バート殿下との舌戦、そして……
「そこの侯爵令嬢! 俺のセミスに告白するとは何事だぁ!」
真っ青な空から降り立ったその男は、間違いなくこの国の第二王子のバートだった。
真上を見ればそこには屋敷の屋根があった。ここから飛び降りて来たのだろうと思われる。
モーリスもセミス嬢も、彼の突然の登場に呆気に取られてしまった。
まさかこんなところから現れるだなんて思ってもいず、驚きに声を上げることすらできなかったのだ。
先に我に返ったのはモーリスの方だった。
「ば、バート殿下。どうしてここにいるんです?」
「どうしても何もあるか! セミスがトレディン侯爵家へ向かうというから心配してこっそり来てみればこれだ! 『どうしようもなくあなたのことを好きになってしまったのです』だと!? 俺という婚約者がいるのを知っていように、まだ諦めないのか!」
彼が現れることは想定外の事態であり、もはや予定がガタ崩れだ。
これではセミス公爵令嬢を口説き落とすことができないではないか。おのれバート王子。
「諦められるはずがございません。わたくし、本当にセミス嬢のことを思っているのです。心からお慕いいたしております」
「本気なのか、侯爵令嬢。君の言っていることは貴族界を脅かすようなことだぞ。同性が愛し合うなどと」
「なぜ愛し合ってはいけないのです? 性別に囚われるなど時代遅れでは?」
モーリスは必死で抗戦していた。
ここで負ければ、もうチャンスはない。だから後には引けないのだ。
徹底的な舌戦を繰り広げよう。
「ならんことはならん! 弟との婚約を解消した真意はこれか。呆れたぞ」
「エンドピオはわたくしを応援してくださっているのです。わたくしはただ己の心に従っているだけ。間違っていることをしているとは思っておりません」
「エンドピオが応援!? あいつ、後で引っ叩いてやる」
バート王子はどうやら理解がないらしい。
まあ、多くの貴族がそうだろう。彼と同じようにモーリスを頭がイカれていると罵り、それに協力するエンドピオも非難されるかも知れなかった。
エンドピオに迷惑をかけたいわけではない。だから早く終わらせたいという気持ちもモーリスにはあった。
「バート殿下。しきたりではなく、セミス嬢のお気持ちが一番です」
「貴族たるものしきたりを軽んじるのか? トレディン侯爵家はここまで格が落ちたということか」
「父はきっと反対なさるでしょう。これはわたくしの独断です。――セミス嬢、わたくしはここまでをしてもあなたを愛しているのです。どうか応えてはくださいませんか」
「以前も言っていただろう、俺がいるから君はいらないと」
「そうはおっしゃっておりません。彼女は、『ごめんなさいませ。私、この方と婚約しましたの。ですからあなたのお気持ちは受け取れませんわ』とおっしゃったのです! あなたは胸を張ってセミス嬢に慕われていると言えるのですか!?」
思わず大声を出してしまった。
モーリスはハッとなり、セミス嬢の方を見る。彼女はなぜか薄く微笑んでいた。
「どう……されたのですか?」
「すみません。なんだか、あなたが愛らしく見えてしまいましたの」
そう言いながらセミス嬢は、そっと椅子を立ち上がる。
そして――。
モーリスの頬に口づけを、した。
「これでお許しくださいませ。あなたのことはお友達だと思っておりますわ。ですが、これ以上のことはできかねるのです」
ひだまりのような笑顔は、しかしどこか遠く思える。
モーリスは何を言われたかがしばらく理解できず、凍りついた。
「では失礼いたしました。これからもぜひ、仲良くしてくださると嬉しいですわ」
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しばらくして、モーリスは自分が失恋したのだと気づいた。