俺様ご立腹
ねぇアスギル―――と、青い瞳の可愛らしい少女が無邪気に呼び掛ける。そして我が身でありながらも異なる少年の声が『ミモス』と少女に応えた。
飾らない屈託のない笑顔。少女の笑顔が何よりも自分の心を落ち着かせてくれ、イオは何よりもこの少女が大切な人だと感じる気持ちが自分のものでないと早々に理解した。けれどイオはアスギルと呼ばれた自分さえもが少女に見つめられ嬉しいと感じているのに気付く。
これは夢じゃない、今自分はアスギルの中にいるんだとわかった。どうやって入り込んだのか知れないが、アスギルの中にいて子供の頃のアスギルを感じている。可愛い愛しい少女はアスギルにとって命よりも大切なもの。けれどけして手に入れてはいけないと、悲しくも聡い少年はきちんと己の立場を、身を理解していた。
少女はルー帝国一六代皇帝の妃となるべくして生まれた身だ。そして皇帝となるべく生まれた少年もまた、アスギルが命よりも大切にし守りたいと願う友達。何れ二人は先を歩き、アスギルを残して世を去る運命にあるのだと、アスギルは幼い少年の肉体に起きている変化に気付いていた。
同じ時は歩めない、ゆっくりだが確実に置いて行かれている肉体を悲しく思い、仕方がないのだとあきらめる。これも大切な二人の為にある出来事と思えば乗り越えられる。そんな子供のアスギルが抱く大人びた言い訳にイオは悲しくなり、抱きしめてやりたいと願うが敵わなかった。
*****
「ルー帝国って、闇の魔法使いに滅ぼされた国だったわよね。」
朝食の席で呟いたイオにアルフェオンは「そうだよ」と端的に答える。
ルー帝国だけではない。当時はウィラーン王国を除いてすべての国が闇の魔法使いによって消滅させられていたが、アルフェオンは先日イオに与えた知識を改めて植え直す様な事はしなかった。
闇の魔法使いがどのような術を使い多くの人を殺め世界を炎で焼き尽くしたのか、アルフェオンも見知っている訳ではないので詳しく話せた訳ではない。けれどルー帝国十八代皇帝が彼に仕えていた魔法使いに殺され、それを皮切りに闇の魔法使いが世界を滅亡へと導き始めた史実を、アルフェオンは知りうる限りの知識でイオに説明して聞かせてくれた。
女子供に至るまで容赦なく焼き尽くした。その片鱗は闇の魔法使いがルー帝国十八代ハクヨ皇帝に仕えていた時分より見え隠れしていたのだという。戦争など起こす力もない小さな国は一晩で焼き尽くされルー帝国領となった。独断か命令かは知れないがその功労者は間違いなく後に闇の魔法使いと呼ばれたその人だ。
目覚めた状態で記憶の欠片を垣間見てより数日、あれ以来日中にイオを不安が襲う事はない。けれどいつ来るか解らない殺戮に脅えている自分自身にイオは後ろめたさを感じていた。
過去の殺戮の場面、一瞬見えた血の世界はまさにそれだ。血に染まった掌に黒く焼き尽された瓦礫の世界。その中心に我が身があり、すぐ側では自分のものではない黒髪が爆風に揺れていた。
身を焼く炎、肉が焦げた臭い。すぐ近くで上がる悲鳴なのに遠くに感じ、何の感情もなく見て聞いて感じるこの身が恐ろしかった。今はあの時感じた体が自分の体ではないと解っていたが、地獄絵図の中にあって虚空を見つめる我が身は異常でしかなかった。
この手で命を奪っておきながら身に感じたのは一瞬の達成感。ああ、約束が守られるとの安堵はあの少女に向けられたもの。
意識を失い目覚めたとき、心配そうに瞳を揺らしていたアルフェオンの姿に安堵して胸を借り泣いてしまった。恥も外聞もない、ただ怖くてたまらなかったのだ。そんなイオを抱き締め落ち着くと、アルフェオンはこれからイオの身に起きるであろう出来事を、言葉を選びながらゆっくりと言い聞かせるように教えてくれた。
闇の魔法使い―――アスギルの経験した過去の記憶が襲い来る。それはけして見ていて楽しい物ではないし、正視し難いものに違いない。けれどけして逃れられないもので、イオがそのような責め苦を受けるのはアルフェオン自身が望んでしまったことだと。
そうしなければイオは意識を取り戻せなかった、あのまま死んでしまっていたのだ。
死ぬのは怖い、特に何かをやり遂げたいとか大きな信念がある訳ではないけれど、死ぬのは怖かった。助けてくれてありがとうと感謝する気持ちはあるし、アルフェオンやイグジュアートを残して一人だけ先に死んでしまうのも嫌だった。だからアルフェオンのせいではないと言ったが、アルフェオンは自分のせいだと首を振るのだ。
アスギルはイオの精神がどうなるのかと案じていた。けれどアルフェオンは失う怖さにイオを気遣う余裕などなかったのだと。だからイオがこれから受けるであろう責め苦は自分のせいだ、何があっても見守り助けるから一緒に乗り越えて欲しいと抱きしめられ、イオはそれに頷いた。
闇の魔法使いが起こした出来事を我が身を持って知る。それはアスギルの過去で、その過去がどんなものであってもアスギルを嫌う理由にしてはならないと自分にも言い聞かせた。あくまでも過去は過去、今のアスギルが出来上がる過程に過ぎないのだ。予め来ると解っていれば相応の対応も出来る。さあこいと気合を入れて数日経つが、夢として見るアスギルの記憶は穏やかで、運の良い事に惨劇の欠片はあの日以来見ていない。
「そこでね、アスギルの大切な二人が皇帝とお妃さまをしているの。それを見てとても幸せに感じるのよ。生涯この国を守って行くのだと、それがアスギルの生きる意味なんだってひしひしと感じるのに―――」
どうして滅ぼしてしまったのかしらと呟いたイオは食事の手を止め、目の前に座ったイグジュアートをじっと見つめた。
「なに?」
硬めのパンを咀嚼しながらイグジュアートが話を促すと、イオは淡い紫の瞳を細め今朝方みた夢を語って聞かせる。
「アスギルが子供を拾ったの。イグに似てとても綺麗な子供だけど、すっごく捻くれた敵意丸出しの子猫みたいな態度でね。あれがあのフィルネスだと思うと……ふふっ…」
「え、なに? なにか面白い事があるのか?」
口元を掌で隠して笑いを堪えるイオにイグジュアートが詰め寄り、アルフェオンも何だと様子を窺っていた。
断片的に見る記憶をイオはこうして語ってくれる。昨日まではどれもこれも幸せなアスギルの子供の頃だったが、今朝はどうやら話が進んでいる様子だ。笑っているから楽しかったのだろうが、その先にある未来を考えるとアルフェオンは些か複雑な心境だった。
「見つけた時は煤に塗れて真っ黒だったの。それをアスギルが池に放り込んで。アスギルに悪気はないのよ、水に入れば綺麗になるって思ったみたいなんだけど、その日は池が薄っすら凍る程の寒さでね。氷を割って池に沈んだフィルネスを前にしてようやく状況を飲み込めたアスギルったら、今度はフィルネスを燃やしちゃったのよ!」
「俺はその状況を笑って話すイオを恐ろしく感じるんだけど?!」
くくくっ、と笑うイオにイグジュアートは頭を抱える。
戦場で出会った子供。いわゆる戦災孤児になるのだが、その子供はとても大きな魔力を秘めていた。それが悪しき方へ育つのを懸念してアスギルは手元に引き寄せたのだ。
どうやらアスギルはそういった類の人種を放っておけない性質の様で、イオも大き過ぎる魔力を秘めていたお陰でアスギルの世話になった。けれどイオが見る限りアスギルは人に情を抱くが面倒をみるのが苦手の様だ。自分の事に対してもだが、アスギルは周囲に対してもまるで気が利かないのだ。
子供のフィルネスを見つけて綺麗にしようとしたアスギルは、凍える寒さの中で氷の張る池にフィルネスを放り込み、じっと睨まれて自分の失態に気付いて慌てて乾かした。その慌てる様がおかしくてイオは笑っているのだ。
けれど乾かす為に燃やしてしまったという状況で笑えるイオは確実におかしい。とんでもない夢のせいで狂ってしまったのではないかと心配するイグジュアートに、自分は大丈夫、そうじゃないのだと、笑いを堪えながらパタパタと手を振った。
「わたしだって慌てたわ、相手が子供じゃなくても燃やされちゃったんだもの、驚くわよ。でも燃やされたフィルネスは傷一つなくて、それ所か煤に塗れた体が綺麗になっちゃってたの。わたしはアスギルとしてそれを見ていたけど、いったいどうやったのか全く分からなかったわ。」
アスギルとして彼の記憶を辿っているのだが、記憶を知識として共有できても、魔法については何も考えず本能だけで扱えるアスギルの技は習得できない。
「勿論着ていたものは燃えてなくなってしまってたんだけど。綺麗になったけど服を燃やされて裸にされたフィルネスったらね。腰に手を当てて堂々とさ、言ったのよ。」
「なんて?」
「俺様の美貌に嫉妬してんのか、ですって。自己陶酔の激しさは子供の頃から筋金入りなのね。っていうか、あの状況で腰に手を当てていう? 陶酔中は寒さも感じないみたいで震えるどころか鳥肌一つたってなかったのよ。」
出会った時から随分堂々とした子供だった。戦場の焼け跡に佇んでいたフィルネスはアスギルの魔法を恐れない強い瞳をしていたのがとても印象的だ。
「そんなフィルネスにアスギルったら、本当に訳が解らないって風に首を傾げて悩みだしたの。アスギルにはフィルネスの美貌がまるで理解できなかったのよね。本気で悩むアスギルを見てフィルネスったら酷くショックを受けたらしくて、水の中に両手をついて悲壮感漂わせながらうなだれていたわ。アスギルは見た目に頓着しないからフィルネスの外見なんて全く理解できないのよね。」
ルー帝国の皇帝と妃を友人に持つというのに、生きることに執着がないせいか身に纏う物もまったく気にしていない。何時も同じ黒いローブだし、お金はたんまり持っているくせに住んでいるのも普通の庶民と変わらない。食べ物にも興味がなく口に出来る物なら何でも構わない。多少腐っていても魔法のお陰で体を壊す事もなく、興味といったら大切な二人を守ることだけで。自分に頓着しないにも程があり過ぎた。
「その後アスギルと暮らしだしたフィルネスがいじらしくて可愛いの。アスギルが大好きだけど素直になれなくて悪態ばっかり付く癖に、ずぼらなアスギルの世話を甲斐甲斐しく焼いてまるで幼な妻。それをアスギルったら鈍感過ぎてまったく解ってなくて。アスギルの側にいたいフィルネスは魔法を学ぶって理由で常に付き従って離れなかったけど、アスギルは誰かに教えて貰わなくても魔法が使えたから教えるのがとても苦手でね。フィルネスはほぼ独学でアスギルから技を習得していったのよ。褒めて欲しい一心で凄く努力しているのにアスギルはほぼ無反応。見ているこっちまでが切なくなったわ。あ、それにフィルネスったら時々アスギルの布団に潜り込んでくるのよ。熟睡しているから気付かれてないと思ってるんだけど、本当はアスギルは目が覚めてて、どうしてこの子は一緒の布団に寝たがるんだろうって真剣に考えてるけどちっとも答えが出せないのよ。」
「ほお、そいつは初耳だ。無駄な情報ありがとう、感謝するぜお喋り女。」
頭上から落ちた冷たい声にイオの全身が一瞬で凍りつく。突然イオの背後に現れた輩にアルフェオンとイグジュアートが驚き目を見開くと、背後の男が綺麗な手でイオの頭を鷲掴みにした。
「いっ、痛い痛い痛いっ!」
「ぺらぺらぺらぺらと他人の過去を許可なく勝手にほざきやがって。てめぇみてぇなのを口から先に生まれて来たっつうんだよ。」
綺麗な細腕の何処にそんな力があるのか。フィルネスの掌がぎりぎりとイオの頭を万力となって絞め付ける。
「言っとくがぁな、面倒見がいいのは俺の地だ。それを何だ? 幼な妻だって? 気色悪ぃ妄想まきちらしてんじゃねぇよ糞女が。てめぇの頭は腐ってんのか。腐った頭なんざいらねぇよな。伝染する。俺様自らが処分してやるから有り難く思えよ?」
ぎりぎりと絞め付けられイオは更に悲鳴を上げた。
「痛い痛い、ごめんなさいっ。アスギルが好き過ぎてほっぺにチュウしてたのは言ってないから許してよっ!」
「てめぇみてぇなのを本物の腐女子っつんだな。見事に腐ってんぜ、脳みそトロトロだ。」
「ちぃがぁうぅぅぅ―――やめてぇぇぇぇ!」
神をも跪く微笑みは悪魔の微笑み。
それはそれは楽しそうに苦痛を与えるフィルネスを、アルフェオンもイグジュアートも止める術なく唖然と見つめてしまい、二人がはっとしてようやく止めに入る頃には、イオは既に虫の息であった。




