第6章 桐斗と直人(3)
毎朝起きて復習することは1年間でクセになっていて、無意識に同じ時間に起きて同じように復習していた。桐斗がまだ寝ているのかと蹴り飛ばしてくることももうない。静かだけれどやる気に満ちた日々。姫香が見ているのだ。みっともない姿は見せられない。俺の事を信じてくれている人達のためにも、俺は必ず合格しなければならない。
授業で学んだことはその日に覚えきった。毎日復習は欠かさず行い、睡眠時間も確保した。受験生活をしていて思ったのは、睡眠時間は本当に大切だということだ。特に10時から2時まで眠っている時と眠っていない時では疲労の取れ方が全然違うことに気がついた。それに、きちんと睡眠を確保することで記憶の定着も良く、体調管理もできて一石二鳥である。
「直人、頑張ってるか?」
と、桐斗が頻繁に連絡してきて、日程が合えば俺の家に泊りに来て一緒に勉強した。桐斗は医学を、俺は受験勉強を。種類は違っても頑張ることは同じだと桐斗が言ってくれたのだ。一緒に頑張っていた方が続くからできる限り一緒に勉強しようとも言ってくれた。桐斗は賢いのだから俺のように必死にならなくても良かったのかもしれないが、桐斗は1度も文句を言わずただ俺を支えてくれた。別れる時は必ず、
「頑張ろうぜ直人」
と、言ってくれた。俺だけを頑張らせるのではない。一緒に頑張るんだ。そんな気持ちが嬉しかった。そんな気持ちが更に俺を勇気づける。頑張れ。頑張れ。俺は期待を背負っているのだ。たまにはマンガを読んだり、ゲームをしたりしたくなったけれど、その度に俺は携帯に残っている姫香のメールを読んだ。
「直人君、調子どう? 頑張り過ぎてない? 勉強一緒に頑張ろうね」
テスト前に送ってくれた姫香のメール。俺のことをいつも気遣ってくれた俺の大切な人。そんなメールを読んでは、隣に君がいればどんなにいいだろうといつも思う。隣で笑っていてくれたらどんなに幸せだろう。きっと俺はそれだけで何でもできる気がするんだ。頑張るよ俺。姫香にもう1度会う為に。
何度朝を迎えただろう。寝苦しい日も、肌寒くなってきた日も、俺にとってはただの景色でしかなかった。気に留めなければ気づくこともないただの景色。まるで街路樹がいつの間にか色づいているような、そんな感じだ。寒くなってくれば去年の悔しさを思い出した。涙が出て、桐斗に怒られたっけ。力が足りなかった俺に喝を入れてくれたし、俺がどうすべきかまで考えてくれていた。
机に置かれた受験票。俺はもう1度手に取る。カレンダーを見てみると、去年のままだった。
「俺、カレンダーもめくるの忘れてたのか」
新しいカレンダーにつけ替えてみる。もう1年経った。去年の入試が昨日の事のようだが、俺は自信を持って受験票を手に取ると、机の上で笑っている姫香の写真に言った。
「行ってくるよ、姫香」
君のために。君を取り戻すために。
去年とは比べ物にならないほど俺は自信に満ちていた。どんな困難だろうが来るなら来い、受けて立つ。俺は絶対に諦めたりしないんだ。そんな気持ちで俺は再び御崎大学に来ていた。俺の2度目の受験会場。受験自体はなんとなくで受けたものを含めると3度目だが、こんなに勉強を頑張ったのは今までの俺からしたら考えられないことだった。
指定された受験会場へ堂々と進み、配られるテスト用紙を手に取る。焦ることも不安もない。あるのは絶対にできるという確固たる自信のみ。試験開始の合図と共に問題を解き始めて、俺は目を見開いた。去年とは比べ物にならないほどにスラスラと解けるのだ。まるで答えを知っていたかのように答えが浮いて見えた。根拠を持ち、迷いがなく、ひたすら問題を解いていく。去年は解けなかったような問題も今の俺なら解けるのだと、去年には無かった手応えを感じていた。
試験が終わると、校門には去年と同じように桐斗が立っていた。
「お疲れ」
と、また片手を上げて歩いてくる。
「おう」
俺も片手を上げた。
「受験番号は?」
そう訊かれて、俺は受験票を桐斗に見せる。
「232946か」
俺は頷く。俺達は特に何も話すことなくその場で結果が貼り出されるのを待った。指定された時間が近づいてくるほど俺の心臓は鼓動を早めていく。緊張しているのだ。
「直人」
桐斗を見ようとした時、目線の先に結果が貼り出された。
「行こう」
俺達は前へと進んだ。何も言わず、人ごみを掻きわけて前へ。去年と同じように一喜一憂する受験生の間を縫うように前へと。
ようやく番号が見える場所へと進んだ俺はすぐさま自分の番号を探し始めた。
232940
232944
232946
232949
俺は一瞬理解できずにもう1度数字を順に見ていった。
232940
232944
そして次は、
232946
ただその場で固まった。受験票を見てもう1度確認してみる。俺の受験番号は232946で、今目線の先にあるのは、
232946
「あった」
口からその一言だけが出て、頭が現実に追いついていない中肩が強い力に掴まれて揺さぶられる。
「直人!」
桐斗が俺の名前を呼んでいた。これは夢なのか? そう思ってほっぺたをつねってみると、痛かった。俺は目の前で自分の事のように喜ぶ桐斗を見て、ようやく実感がわいてくる。もう1度確認してみて、自分の番号があることに叫んだ。
「あった! あったあったあった!」
周りの目も気にせずに結果を指差してただ叫んだ。俺は桐斗と一緒に叫びながら人ごみを抜けてからまた叫んだ。勢いよく抱きつき、離れては叫ぶ。
「やったぞ直人!」
「受かった!」
今まで頑張って来た長い時間が一瞬で報われた。これで姫香を助ける道が開かれたのだ。夢もなく生きて、成績も人並みだった俺が、今桐斗と同じ場所に立っている。何人もの人達に助けられながらやっとここに来たのだ。そのことがただ嬉しくて、桐斗とはしゃいだ後は何故か涙が止まらなかった。悲しいわけでもないのに涙が出て、次から次へと押し寄せる。これが嬉し涙なんだと初めて知った。こんな感情は初めてだった。努力が実るとはこんなに嬉しい事なのかと初めて知った。
俺はすぐに合格したことを俺と姫香の両親に伝えた。俺の事を支えてくれた大切な両親。俺の事を本当の息子のように愛してくれた姫香の両親。どちらも俺が受かったことを喜んでくれた。俺は期待に応えられたのだ。そう思うだけで嬉しくてたまらなかった。
「ばか、泣いてんじゃねーよ。これで終わりじゃないんだぞ。これから始まるんだっての」
そうだ。俺はこれから医学を学び、腐敗症について詳しく学ぶ。腐敗症の特効薬は俺が浪人して受験勉強に励んでいた時に完成した。前の俺なら今頃自分の学力で入れる大学にとりあえず入って面白くもない講義を聞いていた事だろう。そんな日々がもったいない。俺でもできるんだ。そしてこれからやり遂げるんだ。




