第三十九話 この状況で俺にできることは、彼女たちに声をかけることだけです
なんで、なんでなんだ!
なんでセシリアの相手が、よりによって“カリナ”なんだよ!
今まで何十回と練習してきて、セシリアが一度も勝てなかった相手だぞ?
くそったれ!
でも……いくら怒ったって、文句言ったって、俺にはなにも変えられない。
いまの俺ができるのは、一つだけ。
精一杯、2人を応援すること。
「ふぅ……」
一度深呼吸して、俺は控え室に戻った。
セシリアはさっきと同じ場所でアップをしていた。だがその動きは、どこかぎこちない。足の運びも、ジャブのタイミングも、いつもと少しズレている。
俺はまっすぐセシリアのもとへ向かった。
「セシリア! 余計なことは考えるな!」
少し声が大きくなってしまったが、気にしない。
そして彼女の肩をバシッと叩いた。
「今日の試合は、今までの練習の成果を発揮することだけを考えるんだ!」
セシリアは一瞬目を見開いたあと、パッと笑顔を作って頷いた。
「うん! 分かった! ありがとうコウタ先生!」
いつもの、あの明るい笑顔だった。
だけど――わかってしまう。俺には。
その瞳の奥には、まだ迷いが残っていた。
その笑顔は、ちょっとだけ強がりの笑顔だった。
「……大丈夫だ、セシリア。お前はやれる。ちゃんと努力したんだから」
そう言い残して、今度は控え室の反対側へと足を運んだ。
そこには、控え室の片隅で、ひとりシャドーボクシングを続けるカリナがいた。
無駄のない鋭い動き。拳が空気を裂き、ステップを踏むたびに髪がふわりと揺れる。
――ほんとに、見事なもんだ。敵に回したくないわ、マジで。
でも、今の彼女の拳から感じるのは、どこか…迷いを含んだ不安定な気配だった。
「カリナ!」
俺は大きく呼びかけた。
すると、カリナはピタリと動きを止めた。そして、ゆっくりとこちらに顔を向けた。
「コウタ先生……」
その声は、普段のキリッとした彼女からは想像できないほど、か細くて、震えていた。
分かるよ。セシリアと戦うなんて、本当は嫌だよな。
仲良く笑い合ってた相手と、命のやりとりみたいな拳闘をするなんて――普通の感情を持っていたら、できっこない。
「カリナ、おまえは何も気にするな! 拳闘士だろ? 目の前の相手を倒すことだけ考えろ!」
カリナの不安を払拭しようと、あえて強い言葉をぶつけた。
「でも……」
カリナの口からマイナスの言葉が出そうになる。
迷っているんだろう。
セシリアとの友情を取るか、拳闘士としての使命を取るか――。
そのはざまで、もがいていた。
だから俺は、カリナの言葉を遮るように話し続けた。
「大丈夫だ」
俺は言った。迷いなく。
「何も気にするな。自分のことだけ考えろ。迷いを持ってリングに上がるな」
俺がそう言うと、カリナは目を見開いた。俺の言葉が胸に届いたんだろう。
そして――その表情から、迷いがスッと消えていったのが分かった。少しずつ、戦う者の顔に戻っていく。
「……うん。分かった。わたし、頑張る!」
カリナが言った。
その決意に満ちた声が、控え室に響いた。
たぶんセシリアにも、届いたはずだ。
もう大丈夫だ。
この2人なら、きっと、全力で戦える。
俺は控え室を後にした。
これでいい。これで、いいんだ。
カリナ対セシリアの対戦カードが決まってしまったからには、2人にはその試合にだけ集中してほしい。
今までの2人の関係や、まして俺の奴隷解放のことなんて気にしている場合じゃない。
あの2人は、拳闘士なのだから。




