10 第一村人
森を抜ける頃には、もう空は橙色に染まり、紫色が勢力を増し始めていた。
氷玉という巨大な荷物が増えたため移動速度がかなり落ちてしまっただけでなく、
「ちょっとエージ! その蛇の皮、絶対に傷つけちゃダメよ!」
と何度も念押しされたため、こまめに氷を追加していたせいもある。氷を球形から俵型に変えて転がる方向を安定させたり、ロープと木の枝で即席の無限軌道を作ったりの工夫をしなければ、もっと時間がかかっていたことだろう。
道標にしていた沢はここで大きく西に逸れ、かわりに正面には東から延びてきた街道が北に曲がっていく様子が見えていた。沢と街道が刹那に近づいている場所には、誰かが野営をした跡がいくつか見受けられる。街道の先には人工物らしきものの集まりがわずかに見え、そこが町だということを予感させる。ここまで来れば、もう大きな動物の危険はないだろう。
人間が一番危険? まあ、そういう考え方もあるな。否定はできない。
「まだ町までは暫くかかりそうだな……」
「そうね。でもそれを補って余りある獲物よ」
「これで安かったらお仕置きだかんな」
「そ、それは大丈夫よ。これだけの大物、肉だけでも金貨三枚くらいになるわ」
「どっちにしろ、せっかくここまで運んできたんだから町までは持って行くさ。とりあえず行ける所までは進もう」
「何をさっきからきょろきょろしているの?」
「いや、街道の割には人がいないなと思って」
そう思っていることも本当だがそれは二割ほどで、残りの八割ほどは別の理由である。
俺の知っている物語では、町から少し離れたこのあたりで女性が魔物に襲われていて、それを助けて一緒に町へ行ったり、でなければ町で再会したりし、後にハーレム入りするのが定番なのだ。さて、会えるのは薬草を摘みに出た町娘だろうか、それとも視察に来た姫様だろうか。
「そりゃそうよ。どんな街道を予想してたのか知らないけど、日常的に町から町に移動するのなんて商人だけだから、街道なんて一日歩いてすれ違うのは十人がせいぜいよ。それにこんな時間、普通の旅人はとっくに町まで着いているし、今から町を出発する馬鹿も滅多にいないわ」
「言われてみればその通りだな……」
「だからこの時間に外にいるのは、何かアクシデントがあった人くらいね。馬車が壊れたとか、何かに襲われたとか、でなければ獲物が大きすぎて運ぶのに手間取ったとか」
「最後のには心当たりがあるな」
「あら奇遇ね、私もよ」
「……理由はともあれ夜に一人なのは危険だから、お仲間がいるなら一緒に行動したい。何か物音が聞こえたら教えてくれ」
よし、いい感じに言いくるめられたぞ。たぶん。
「それが盗賊の囮でないことを願うわ」
「ああ、そういうこともあるのか。面倒くさいな人間ってのは」
「エージも人間でしょうに。で、以上の危険性を示した上で教えるけど、あっちの方向に誰かいるみたいよ」
「は!?」
方向は進路とそう違わない。このまま進むだけで自然とお互い感知する距離に入るだろう。そうなるとたとえ囮でも関わらない訳にはいかなさそうだから、考えるだけ無駄か。何かに襲われていたら早く助けないといけないし、それならさっさと行くべきだ。何より、未来の妻かもしれないのだ。
「おう兄ちゃん、助けてくれ! 礼はするから!」
確かにケイの言う通りの場所に人がいた。この世界に来て初めて会う人間だ。だが男だった。間違っても俺の嫁ではない。
「兄ちゃんと言われても、どう見ても俺の方が弟なんですが?」
俺の見た目は日本なら中学に上がったくらい。一方その男は二十代後半くらい、およそダブルスコアだ。体格はそこそこゴツく、全身バランス良く筋肉が発達している。いや、この世界は重機も自動車もなさそうだから、これくらいが普通なのかも知れないが。
「年は知らん、偉い方が兄貴だ。助けてくれ」
案外謙虚な奴だな。
「助けるのは吝かでないが、その状況になった理由を教えてくれ」
見た限り、命に関わる状況ではなさそうだ。敵意がないか確認するためにも、このくらいの質問はいいだろう。
「見た通りよ。肉を食べたくて罠を仕掛けててさ、ちゃんと動くか確認してたらよ、うっかり自分が掛かっちまったんだ」
網に捕えられ宙吊りになっている男を見上げる。何と言うか、原因も絵面も間抜けだ。だが悪い奴ではなさそうだし、そう手間がかかることでもない。恩を売っておくのもいいだろう。
「なるほど、事情はわかった。ちょっと待っててな」
男を吊り上げているロープの反対側に岩が結びつけられている。それを切り落とせば自然と……
ドスン。
「いてえ! いきなり落とすのはナシだろ!」
「すまん、考えてなかった。マジで悪い」
両手を合わせて謝る。
「ゆっくり降ろす方法がないのはわかるけどさ、せめて掛け声くらいくれないと、心構えってもんがあるんだよ。……でもまあおかげで助かった、ありがとよ」
「いやこちらこそ申し訳ない」
改めて詫びておく。
「俺はガナシュだ。この先、ラミスクの町で宿屋をやっている」
「エージ、えーと簡単に言うと、町を探して森からここまでやって来た」
「そうか。すまんがもう忙しい時間帯だ、急いで帰らなきゃいけないんで、先に行かせてもらう。今は手持ちもないが、寄ってくれれば何かお礼をする。宿屋の場所はそこらの人に聞いてくれればすぐわかるはずだ」
「じゃあ遠慮なく寄らせてもらう。気をつけてな」
「ああ、お互いにな」
ガナシュは町の方向に走って行った。俺は大荷物があるので後から行く。
せっかくだから明日にでも立ち寄ってみよう。宿屋はどうせ探さないといけないものだから、ある意味手間が省けたかもしれない。
……しまった。一人だと不安だから仲間と一緒に行動しよう作戦、失敗した。




