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第8章 直人の本音(2)

俺が言うと、ケイは俯いた。すぐに受け取ろうとはせず、数秒沈黙してから言う。


「ナオを見ていて思った。僕もできることなら同じ時間に生きていたかったな」


「生きてるじゃないか」


寂しげに首を小さく横振る。


「僕の時間に、終わりは永遠に来ない。死のない生などただの時間の蓄積だよ。君もそうだろう? あの子が死ぬと思って初めて日々の大切さに気がついた。それまでは何気なく過ぎていくなんでもない事も大切に思える。そういうことだよ。僕には終わりと言う概念がないから何かを大切にする、ということもできない。大切にできるってことだけで特別なんだよナオ」


ケイは軽く跳んで宙に浮くと、俺と同じ目線になってからそっと俺の頭を撫でた。


「君が頑張って来た日々は誰の記憶にも残らないけれど、君が得てきた経験は無駄じゃない。未来で必ず君を救うだろう。人生に無駄なことなんてない。その努力は君の才能だ」


そう言うと、俺の胸から押し出されるようにして出てきた光がふわふわと宙を漂いながらケイの元に移動した。ケイはその光を両手で包み込むように持つと、そのまま自分の胸へと軽く手で誘導する。それだけで光はすんなりケイの中へと入っていった。


 ケイは光を取り込んでからしばらく動かなかったが、やがて顔をあげて俺を見た。


「じゃあね、ナオ。君に出会えてよかったよ」


俺も頷いた。


「今までありがとう。ケイのおかげで姫香を救えたよ」


「君のこれからの人生に幸多からんことを」


ケイが手を振ったかと思った時には、俺は独り池の前で立っていた。まるで夢でも見ていたかのようで、試しに手を開いてみたが何も起こらない。ただ虚しく手のひらが見えているだけだ。俺はゆっくりと池に目線を戻した。水面は風を受けて時折静かに揺らめいた。


 これで本当に俺の目的は完了した。これで全部終わったのだ。姫香は助かった。助かった、はずなのにそう思ったら急にまた泣けてきた。ケイの言った通り、俺には孤独だけが残った。誰も本当の俺を知らない。桐斗さえも俺が何をしてきたか実際に見たわけではない。姫香は俺を知らず、俺が一緒に過ごした証など1つも存在しない。


 同じ時間に生きていられることがどれだけ幸運で、時間の軸がずれて別の時間を生きていくことがどれだけ苦痛なのか、俺はようやくすべてを理解したのだった。


「戻りたい……」


初めてそんな弱気な声が出た。景色がみるみるうちにぼやけて、声が震えだす。


「あの頃に戻りたい……」


姫香が救われたのは純粋に嬉しい。でも、あの時もし腐敗症などなくて、今も一緒に同じ時間を生きていられたらどれだけよかっただろう。今ここで独り苦しむ必要もなくて、独り涙を流すこともなかった。核戦争そのものがなければ腐敗症だってなかったのに。核戦争なんて起こらなければよかったのに。そうしたら今頃俺は2人と一緒に笑っていたのに。


 幸せで、もう取り戻せない日々ばかりが頭の中に蘇ってくる。同じ時間を生きていきたかった。姫香は事実上助かったけれど、俺は結果的に姫香を失ったのだ。ないものねだりだということも、覚悟の上だったことも、虫のいい話だということも分かっている。それでもこれが俺の本音だった。


「あの頃に戻りたい……。同じ時間を生きていられたらよかったのに……」


涙が次々にこみ上げ、手すりに落ちた。目が熱い。胸が痛い。感じたことがないくらいに、バラバラになってしまいそうなぐらいに。


 一緒にいたいだけだった。ただそれだけで良かったのに。もう2度とあの日に戻れないんだ。次々に涙が落ちた。嗚咽がこみ上げて、気がつくと俺は独りの公園でしゃくりあげていた。


 俺にはもう何もなかった。そもそも俺には夢も趣味も何もなかったのだから。姫香を救うという目標を達成した今、研究所に戻っても仕方がない。俺の中には姫香がいた。その存在がどれほど大きかったのだろう。俺は完全に空っぽだった。


 独りきりの公園、体から力が抜けて、寂しく光る外灯の下で力なく座り込もうとしたその時、


「藤沢君!」


という声が聞こえた。泣いていた事も全て忘れてしまうほど、静寂を切り裂くような真っすぐな声。俺の心の奥深くに突き刺さるような、忘れるわけがないこの声。いつの間にか俺は振り返っていた。

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