、全員救え。それができぬと思ったなら――考え抜け」


 龍雅は、振り返らなかった。


 ただ、ただ、作業台へ向かい、


 設計図を広げる。


 x2000。そして――これから創り上げるx3000。


 神を否定するの器械。


 阿羅業が、白衣を着ながら言った。


「……始めるぞ」


 炎琳が、端末を立ち上げる。


 紅音が、OS管理層のチェックに入る。


 ケイは、入口の近くで丸くなり、静かに目を閉じた。


 誰も、余計な言葉を口にしない。


 ここは、避難所ではない。


 最後の闘いの場だ。


 外では、駿河の海の大波が、いつもと変わらぬ速さで岸を打っている。


 この地下では――時は、既に別の速さで流れ始めていた。


地下作業場の空気は、張りつめていた。


 端末の冷却音。

 キーボードを叩く紅音の指。

 x2000のモジュールが、静かに待機している。


 炎琳は、接続機器の再配置を確認していた。


 その背後から、阿羅業の声が落ちた。


「……まずだ」


 低く、短い声。


「M28強化型心筋線維芽細胞を作る」


 炎琳の指が、止まった。


「……何?」


 阿羅業は、回りくどい説明をしなかった。


「時間がねえ。お前の弟のゲノムサンプルを寄越せ」


 一瞬、地下の空気が凍った。


 炎琳は、振り返る。


「……なぜ、それを……」


 阿羅業は、彼女の目を見た。


 逃がさない。


「隠す必要はない。もう、その段階は過ぎてる。お前が煉脈連の命令だけで動いてないことは知っている」


 炎琳の喉が、鳴った。


「……私は、何も――」


「言わなくていい」


 阿羅業は、淡々と続ける。


「血液データ。アクセス履歴。夜中の遠隔ログ」


 一拍。


「それに……、ロケットを開いた時のあの目だ」


 炎琳の視線が、わずかに揺れた。


「患者を見る目じゃねえ。家族を見る目だ」


 沈黙。


 端末のファン音だけが、やけに大きい。


 炎琳は、ゆっくりと息を吐いた。


「……十八歳になった」


 それだけ言う。


「発症は、一年前。進行性心筋萎縮症。PMCD」


 阿羅業は、頷いた。


「……うん」


 炎琳は、唇を噛んだ。


「だから、言わなかった」


「情が入るからか」


「……判断が鈍る」


 阿羅業は、小さく鼻で笑った。


「……逆だ」


 炎琳が、顔を上げる。


「情が入らねえ医者は、ただの手術ロボットだ」


 阿羅業は、一歩前に出た。


「弟を救うためには、x2000が必要だった」


 否定は、しない。


「x2500でも、BSNでも、使えるものは何でも――」


「だからだ」


 阿羅業は、はっきりと言った。


「まず、M28を作る」


 炎琳の目が、大きく開く。


「……今すぐ?」


「今すぐだ」


「成功率は――」


「低い」


 即答。


「だがな、何もしなけりゃ、ゼロだ」


 阿羅業は、端末を指差した。


「ゲノムサンプル。血液でも、組織片でもいい」


 声を、少しだけ落とす。


「……俺が、助ける」


 炎琳の肩が、わずかに震えた。


「……何を根拠に」


 阿羅業は、首を振る。


「根拠は、ない」


「だが、生きたい奴と、生かしたいって思ってる奴がいる」


 地下の奥では、龍雅が黙々と作業している気配。


 紅音のキーボード音。


 ケイの静かな寝息。


「……それで、足りねえ理由があるか」


 炎琳の目から、一筋、涙が落ちた。


 それを、彼女は拭わなかった。


「……サンプルは、私が持っている。肌身、離さず」


 声が、かすれる。


「俺と同じだな。俺も……、一人の少女の凍結血漿をいつも持ってる。すぐに、準備をしよう」


 阿羅業は、背を向けた。


「急げ。時間は、味方じゃねえ。敵にもなる」


 歩き出しながら、低く言い添える。


「……礼は、いらんぜ」


 炎琳は、深く息を吸い、端末へ戻った。


 背中は、もう揺れていなかった。


 この地下で、また一つ、命を救う歯車が回り始めた。




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