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心の鎖  作者: momo
七章 眠れる冬
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闇と賢者




 西の空が赤く染まる頃、意識のないイオはアルフェオンに抱かれ馬車に揺られる。そうして屋敷に戻ると、いつもはいない筈の侍女が数人配置されており、暖炉には火が入れられ部屋は十分に暖められていた。

 イオは使いなれた部屋の寝台に寝かされ、侍女らによって細心の注意を払いながら川の水に汚れた髪や肌を拭われ衣服を整えられる。


 あの後、街にある騎士団の詰所はちょっとした騒ぎになった。馬で駆けつけたレオンの存在もあるが、何よりも王城より迎えの馬車が使わされたのだ。多少は控え目で絢爛な装飾は施されていなかったが、王家の紋章入りの馬車が庶民を守る騎士団詰所の前に止まり、何事かと多くのやじ馬が取り囲んだ。

 迎えに来たのはラウルと宰相で、国王ハイベルの命によりイオの身柄は城で預かると決められたのだ。

 

 宰相自らの出迎えに居合わせた騎士らの驚きは計り知れない。騎士団宿舎に勤めるただの娘にこの待遇は一体と誰もが驚いて当然である。


 国王がこの場にいたならレオンも直接反対意見を述べられたのだが、決定事項を預かって来た宰相に何を言っても無駄だった。宰相も国王の命令を己の意志で違えるわけにはいかない。けれどそれを覆したのは恐れを知らないイグジュアートの一言だった。

 『城なんかで目が覚めたらイオは絶対に頓死する』と。

 一瞬言葉に詰まりながらもそんな訳があるものかと冷静を装い返した宰相に、『アスギルは城には寄らないだろう』と痛い面を突いたのもイグジュアートで。『人質にするつもりか』と声を荒げられては、先のフィルネスによる件もあり、アスギルの怒りを恐れる宰相も引くしかなかった。


 そのお陰でイオは王家の紋章入りの馬車でレオンの屋敷へ戻って来る事が出来たのだ。わざわざ城からイオを迎えに来た宰相も無駄足という訳ではない。権力を笠にタンブレンを悩ませていたライズ男爵とそのご令嬢は、貴族だからという特例など認めない、一般市民の集う場で起きた犯罪は市民と同じ量刑をもって罰せられると宰相自らが宣言し、レティシアはそのまま彼女が軽視する一般人の牢へと繋がれ刑の執行を待つ身となった。

 王家の後ろ盾がある人間に手を出してしまった現実にライズ男爵は嘆き、納得できないとレティシアは喚き散らしていたが両脇を騎士に拘束され牢へと連行されて行った。


 犯した罪を償うのは当然だが、それでイオの意識が戻る訳でもない。やりきれない思いを抱えたアルフェオンは意識の戻らないイオを一晩中見守り続けた。隣で同じく見守っていたイグジュアートはイオの手を握り締めたまま同じ寝台に顔を埋め眠ってしまっている。どうしてあの場所にいたのかと責めないイグジュアートに申し訳ない思いを抱きながら、風邪をひかない様に毛布をかけてやる。正騎士への昇格を祝ってやりたい思いがこんな形を生むなんて―――アルフェオンはイオにもイグジュアートにも詫びる言葉がなかった。


 どんなに悔いても時間は無情に流れるものである。

 夜が明け出勤の時間がくればアルフェオンは仕事に向かわなければならない。彼には多くの新人を預かる責任がある。正騎士昇格の時期を前に自分の事情で職を放棄する訳にはいかなかった。

 すると今日は休むだろうと思っていたイグジュアートも支度を始める。イオが目を覚ました時にさぼっているのがばれたら叱られるからと希望を口にし、けれど悲壮感溢れる表情は隠せていなかった。


 イグジュアートの出発を引き止め、なぜ責めないのかとアルフェオンは聞いた。一晩経ち守り切れなかった思いが一層強く後悔の念を生む。誰かに責めて欲しくて出てしまった言葉だったが、イグジュアートは首を振って俯いた。


 「昨日の朝イオはものすごく嬉しそうにしていたんだ。アルフェオンと出かけるからだったんだろ? それを責める気持ちなんておきないよ。でも、だから余計にあの女が許せない。」


 アルフェオンと違ってイグジュアートはあの橋で待ち合わせる意味をサリィから聞いて知っている。イオの想いをイグジュアートの口から言うつもりはないが、イオが楽しみにしていたに違いない一時を台無しにしたレティシアをイグジュアートは絶対に許せないだろう。今のイグジュアートはレティシアを恨む感情で己を保っている様な物だった。


 二人がいない間はレオンが配属してくれた侍女たちが交代でイオの世話をしてくれるという。信頼できる人間だからと城に勤める女官の中から選別されたのだ。女官だというには勿論貴族出身だが若い娘ではなく、長く城に勤めきっちりと仕事の出来る者だという。宜しく頼むと頭を下げるアルフェオンに『お預かりいたします』と侍女たちも頭を下げ返した。



 アルフェオンが異変に気付いたのはそれから三日後、仕事から帰宅してイオの様子を窺っていた時だ。長い銀色の髪に指を通し櫛で梳かすようにしてやると、まるで洗いたての様に艶やかな髪がさらさらと零れ落ちた。


 頭を打ち昏睡状態であるイオは体を綺麗に拭ってもらっても髪は洗っていない。櫛で梳き汚れを落としても土色の濁流にのまれた時のままだ。世話人が間違えて洗ってしまったのかと考えたが、もとは女官として城に仕えるか弱い女性が、意識のないイオの髪を一人で洗い始末を終えるのは困難だろう。そもそも有能な彼女らがそのような間違いを犯したりするだろうか。


 それにあれから三日たつ。食べる事は叶わず口内は水で潤す程度。普通の人間は飲まず食わずでは生きて行けないのだが、意識は戻らないもののイオの顔色は悪くはなく、食べてないのに関わらずまるで時が止まったかのように痩せる事無く肌は瑞々しいままだった。


 まさかという思いからアルフェオンは部屋を見渡す。人の気配はない。だがしかし、そうかもしれないと思い出すとそこにいる様な気がしてならなかった。


 「アスギル、いるのか?」


 しんとした室内で探る様に囁くが変化はない。けれど思えば思う程間違いではない気持ちがアルフェオンを支配した。


 「いるんだろう、アスギル。頼むから―――姿を見せてくれ。」

 「呼ばれてるぞ、さっさと出てこい。」


 突然聞き覚えのない声が背後で上がり驚き振り返ると、漆黒のローブに身を包んだ銀色の美しい男がアルフェオンの背後に視線を送っていた。


 いったいどうやってと考え警戒したのは一瞬。すぐにこの神々しい美貌を放つ男こそがフィルネスであると理解する。


 「いるのか、アスギルが?」

 「いるぜ、初めっからな。」

 「では何故姿を見せないっ!」


 フィルネスが視線を送る先に向かってアルフェオンが声を荒げた。

 初めからいた、それはまさかイオを川から引き上げた時なのではないだろうなと、どこにいるか解らないアスギルに向かって無言で訴える。


 「おら、さっさと出てこいよ。いつまで脅えてるつもりだ。」

 

 言う事を聞かない子供に苛立つかのようにフィルネスの声が低くなると、見つめる先の空間が揺れ眉間に皺を寄せ悲痛な表情を浮かべたアスギルが姿を現した。


 「アスギル―――」


 言いたい事は決まっている、イオを助けて欲しい。けれどアスギルの悲痛な表情にアルフェオンは次の言葉を失ってしまった。

 何故だ、何故そんな顔をしているのか。アルフェオンの目の前で二度、イグジュアートを魔物の毒から生還させてくれたのを含めると三度も奇跡を起こしてくれたアスギル。そのアスギルがこのような表情を浮かべているのは初めてで嫌な予感が過った。


 頼むから無理という言葉を紡がないでくれと切実に願いながら訴える。


 「イオを、彼女を助けてくれないか。」


 瞼を伏せ赤い瞳がイオへと落とされる。古いローブから五本の指が覗きイオの額をさらりと撫でながらその場に膝を付くと、切ない吐息を吐きだしながらゆっくりとイオの肩口に額を摺り寄せた。


 「闇へ落とす事になる―――」


 掠れた声は泣いているように聞こえた。闇に落とす事になる、だから出来ないと訴えたアスギルはゆっくりと頭を上げるとフィルネスへ赤い瞳を重ねる。


 「お前に頼みたい。」

 「阿呆、俺がやっても五分だ。てめぇなら完全に呼び戻せる。」

 

 フィルネスは己の力不足を嫌そうに露見させ、自分でやれとアスギルをせっついた。けれどアスギルはやると即答してくれない。

 助けられるならどうして助けてくれない、イオの意識を完全に呼び戻せるのなら何故そうしてくれないのか。


 「頼むアスギル!」


 懇願するアルフェオンにアスギルは無情にもゆっくりと首を振った。


 「呼び戻しても心が死んでしまう―――」

 「―――かも、知れねぇだろ。」


 言葉足らずのアスギルを引き継ぐフィルネスにアルフェオンはどういう意味だと視線で問う。

 助けられないとは口しない、けれど助けようとしないアスギル。そして助けを促すフィルネスは全ての事情を察している様子だ。


 するとフィルネスはとても嫌そうに、けれどアルフェオンの望む答えを提供してくれた。


 「頭を打ったせいで意識が飛んでんだ、ほっときゃもうすぐ死んじまうから肉体を維持する魔法をアスギルがかけた。けどな、このまんまじゃ屍同然、意識を呼び戻さねぇと腐らねぇ人形って事だ。頭ん中の何処かにある意識の片鱗を掴んで呼び戻しゃあ目を覚ますが、口にする程簡単じゃねぇ。」

 「貴方では無理なのか?」

 「できねぇ訳でもねぇが、五分だ。失敗すりゃ俺もこの女も危なくなる。」

 「それがアスギルになら出来ると言う事なんだな?」

 「まぁな。アスギルになら簡単な事だろうよ。」


 力の差を認めるのは癪なのだろう。美しい顔を顰めて話すフィルネスにアルフェオンは頷いた。


 「それで、闇に落ちると言うのは?」


 助けたくない訳ではない、けれど決断できずにいるアスギルに質問を向けると、アスギルは躊躇した後口を開いた。


 「失われた意識を呼びもどす為に互いの意識を繋げると互いの記憶を共有することになる。私の過去は彼女の精神を壊してしまう可能性が極めて高い。」


 闇の魔法使いとして名を馳せるアスギルの記憶はイオが抱えるには耐えられない、心を壊してしまうからとアスギルは首を振るばかりだ。


 アルフェオンは世界中の誰もが伝え知る闇の魔法使いの所業を振り返った。一晩で国一つを焼き尽くし荒野に変えた力。ルー帝国皇帝に反旗を翻した瞬間の殺戮の対象が皇帝自身の首。その手で下した行いの記憶をイオが我が物の様に共有する。

 人を人が殺めるその瞬間がどの程度の鮮明さで記されるのか。記憶は薄れるものだが忘れられないものもある。


 「落ちてもこの男が引き戻すさ。」


 悲嘆に暮れるアスギルにフィルネスがさらりと言い放つ。


 「その女が人形のままで満足か、生きていて欲しい癖に強がるのもいいかげんにしやがれ。なぁアスギル、一生に一度位はてめぇの為だけに動いたって誰も文句はいわねぇぞ。命令に従うんじゃなく、てめぇが望むまま後先考えずやったってその女はてめぇを恨んだりしやしねぇ。」


 愛した女性に誓った忠誠を貫き通したアスギル。意に沿わぬ行いも彼女に捧げた我が身を犠牲にし尽くした彼を知るフィルネスは、ただ自分の為だけに動くのも悪くないと諭すが、アスギルは悲嘆に暮れ頼りない様子を一変させ、しっかりとした赤い瞳をフィルネスへとぶつけた。


 「心を病んで終焉を迎える惨さを繰り返せと?」

 「誰の事を言ってんのか知らねぇが、そいつとこの女は違うってわかってるか。」

 「同じ―――か弱い女性だ。」


 アスギルは一度イオへと視線を落として再びフィルネスへと戻した。冗談じゃないとフィルネスの口角がニヤリと上がる。


 「そんな繊細なタマじゃねぇよ。それにな、さっきも言ったがこの女にはこいつも餓鬼も付いてんだ。皇女とは訳が違う。」

 「それは―――」


 アスギルに酷い迷いがみえた。フィルネスの後を追いアルフェオンも再度アスギルに懇願する。


 「頼むアスギル。何が起きようと必ずイオを支えると誓う。」


 アスギルもイオを失いたくないのだ。

 独占欲や恋心ではない、ただ、イオを失いたくない。だからこうして朽ちてしまわぬ様にと魔法をかけているのである。


 「ほら、さっさとやれ。」


 力の差はアスギルの方が遥かに上なのだろうが、容赦なくフィルネスの命令が下る。

 いったい二人はどういった関係なのか。アルフェオンは疑問に感じつつもアスギルが頷いてくれるよう必死で願いながら時を待った。





 




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