朱い月
漆黒だった鏡矢の瞳が瞬間的に鮮やかな赤色へと変わる。その瞳の中央には、まるで三日月の様な模様が刻まれていた。
村雨へと襲いかかろうとしていた刃は、鏡矢の瞳が変貌したと同時に動きを停止する。思いもよらぬ出来事に、空剣想像の能力者である遠野は目を見開いた。
「な、なんで俺の刃が動きを止めたんだ!?」
敵の様子がおかしい事に気付き、村雨は一旦動きを止める。
その隙に、神崎は村雨の元へと駆け寄った。これで空剣想像が村雨を捉える事はない。
「……まあいいや。あくまで俺の目的は高天原鏡矢の殺害だからね」
開き直った遠野は、鏡矢の方へと視線を戻す。そして、彼の目が血の様な赤色に染まっている事に気付いた。
(目が赤く変色している? ここにきてレベルSの力を使う事にしたのか? だけど、満足に動けない上に大量の剣に囲まれているんだ。今更この状況をひっくり返すなんて不可能だ)
自分の勝利を確信し、遠野は高らかに右手を上げる。
この右手を振り下ろせば、空中に作られた大量の剣が鏡矢を襲うだろう。空気の剣が鏡矢の肌を裂き、抉り、突き刺し、地面を鮮やかな血で埋め尽くすのを想像して、遠野はニヤリと笑みを浮かべた。
「さあ、俺の剣を存分に喰らえ!」
「……残念だが、この刃が俺を捉える事はない」
振り下ろそうとした腕が、鏡矢の言葉によって停止させられる。呆れたといった表情を浮かべて、遠野は鏡矢へと言葉を発した。
「何を馬鹿な事を言ってるんだ? 命乞いをするにしてももう少しマシなやり方があると思うけど」
「既に勝負は決した。俺の友達に手を出そうと考えた時点でな」
ハッタリを言っているのかと遠野は疑う。が、鏡矢の表情には先程の焦りや怒りといった感情は見受けられない。今はただ、無表情に遠野の事を見つめていた。
自らの中に湧き上がってきたわずかな不安を、遠野は笑いながら否定する。
(ありえない。俺の空剣想像の出現速度と反応速度は共に0、15秒。人間の反応速度の限界値と大差ない。いくらあいつの能力が凄かろうと、俺の能力の方が速い!)
遠野は目を見開き、ただ一言だけ言い放つ。
「死ねえ!」
力強く右腕が振り下ろされた。その動作に連動して、大量形成された半透明の刃が動き出す。
――――空剣想像の能力者である遠野自身に向かって。
「!?」
驚きを露にした直後、幾つもの刃が遠野の身を裂き、抉り、突き刺す。
痛みや驚愕による絶叫が中央広場内に木霊する。その場にいた者は、遠野の叫び声に思わず身を震わせた。ただ一人、高天原鏡矢を除いて。
全ての刃が消えた時には、遠野は地面に倒れ伏していた。あまりにも大量な出血で、遠野の周りには赤色の水溜りが出来ている。
「ど、どうなってるんだ? どうして自滅を?」
村雨は釈然としない様子で呟いた。彼の言葉は今起きた光景を目撃した人間全員の疑問だろう。
その中の一人である青谷は、認識不可を使いながらゆっくりと鏡矢へ近づきながら考える。
(今の状況だけを見れば遠野がただ自滅したようにしか見えないが、攻撃を開始する瞬間まで遠野は高天原へと殺意を向けていた。思えば、奴の動きがおかしくなったのは、高天原の目が赤色へと変わってからだ。……これはあくまで推測でしかないが、高天原の能力は相手の目を見て行動を操る能力なのではないか?)
それなら村雨への攻撃の中断、自滅について説明がつく。そして、能力のタネさえ分かれば、青谷に恐れるものなどありはしない。
(目を合わせる事で発動する能力なら、相手の目を見なければいい。いや、そもそも高天原には俺の姿が見えていないのだ。任務の遂行に支障はない)
ローブの懐へと手を伸ばし、青谷はナイフを引き出した。それを前に構え、自らに背を向けているターゲットへと刃を突き立てる。
(お前には恨みなどない。だが、これは任務だ)
ゆっくりと移動していた足の速度を徐々に上げ、青谷は後ろから鏡矢へと迫る。ナイフが太陽に照らされ、鈍い光を放った。
しかし、結果としてその刃が鏡矢の肌を突き刺す事はなかった。
身を翻し、鏡矢は突き出された青谷の手首を掴んだ。そして、静かに赤い双眸で襲撃者を睨みつける。